『風人の祭in應典院』
~森と海が育てたいのちの歌声~

■7月14日(月)大阪市・應典院
 18時開場 18時半開演(~21時)
 前売2500円 当日3000円


 天王寺区にあるお寺で
3人の若いアーティストによるライブがあります
 森や海、大地からのメッセージを
癒しの歌声で、感じてみてください

唄や踊り音楽をとおして、平和を願い
人と人、人と自然のつながりを感じる
お祭りです


●南ぬ風人まーちゃんうーぽー(風と大地と島の唄 from西表島)
●美咲(森の癒しの歌声 from長野)
●田中有悟(サムライソウル from大阪)
●風人ブドゥリ太鼓(西表島エイサー)


主催:「風人の祭・應典院」実行委員会
共催&問い合わせ:NGO風人ネットワーク

NGO風人ネットワーク(風人の家)
〒532-0011 大阪市淀川区西中島1-13-13-2F
TEL 06-6101-8818   FAX06-6889-7731
メール kajipito@painukaji.com  URL http://www.painukaji.com


■会場   浄土宗應典院   http://www.outenin.com/
 ~ひとが、集まる。いのち、弾ける。呼吸する、お寺。~
大阪市天王寺区下寺町1-1-27    TEL 06-6771-7641
○地下鉄堺筋線「日本橋駅」/近鉄線「日本橋駅」8番出口より東へ徒歩7分
○地下鉄谷町線「谷町九丁目駅」/近鉄線「近鉄上本町駅」3番出口より西へ徒歩8分

■ 『風人』=自然と共に生きる人(地球を愛し思いやりを持って生きる人)
「かじぴとぅ」は沖縄・西表島方言の発音。
人・自然・文化がつながっている、本来の人の生き方(魂)を取り戻す言葉。

大阪・豊中の高1男子自殺:遺族手記1 死にたいと思っているあなたへ

■はじめに 

 このお話を書くのは大変つらくて、そして勇気のいることでした。しかし、私たちの子供が自ら命を絶ってから1年が過ぎようとしている今でも、全国各地で中学生や高校生の自殺があいついでいます。もうこれ以上子供たちを死なせたくないという思いと、ある1人の高校生が自殺した後のつらく悲しい体験を読んでもらうことによって、1人でも自殺をやめてくれたらと考え、思い切って書くことにしました。

 今、このお話を読んでくれているあなたは、一度でも「死にたい」と思ったことがありますか? もしそうなら、このお話を最後まで読んで下さい。そして読み終えた後に自分のまわりにいる人たち--家族や友達や先生やそのほか自分と親しい人たちのことを少し考えてみてください。そして、もし自分が死んだらその人たちにどれほど大きな悲しみや苦しみをあたえてしまうかということも想像してみてください。

2008年2月28日


大阪・豊中の高1男子自殺:遺族手記2 祐太朗がいなくなった日

■祐太朗がいなくなった日 07年2月26日  

 まず最初に、自殺した私たちの子供について紹介します。

 名前 岸祐太朗

 趣味 鉄道、ミリタリー、マンガ・アニメ

 特技 クラシックバレエ、中国語

 祐太朗がいなくなったのは、2007年2月26日のことでした。私(お母さん)が午後6時半ごろ、仕事から帰ってきたら祐太朗はまだ帰っていなかったので、携帯に電話しました。しかし、呼び出し音のしない、つながらない状態でした。少し不安を感じながらそのまま夕食の支度などをしていましたが、8時になっても9時になっても帰ってきません。携帯もあいかわらずつながらないままです。今まで帰りが遅くなるときはたいてい連絡をくれていたので、不安がますますつのります。いてもたってもいられません。ふと先週彼の帰りが遅くなった理由を思い出しました。「放送室で眠ってしまっていた」。彼は放送部だったので、放課後は放送室によくいました。ひょっとしたら、と思い、彼の高校に連絡することにしました。9時半ごろのことです。まだ先生が残業で残っておられたら、と思ったのですが、学校の電話は留守番電話になっていました。先生が聞いてくださることを期待して、メッセージを残し、担任の先生のパソコンメールにも連絡しましたが、返事は来ませんでした。10時を過ぎましたが帰ってきません。クラシックバレエのレッスン以外の日はこんなに遅くなったことはないので、警察に捜索願を出すことにしました。

 携帯はつながらないし、もしかしたらそこに残っているかもしれない学校とも連絡がとれない、最悪のことが頭をよぎり、足がガクガクふるえましたが、まだこの時は自殺しているとは思ってもいませんでした。なにか事故があったのではないかと考えていました。仕事から帰ってきたお父さんと「とにかく落ち着こう」とお互いに言いました。

 捜索願を出すなんて初めてのことだったので、とりあえずお父さんといっしょに近所の交番に行きました。警官はパトロール中でいなくて、交番の中の電話でどうしたらいいのかを聞きました。写真を持って警察署の方まで来て下さいとのことでした。一度家に帰って写真を探し、警察署まで行きました。倉庫のようなせまい部屋でいろいろ聞かれました。警察の人は家出を疑っているような口ぶりでしたが、家出なんか一度もしたことがないし、する理由も見あたりません。

