各種祭祀、儀礼、行事の音楽演奏、舞踊を行う。またそれに対する教育を担当。
掌楽院 (チャンアグォン) は儀礼や外交、教育などを司った禮曹 (イェジョ) に属する宮廷音楽の部署で、祭祀、儀礼、そのほか各種の行事に関する事務はもちろん、そこで行われる演奏、歌唱、舞踊の構成まて一切を担った。実際に演奏を行う楽生 (アッセン) 、学工 (アッコン) の育成も重要な任務だった。
掌楽院は大きく分けて、科挙試験を通過した高級官吏層と実際に演奏を担当とする一般官吏層に分かれた。
掌楽院の責任者は提調 (チェジョ) といい、高級官吏である文臣が兼職した。提調以下の官吏たちは宮廷内で行われる祭祀、宴会、朝儀、特使客 (使臣、客人のもてなし) 等の仕事を行った。演奏者も正6品から従9品までの品階が与えられた一般官吏である。劇中トンイを娘のように可愛がるファン・ジュシクは掌楽院・直長 (チッチャン) 、掌楽院の仕事に嫌気がさしている南人派のオ・テブンは、正3品掌楽院副提調という設定だ。
権限の中枢は別として、掌楽院の象徴は演奏を行う楽生と楽工だといっていい。楽生と楽工、両者の違いはこうだ。楽生は雅楽 (アアク / 祭礼で演奏される音楽) のえを指す。良人 (ヤンイン) といって奴婢以外の者や、大半は楽生の子弟が選ばれた。一方の楽工は唐楽 (タンアク) と呼ばれる中国から流入した音楽や郷楽 (ヒャンアク) と呼ばれる韓半島固有の案楽を演奏する集団をいい、公奴婢 (コンノビ / 宮中や官庁に使用される奴婢) から選出された。トンイの兄やファン・ジュシクと共にトンイを助けたヨンダルは楽工である。
“ 音楽演奏 ” と聞けばどこか華やかで優雅なイメージがあり、ドラマでも華やかな宮廷音楽のシーンが描かれたが、実際はかなり過酷なものだったようだ。 “ 音楽という芸術を表現する ” というより、禮楽思想を背景にした政治を目指す朝鮮王朝の統治理念に従属する “ 道具 ” に近かった。よって楽工と楽生の音楽演奏は、音楽に興じるというより労働の一形態だったといって過言でない。年10回の祭礼行事、王室の祭祀や宴会も頻繁だった。1か月に6回の練習は義務付けられ、年に5、6回行われる試験も相当の負担だっただろうと推測できる。その割に報酬も少なかったため、合間をみつけては副業をして生計を立てていた者もいたという。
掌楽院は大所帯の部署だった。記録によると楽生、楽工、練習生、選上妓 (ソンセンギ) 、歌童 (カドン) 、舞童 (ムドン) だけで常時1000人を優に超す人員がいた。劇中、幼いトンイを宮廷入りできるように助けたソリは平壌出身の選上妓という設定だった。選上妓とは宮中で大きな行事がある際に地方から選抜される妓女のことをいう。またヨンダルは掌楽院の舞童出身とされていた。掌楽院は幼い子供による舞踊団や合唱団も持っていて、ここに属する子供が舞童、歌童と呼ばれた。子供たちは幼いうちから親元を離れて掌楽院の一員となるが、この中から才能を見込まれた子供は楽工に選ばれることもあり、そうでない者は故郷に戻されたという。
掌楽院にトンイのような女性の奴婢がいたのか、という点も気になるところだ。記録によるとられ。掌楽院には雑務を担当する差備奴 (チャビノ) 、事務の手伝いをする踉隋奴 (クンスノ) が働いていたという。ドラマで言えばトンイは差備奴の仕事をしていたと思われるわけだが、そもそも “ 奴 ” は男性を意味しており (女性は “ 婢 ” ) 、トンイのような女性の下人が掌楽院に存在したかは定かでない。差備奴、踉隋奴以外の奴婢がいた可能性が僅かに残るだけである。
※ 紫色の文字で書いている部分はドラマ「トンイ」劇中での設定に基づくものです。
※ 禮楽思想とは、天下を治めるという政治行為には、礼、つまり儀式と楽が備わっていなければ、という中国の授記思想。
「掌楽院址」現在のハナカード本社前花壇にある石碑には「音楽の編纂教育行政を司る朝鮮王朝の官衞の場所」と刻まれているそうです。
現在、ソウルには掌楽院の業績を受け継いだ音楽研究機関、国立国楽院があり、演奏や展示を通じ伝統音楽に触れる事が出来る。