 「学校の放送室に残っている可能性があるので、何とか探してもらえませんか」

と、お願いしました。それと、携帯電話が出している電波から今いる場所を調べてほしいともたのみました。しばらく待った後、学校の周辺を担当する警察から、祐太朗の高校の先生と連絡が取れたが、校内は誰か人がいたら警備システムが作動してすぐに分かるとのことで誰もいないとの返事が返ってきました。警察と先生が学校の中に入って探してくれるものとばかり思っていたので、それは信じられない返事でした。しかたがないので家に帰って、警察からの連絡を待つことにしました。家に帰ると午前0時半を過ぎていました。ひょっとしたら帰っているかもしれないというわずかな希望を持っていましたが、やはり帰っていませんでした。

 つらいつらい夜の始まりでした。だいじな子供がいないのです。生きているか死んでいるかも分からないのです。でも、学校の門が開くまで探すことすらできないのです。ひたすら朝がくるのを待ちました。午前2時過ぎに警察から電話がありました。携帯電話の電波は昨日の午後4時頃途絶えていて、やはり学校周辺から出ているとのことでした。学校の近くを警察官が捜索してくれていると聞いて、とてもありがたく感じました。

■発見・再会 2月27日

 待ちに待った朝がやってきました。午前6時過ぎに、運動部の顧問の先生ならもう来ておられるかもしれないと思い、学校に電話しましたが、まだ留守電のままでした。途方に暮れましたが、お父さんの知り合いの知り合いに祐太朗の学校の先生がいたのを思い出したので、朝早くに迷惑とは思ったけれども、事情をお話しして先生の電話番号を聞き、やっとその先生から学校へ連絡を取ってもらうことができました。

 しばらくしてからその先生から電話がありました。お父さんが出ました。

 先生「岸くんがやばい状況です」

 お父さん「やばいってどういうことですか」

 私「死んでるなら死んでるって言って下さい」

 先生「放送室で、首をつって……」

 お父さんの声は絶叫となりました。もう、何を言っているのか分かりません。とにかく弟(当時小学6年生)を連れて学校へ向かうことにしました。お父さんと私の職場、弟の学校には「事故で重体」ということにして連絡し、3人で電車に乗り込みました。途中で学校周辺担当の警察からお父さんの携帯に

 「亡くなられていますので、警察の方に来てください」

と連絡がありました。お父さんは「きれいな体で亡くなっていましたか?」と、泣きながら聞いていました。ちょうど通勤時間帯で、電車の中には大勢の人がいましたが、会話の内容を察してくれたのか、通話をとがめる人はいませんでした。

 覚悟はしていましたが、望みの糸は断ち切られました。駅には警察の車が迎えに来ていました。警察署に到着してすぐに遺体と対面できるのかと思いましたが、通されたのは取調室のような部屋でした。弟は私たちから離され、別の部屋に連れて行かれました。

 そこで、柔道着の帯で首をつったと説明を受け、その後いろいろ聞かれました。いじめはあったかとか、何か悩んでいたかとかです。たまたま前の日に成績や進級についての悩みを聞いていたので、そのことを話しました。あとから思い出してみたらそれ以外のこともいくつか彼は話していたのですが、そのときは、気が動転してしまっていて、そのことしか思い浮かびませんでした。

 お父さんも、私も、とても感情的になって話をしていたと思います。その内容を警察の人は機械的にパソコンへ打ち込んでいきました。そして、プリントアウトしたものを

 「これでいいですね。確認して下さい」

と見せられ、確認しました。

 その後、遺体の確認まで少し待ち時間があったので、職場や弟の学校に、「事故で重体ではなく、自殺で死亡した」と連絡しなおしました。次に、祐太朗を一番かわいがってくれていたおばあちゃんがテレビで知る前に、このことを伝えなければいけないと思いました。

 私「おばあちゃん、心を落ち着けて聞いてね……。祐太朗、死んでん」

 おばあちゃん「えっ……」

 私「学校でな、首つって死んでん……。テレビで知る前に知らせないと、と思って……」

 つらい連絡でした。その後のおばあちゃんは号泣してもう言葉になりませんでした。少し前に病気をしていたので、電話口で倒れてしまわないか、そればかりを心配しました。とりあえず祐太朗のおじさん(私の弟)の車でいっしょに家まで来てもらうように言い、電話を切った後、おじさんにもつらい連絡をしないとなりませんでした。

 しばらくしてから警察の人が呼びに来て、いったん外に出て、小さな倉庫のような所に案内されました。そこに祐太朗はいました。よく、亡くなった人を、「変わり果てた姿」と言いますが、まさにその通りでした。まるで鬼の形相のようでした。彼の姿を見たお父さんは腰が抜けたようにその場に座り込んで大声を上げて泣きました。私は、子供の最期の姿をよく見ておこうと気を張っていたせいか、涙は出ませんでした。祐太朗はこれから大学病院に運ばれて、くわしい死因や死亡時間を調べるために解剖されるとのことでした。決まりなのでしかたがありません。私は警察の人にお願いしました。

 「目も、口も、閉じさせてきれいにして返してください」

 「変わり果てた姿」の祐太朗との再会の後、私たち3人は警察の車に再び乗り込みました。遺書など自殺の理由の手がかりになる物が残っていないか家宅捜索するために自宅へ向かうためです。警察署の表玄関にはもうマスコミの人がたくさん来ているとのことで、裏口から出て、家へ向かいました。

 警察の人といっしょに家の中をくまなく探しましたが、結局遺書などは見つかりませんでした。彼の書いていたブログにもそのようなことは書いてませんでした。

 警察の人が帰ってから、祐太朗の高校の校長先生から電話がありました。記者会見を開くので、よろしいですねといった内容でした。お父さんが、記者会見より、家に来て何があったか説明するのが先ではないのかと激しく怒りました。結局、記者会見は行われたようでした。当日、テレビは恐ろしくて見ることができませんでしたが、インターネットでのニュースは何とか見られたので、その内容を知ることができました。自宅にもマスコミの人がやって来るかと怖かったのですが、それはありませんでした。

 そうこうしている間に、おばあちゃんとおじさん夫婦が来ました。お寺や葬儀会社の手配、彼の死をまだ知らせていない人に連絡したりしているうちに、夕方になりました。

 午後5時半過ぎに、ようやく祐太朗の高校の先生たちがおわびにやって来ました。昨日、学校で何があったのか先生に問いただし、勝手に開いた記者会見のことや、昨夜学校内を探してもらえなかったことなどの怒りをぶつけました。

 夜になって、降り出した雨がはげしくなりました。玄関のインターホンがなるので、マスコミかとおそるおそる出て行くと、小学校時代からの友人のSくんをはじめとした中学校の時の同級生が7、8人、傘を手に立っていました。

 「ニュースを見て、みんなで来たんです」

 どうやら遺体が家に帰ってきていると思って、会いに来てくれたようです。

 「ありがとう、ありがとう」

 思わず彼らに言ってしまいました。

 せっかく来てくれたのだからと、上がってもらうことにしました。急きょ、近くのスーパーでジュースやスナック菓子を買ってきました。彼らとは祐太朗の思い出話で盛り上がりました。中には私たちが知らなくて、もしバレていたらどなりつけたような話、思わず笑ってしまうような話もあり、気持ちがなごみましたが、主役のいないパーティーにふと寂しさを感じました。

 「ぬれせんべい、みんなに食べてもらおうや」

 お父さんがいいました。

 『銚子電鉄 ぬれせんべい』。鉄道ファンであった祐太朗は銚子電鉄の存続を願って購入していました。注文してから3カ月待ち、祐太朗の死の2日前にようやく届きました。喜んで写真まで撮って、すぐに食べるのはもったいないと置いていた物です。食べずに彼は死んでしまいました。友達に食べてもらうなら、祐太朗も怒らないだろう。そう思いました。

 彼らは午後10時前までいてくれました。祐太朗からちょくちょくは聞いていましたが、彼にはこんな良い友人たちがいたのだと、あらためて思いました。

 長い長い1日が終わりました。ベッドに横になると、張りつめていた気がゆるみました。涙と、もう祐太朗はいないんだという感情とが同時にあふれてきて、ねむることができませんでした。

2008年2月28日


大阪・豊中の高1男子自殺:遺族手記3 仮通夜・通夜・葬儀

■仮通夜 2月28日 

 泣きながらいつの間にか眠ってしまったようでした。目覚めた瞬間、いままでのことは全部夢であってほしいと思いましたが、やはり夢ではありませんでした。

 今日は解剖のすんだ祐太朗を私が迎えに行かなければなりません。葬儀会社が用意してくれる寝台車には1人しか乗れないので、私が行くことになったのです。

 行きは電車で大学病院に向かいました。途中でモノレールに乗り換えました。祐太朗が小さい頃、乗りたがったので、用もないのにモノレールに乗って往復したことを思い出しました。こんな悲しい思いで再びモノレールに乗るなんて、思いもよりませんでした。

 駅に着くと冷たい雨が降っていました。法医学研究室には指定の時間より少し早めに着きました。自動販売機とイスのある休憩所でしばらく待つように言われました。1時間以上待ったでしょうか、警察の人が何人かやって来ました。それぞれ、彼の持ち物--カバンや着ていた制服、ビニール袋に入れられたこまごました物を持っていました。

 「持ち物の確認をお願いします」

と言われ、一つ一つ、カバンの中身まで確認しました。ビニール袋の中には、彼の物といっしょにそれらがあった場所を書いたメモが入っていました。

 それが終わると、死体検案書を渡されました。死亡時間は午後9時ごろと書かれていました。

 祐太朗の持ち物を持って、寝台車へ向かいました。寝台車のなかでは、白い布につつまれた祐太朗が待っていました。彼のとなりに乗り込み、おそろしく冷たくて固いその体に触れながら、彼が生まれて、病院から家に連れて帰った時のことを思い出していました。あのときの祐太朗は小さく、やわらかくて、あたたかくて、うれしい思いでいっぱいで連れて帰ったな……と。それが、こんなことになるなんて、あのころは思いもしなかったな……と。

 そんなことを考えると、また涙が流れてきました。寝台車の中から見える空はどんよりとした灰色でした。祐太朗が好きな場所があれば通りますよと言われていたので、彼が入りびたっていた鉄道模型店の前を通ってもらうことにしました。ただ通り過ぎるだけかと思っていたら、運転手の人はその店の前に来ると車を止め、窓を開けてくれました。そして、家の前を通り、葬儀会場へと向かいました。

 葬儀会場ではお父さん、弟、おばあちゃん、おじさん夫婦、葬儀会社の人が出迎えてくれました。白地に紺の模様の着物を着て、布団の上に横たわった祐太朗の表情は昨日警察署で見たときのあのまま、鬼の形相でした。

 「あれは、祐太朗じゃない!」と、私は思わず泣きくずれてしまいました。お父さんも、おばあちゃんも、みんな泣いていました。

 「湯かん(亡くなった人を洗って、きれいにすること)されますか?」

 葬儀会社の人が聞いてきたので、お願いしますと答えました。お風呂が好きだった子が2日も入れなかったなんて耐えられなかっただろう、とお父さんが言いました。湯かんした後に生前気に入ってた服を着せることができると聞き、服を取りにおじさんの車で家に戻りました。黒のジーパン、田宮模型のマークのTシャツ、自衛隊の戦闘機がプリントされたグリーンのトレーナーを持って行き、着せてもらうことにしました。

 湯かんは若い女性2人が、気持ちよく、手ぎわよくしてくれました。立ち会って見ることもできたのですが、彼の鬼の形相を思い出すと怖くてできませんでした。湯かんが終わり、おそるおそる祐太朗に近づき、顔を見ました。彼の顔はおだやかな、生きていたときの顔に変わっていました。まるで眠っているかのようでした。

 その後、葬儀会社の人と通夜や葬儀の打ち合わせをいろいろしました。小さいころから鉄道が好きだった祐太朗の最後の晴れ舞台なので、祭壇には彼が今まで集めた鉄道関係のコレクションをめいっぱい飾ることにしました。祭壇の花も、花屋さんに無理を言って花電車にしてくれるようにお願いしました。

 そして、通夜や葬儀に来てくれた人に渡す品も祐太朗らしいものにしたいという話になったときに、お父さんが、「銚子電鉄のぬれせんべいにできないかな」と言いました。祐太朗にとって大変思い入れはあったけれども、食べることのできなかった、あのぬれせんべいです。でも、注文が殺到して生産が追いつかないと聞いていたし、量が多いので断られるかもと思いながら、ダメもとでお父さんが電話をし、事情を話してお願いしてみたところ、工場をフル回転させて作って送ります、と快く引き受けてくださいました。通夜に間に合わなくても、葬儀の時だけでも渡せたら、と思っていると、翌日の朝、早速届き、ありがたさで胸がいっぱいになりました。銚子電鉄のみなさんのあたたかい心づかいには今でも本当に感謝しています。

 打ち合わせも終わり、少し落ち着いたところで、葬儀をしてくださるお寺の住職が枕経を上げに来られました。この住職は祐太朗を赤ちゃんの時から知っていて、この人も悲しませることになると思うと、申し訳ない気持ちでいたたまれなくなりました。住職は、祐太朗を一目見るなり、「大きく、りっぱになられましたね」とおっしゃいました。その言葉を聞いて、ますます申し訳なく、つらく、悲しくて何とも言えなくなってしまいました。

 祐太朗の携帯が戻ってきたので、その携帯のアドレス帳から手当たりしだいにメールや電話をし、通夜と葬儀の日の連絡をしました。学校の友達以外にも鉄道関係などで多くの友人がいたので、その人たちにも悲しい知らせをしなくてはならなかったのです。

 夜になり、葬儀会社が用意してくれたお弁当が届き、それを見てはじめて今日一日何も食べていないことに気づきました。その夜は、元の顔に戻って棺に入った祐太朗のそばにずっといました。祐太朗は身長が180センチ以上あったので、棺は190センチの特大を用意してもらいましたが、棺に入れるとき、ひざを曲げないと入りませんでした。

 「夜9時に死んで、一晩中見つけられずにつるされていたから、身長が伸びてしまったのかもしれない」

 お父さんがポツリとつぶやきました。ブルーグレーの色をした棺の中はドライアイスがいっぱいにしきつめられていました。

 つらくて悲しいのには変わりないけど、やっと祐太朗が戻ってきて少しホッとしたような、複雑な気持ちでした。

■通夜 3月1日

 祐太朗の祭壇ができあがりました。遺影は昨年の夏、家族で中国を旅行したときの1枚を選びました。遺影の前には、特注の花電車を置いてもらいました。そのまわりには、今まで鉄道イベントなどで買い集めた鉄道部品、Nゲージ、鉄道関係の本、愛用のカメラと三脚などを飾りました。祐太朗の自慢の品々です。祐太朗の戒名は、鉄道に関係する字を入れてほしいと住職にお願いし、「乗」の1字をいただきました。

 通夜には、本当にたくさんの人たちが参列してくれました。小学校、中学校の時の同級生とそのお母さん、先輩、小学4年生からの担任の先生全員、高校の友人、放送部の部員、鉄道関係の友人、クラシックバレエと中国語の先生と生徒の人たち、近所の人、お父さんとお母さんの職場関係の人、彼をわが子のようにかわいがってくれていた人、つい10日前のイベントで祐太朗と知り合った人まで、様々な人が彼のために涙を流し、手を合わせてくれました。初めて顔と名前を知った人も多かったです。名のらずに帰られた人もいたかもしれません。

 クラシックバレエの先生が、怒るように言われたことが今でも忘れられません。

 「何で、何でこんなことになったの、誰が、何が、悪いの?」

 そして友人の一言も。

 「おれだって、いじめられてて死にたいと思ったことあるけど、死なずにここまで来て、やっと友達ができたと思ったのに、その友達が死んでしまうなんて……」

 名残を惜しむように、多くの友人が彼の棺のまわりで長い間残っていてくれました。

 次の日の明け方、お父さんと歩いて家に帰り、3日ぶりのお風呂に入りました。

■葬儀 3月2日

 葬儀の時間は、祐太朗の友人が来やすいように、一番遅い時間にしてもらいました。平日で学校がある日なので、昨日より参列者は少ないです。祐太朗の高校は生徒代表2人だけが忌引き扱いで参列でき、他の生徒は欠席扱いになるとのことでした。それでも学校を休んで参列してくれた友人もいましたが、どうやら同じクラスの生徒は来ることが出来ないようでした。

 葬儀の途中、お父さんの携帯がなりました。祐太朗のクラスメイトからの電話でした。

 「今から、クラス全員で行ってもいいですか」

 思ってもみなかったことでした。学校で、何があったのかは私たちには分かりません。当然、「出棺を待ってもらうから来て」と返事しました。出棺の時間を過ぎましたが、ぎりぎりまで待ってもらうことにしました。しばらくすると、学校の制服を着た子たちが一人また一人と走ってきました。私は思わず葬儀会場の入り口に出て、一人一人を出迎え、声をかけていました。やがてクラスメイト全員が彼の棺のまわりにそろいました。棺が閉じられ、霊柩車に乗るまでみんなは口々に、

「帰ってこいよ!」

「絶対帰ってこいよ!」

 彼に呼びかけながら棺につきそってくれました。最後はクラスメイト全員に見送られての旅立ちとなりました。

 霊柩車にはお父さんが乗り、私たちはマイクロバスに乗り込みました。葬儀会場を出るとき、祐太朗の高校の先生が何人か、立っているのが見えました。車は山の中にある火葬場を目指して走ります。いつのまにか空が晴れているのに気づきました。火葬場で、棺がこれから火葬する炉に入るのを見送りました。16年間大切に育てた祐太朗の体とはこれで永久にお別れです。出棺の前、祐太朗の棺の中には、友人からの手紙、彼が好きだったお菓子、毎月買っていた雑誌の3月号を入れました。

 火葬が終わるまで2時間ぐらいかかるので一度葬儀会場に帰って待ち、再び火葬場に戻りました。お骨拾いの骨は全部拾うつもりで一番大きい骨つぼを用意してもらいました。太くて、たくさんの骨でした。骨つぼに入りきらないほどで、入れるのに苦労しました。木箱に入れられ、白い布に包まれた骨つぼは私が抱いて帰ることにしました。骨だけなのにずっしりと重かったです。

 葬儀会場に戻り、住職にお経を上げていただいてから、骨になってしまった祐太朗はようやく自分の家に帰ることができました。家では葬儀会社の人が祭壇を作ってくれていたので、そこに祐太朗の骨つぼを置きました。特注の花電車も、まだきれいだからと葬儀会社の人が運んでくれ、祭壇の横に飾りました。

 葬儀会場からの荷物を運び終わり、おばあちゃんやおじさん夫婦も帰り、家族3人だけになりました。すべてが終わってホッとすると同時に、これまでの疲れと、さびしさと、悲しさ、つらさ、むなしさが一気にどっと押し寄せてきました。そして、4人いたはずの家族が1人減り、3人になってしまったことをあらためて実感しました。

2008年2月28日



大阪・豊中の高1男子自殺:遺族手記4止 祐太朗が残したもの

■祐太朗が残したもの 

 疲れと寝不足のせいもあり、葬儀が終わった日の夜は泥のように眠ってしまいました。

 朝、目がさめたときにまた、昨日までのことは夢ではなかったのだろうかと思いましたが、やはりこれは現実で、もう祐太朗はいないのです。祐太朗のいないこの後の何十年もの人生をどうやって生きていけばいいのか、考えることはそればかりです。

 警察から返された祐太朗の持ち物を、お父さんと弟と私と3人で一つ一つ調べるように見ました。財布には、死の前日、買いたいNゲージがあるからというので私が渡した1万円がそのまま残されていました。カメラもありました。おそらく、通学途中に電車の写真を撮るために持っていた物でしょう。教科書やノートが無造作に入ったカバン、それといっしょに持っていたリュックの中には柔道着、そして切られた柔道着の帯と制服のネクタイがビニール袋に入って入れられていました。これが彼の命をうばったのだと思うと、たまらない気持ちになりました。制服のポケットに入っていた物も、全部ビニール袋に移されていました。小銭、家の鍵、折りたたまれたプリント、お菓子のゴミなどでしたが、みんな彼のなごりが残っていました。

 そして、携帯電話です。ここにきてようやく、祐太朗が生前友人たちとやりとりしていたメールの中身を見ようという気持ちになることができました。彼が発見された当日は、「大丈夫か」「生きてるか」「返事くれ」など、安否を尋ねる友人たちのメールでいっぱいになっていました。それ以前の友人とのメールのやりとりの中から、家族が知らなかったこと--祐太朗が自殺をほのめかしていたことと、これが自殺の理由だろうかと思える彼の考えていたことが分かりました。

 祐太朗の自殺の理由の、本当のところは祐太朗にしか分かりません。ただ、彼が死の直前家族に言っていたことや、残されたメールの内容から、当時彼に起こった出来事や、考えていたことのほんの一部は分かりました。

 ▽学校で放火事件があったときに犯人と疑われた

 ▽学校の授業方針に大きな不満と怒りを持っていた

 ▽成績や進級についての不安があった

 ▽心が疲れてしまったり、体調をくずして通院している同級生を大変心配していた

 今から思えば、私たちが思っている以上に祐太朗自身も疲れてしまっていたのですが、それを1人で解決しようとしたのかもしれません。

 「この学校は、誰かが死なないと、変わらない」

死の前日、彼が言っていた言葉です。私は、「自殺」という意味にとれたので、

 「あんたは死んだらあかんし、死のうとしている子を止めないとあかんよ」

と、言いました。翌日、彼が学校へ行く前、疲れた顔をしていて少し不安に感じたので、

 「あんたは死んだらあかんよ」

と、もう一度声をかけました。

 「分かってる」

と、彼は言ってくれましたが、それが最後の会話となりました。

■おわりに

 今になって考えてみたら、悔やまれることばかりです。あのときにああしていれば、こうしていればと思うのですが、もう取り返しはつきません。どんなことをしても祐太朗は帰って来ないのです。私たちはかけがえのない家族の1人を永久に失ってしまいました。そして、その悲しみ、苦しみは死ぬまで消えることはないでしょう。

 祐太朗の自殺は、本当に多くの友人知人を悲しませ、家族を不幸のどん底に突き落としました。自ら命を絶つことによって、あなたの悩みや苦しみは消えるかもしれません。しかし、そのあと残された家族はそのことによって自分を責め、一生苦しみ続けることを分かってほしいのです。

2008年2月28日

私がいつもお米を買ってる農家が、酪農を辞める。


餌代が上がったからだ。


高齢化も原因だ。


母屋の前の牛舎は空になる。


「どこかに売るの?」



引き取り手なんか、あるわけがない。



人間の勝手で、牛は潰される。


おばちゃんは、
「淋しいけど、しょうがないな」
とうなだれる。




日本人らしい生き方を捨て、欧米化した生活。


人間の勝手で妊娠させられ、子牛は生後間もなく引き離され、その乳は、人間が飲んでいるのだ。


なんでも、オートメーションで運ばれるように感じてる我々だが、
みんなが知らないところで、命の育みを我々の消費、いや、浪費のために翻弄し、
感謝することさえ知らない。
今日は、沖縄慰霊祭。
沖縄の地上戦が終わった日。
平和の火は、沖縄の地にもともされ、静かに平和を祈り続けています。

私達は、原爆も戦争も知りません。

でも、恐ろしい殺戮が、63年前の日本で行われていたのです。



日本の中で、唯一沖縄だけで地上戦が行われたのです。


しかし、今でも、イラクやアフガンや、その他いろんな地域に、戦車が走り、砲弾の音が聞こえ、
人々が命を落としているのです。



私も戦争を知りません。


でも、平和であることが、どれだけ幸せか、ということは皆さん知っているでしょう?




あたり前になって、幸せだと感じることもないでしょうけれど。


しかし、もし、今戦争が起こったら、って考えてみてください。



考えられないじゃないですか。




アメリカも、いろんな地域に戦争を仕掛けていっていますが、
もしも、自分の国で、戦争が行われたら、って考えないのかな?



沖縄では、たくさんの人が命を落としました。



殺戮の繰り替えされた、沖縄の地に、基地ができ、今でも戦争は終わっていないのです。



もし、このブログを読んでくださったのなら、
ぜひ、少しの間目を閉じて、平和について感謝してください。



そして、日本で唯一地上戦のあった、沖縄の地を想って、
世界の平和を想って、


少しの間、祈ってください。




あなたの心にも平和が訪れますように。。。


まーちゃんからのメッセージです。



ハイサイ!
南ぬ風人まーちゃんうーぽーメルマガです

6月23日が何の日か知ってますか?

「沖縄・慰霊の日」です
沖縄県では、沖縄戦の戦没者の霊を慰めて平和を祈る日として、学校が休みになります



63年前、日本唯一の地上戦となった沖縄戦では、12万人以上の県民が犠牲になったと推定されています。
1945年6月23日は日本軍による組織的な抵抗が終わった日です。
沖縄ではこの日を「慰霊の日」としています。
しかし実際にこの日に沖縄戦が終わったわけではありません・・・・。



ぼくが唄を唄いだした理由は
西表島の美しいさんご礁や自然を守りたいから
沖縄から世界へ、平和のメッセージを伝えたいからです


今日は大切な日
大阪の風人の家にて、三線だけのソロライブを開催します
夜19時半~なんで、来れそうな人は遊びに来てくださいね
泡盛でも飲みながら、のんびりと島唄を唄いたいと思います


☆「命どぅ宝」平和の音・三線ライブは
 ぼくにとっては、特別なものなんです



■『6月23日 沖縄・慰霊の日に思う』

戦後63年、今どれだけの人が沖縄戦の事実を知っているのだろうか
日本唯一の地上戦、あの悲しい歴史をくり返してはならない
しかし今、この国はその歴史を忘れさろうとしてはいないだろうか
同じ国の軍隊に裏切られた事実、集団自決で死んでいった人々
そして今も、新たな米軍基地はつくられようとしている・・・

ぼくの心に深くささった沖縄戦映像がある
追い込まれたガケの上から、母が子を海へなげ、そして自らも海へ身を投げた
涙があふれて止まらなかった、ただただ、泣いた・・・
本当の平和とはなんだろうか
沖縄はこの国のため捨石となった
家も畑もすべて焼き尽くされ、先祖からの土地も取り上げられた
戦後63年が過ぎた今も、広大な米軍基地は残っている
毎日のように戦闘機が爆音と共に飛び立って行く
ときには爆弾を落とし人を殺し帰ってくる
基地があるかぎり、本当の沖縄戦は終わらない
戦争を体験した、おじーもおばーも少なくなってきた
あの悲しい歴史を、これからは、ぼくたちが伝えていかなければならない

戦争で亡くなった多くの御霊を思い、平和の願いを三線に込めて
ぼくは唄いたい
命どぅ宝(ヌチドゥタカラ)=いのちこそ宝である


沖縄からすべての米軍基地がなくなるまで
ぼくは唄い続ける

  2008年6月23日  南ぬ風人まーちゃんうーぽー

ゴミをゼロにすると宣言した町がある。


子供が読んでいる 毎日新聞発行の月刊「ニュースがわかる」より



>2003年に日本ではじめて「ごみゼロ」を宣言した町がある。四国の山あいにある人口2021人(3月1日現在)の徳島県上勝町。町にごみ収集車はなく、町民はごみステーションにやってきて、34種類もの分別方法にしたがってごみを出している。



人数が少ないとはいえ、すごいことだと思いませんか?



素直にすごいと思います^^



2番目にゴミゼロ宣言をしたのは・・・


>3月、福岡県大木町(人口約1万4500人)が全国2例目の「ごみゼロ宣言」をした。2016年度までに町から排出されて焼却・埋め立て処分するごみをゼロにするのが目標。大木町は06年から本格的なごみの再資源化に取り組んでいる。町内で出される生ごみやふんにょうを集めて発酵させ、液体肥料として再利用する施設をはたらかせている。

 05年度に約3100トンあった焼却・埋め立てごみは、07年度には約4割減って1750トンになる見こみだという。



少し規模が大きくなりました。

捨てるのがあたり前な世の中がおかしい、と感じてほしいですね。



今週もカチカチANGELSごみひろい三宮でやりますよ!

よかったらのぞいてみてください!


皆さんも一緒にやりませんか?

ジュセリーノさんのことがライブドアニュースにも書かれていました~!!

http://news.livedoor.com/article/detail/2588491/

的中率90%!? 予言者・ジュセリーノが日本の未来に警告
2008年05月28日22時37分
ジュセリーノ  写真一覧(2) “的中率90%”と言われている予言者・ジュセリーノ。9歳の時に予知夢を見るようになって以来、その内容を、何万通もの手紙で各関係者に警告し続けている。アメリカの9.11テロやスマトラ島沖大地震など、数多くの予言を的中させ、世界中で注目を浴びている。

 そのジュセリーノが今、日本の未来に対して警告を発している。ジュセリーノの予言を集めた書籍「ジュセリーノの予言 日本の未来、世界の未来への警告」には、「2008年9月にアジアで死者100万人の巨大地震が起こる」「2008年夏には、日本は灼熱の気温になる」などの警告が記されている。

 講談社のMouRaでは、日本に警告するため、緊急来日中のジュセリーノのインタビュー動画を配信している。ジュセリーノが日本の未来に警告することとは



http://mopix.moura.jp/?p=687



――中国の四川省で、死者4万人を越える(2008年5月26日現在)という大地震が起こりました。ジュセリーノ氏の予言には、このような人命を脅(おびや)かす天災の予言が多いのは、どうしてでしょうか?

私は予知夢を見て、各関係者に警告文を送る活動をしています。予知夢の内容は、もちろん悪いことばかりではなく、良いことも夢で見ます。しかし、人には悪い癖があります。素晴らしいことを話したら、そのことに安堵してしまい、地球の未来のために努力をしなくなります。悲惨なできごとだけを伝えるのは、そのことに対して真剣に向かい合い、素晴らしい世界になるために前向きな姿勢を持ってもらいたいと思っているからです。

――「9月13日に日本か中国でマグニチュード9以上の地震が起こり、死者が100万人」や、「2043年以降に日本列島が沈む」などと言われると、われわれ一般の人間は、逆に途方に暮れてしまいそうですが?

そう思う人は、現在の幸せに満足していて、未来に対する危機感を持っていない人だと思います。現在はそのような人ばかりです。そういう人は大地震が起きたとしたら、「どうすることもできない。死んでしまってもいい」と思ってしまいます。でも、そうではないのです。私は、この世界が終わるからといって、何もしないで諦めてはいけないと考えています。地震や台風などは自然現象なので、止めることは誰にもできません。しかし、被害の規模を小さくすることはできます。
2007年12月22日に起きたインドネシアの大地震はとても印象的でした。私は、1日違いの23日に大地震が起きるという夢を見たので、インドネシアの政府に警告をしていました。そのことが世界的な新聞やメディアで取り上げられたのです。そして、インドネシア政府は、大規模な避難訓練を行いました。海や水から離れること、ビルから離れること、広い原っぱで座るか寝転ぶこと。そういう基本的なことを教えました。そのお陰で、死者はほとんど出なかったのです。

――インドネシアの人々は、よくパニックにならずに、迅速な行動を取れましたね?

地震は、突然起こるからパニックになるのです。いつ頃起こるのか事前に知り、そのためにきちんと準備することで、人の命は助かります。
中国の地震でも、ミャンマーのサイクロンでもそうですが、事前に訓練を受けていなかったのではないかと思います。中国では、地震が起きたとき、建物の中に入ったため、生き埋めになった人が多かったのではないでしょうか。おそらく、「地震がきたら机の下に隠れましょう」というような間違ったことを教えていたのだと思います。そういった間違いを正していくのが私の仕事だと考えています。

――小惑星衝突など、私たちにはなす術(すべ)がないこともあると思いますが?

そんなことはありません。私は、一人ひとりの努力によって、この地球を救うことができると考えています。その第一歩として、まずは家族を愛することが大切です。ぜひ自分の家族とコミュニケーションをはかることから始めてください。その愛が、その周りに広がっていきます。小惑星の衝突が起こらなければ、それはまさにみなさんの愛と努力によって、状況が変化したということなのです。
子どもの読者から手紙をもらいました。「この本を読んだお父さんが、僕を抱きしめてくれた」という内容でした。それこそが家族の愛なのです。この本を通じて、私のメッセージが少しでも伝わったことを感じ、大変嬉しかったです。

――「予言が外れたのは、人々の心が入れ替わったから」という論理は、予言ではないという反論もあるかもしれません。それについて、いかがでしょうか?

これはいつも言っていることですが、私の予言は外れてほしいのです。まったく当たらない予言者になりたいと願っています。大きな事件や災害で、人々の尊い命が消えてしまったときは、いつも胸を痛めています。神は私にメッセージを伝えたのに、私の力では未然に防ぐことはできなかったわけですから。警告文を送っても、聞き入れてもらえないことがほとんどです。そういった意味で、私は予言者ではなく、警告者なのかもしれませんね。


予言は外れてほしいと語るジュセリーノ氏。
――日本の未来に警告することはありますか? また、日本人は今後どうしたらよいですか?

警告とはちょっと違いますが、日本は世界のリーダーになる必要があります。政治的な問題も抱えていますが、日本の教育は優れています。経済的にも他の国に比べて豊かです。
しかし、日本に足りないものがあります。それは、自由がないということです。個人の自由という意味ではありません。自国で「世界のための決断を下す自由がない」ということです。
日本は素晴らしい国です。世界のための決断する自由を手に入れたなら、とても明るい未来が見えてきます。

――日本をアジアの拠点と考えているのも、日本の可能性を信じているからですか?

日本というのは、地理的にはあまり恵まれていません。地震はよく起こりますし、台風もよく通過します。しかし、今後、世界でリーダーシップを取っていける国だと思っています。
日本はテクノロジーが優れています。知識もあります。そして、国民が協力することに長(た)けています。例えば、阪神・淡路大震災のあと、第2次世界大戦のあとを思い出してください。人々がひとつになって、再び国を立て直そうというパワーが優れているのです。
同じ可能性のある国、ついて行きたいと思っている国にとって、日本は世界のリーダーになれます。だからこそ、私も日本に来ているのです。

――ジュセリーノ氏の体を借りて、神は私たちに警告しているわけですが、神が望む世界というのは、どのような世界なのでしょうか?

神というのは一人ひとりの心に存在するものですから、神が何を求めているかということは、個人の心の中で理解すべきだと思います。神は、私たちを「正しい道に導くものである」ということは間違いありません。
神が求めている世界というのは、くだもの畑で例えると、いろいろな種類のくだものをみんなで分かち合って食べているというイメージです。それは人間に限ったことではありません。動物も植物も、環境も地球も同じです。すべてがお互いに理解し合い、愛し合うことで、ひとつの平和な世界ができるのです。そのためには、私たち一人ひとりが責任を持って行いを改めることで、新しい世界を築いていくことが必要とされているのです。
しかし、人間はこれまで逆の生き方をしてきました。科学的な発明や発見をマイナス方向に利用してきました。核兵器や原子爆弾などを生み出し、多くの人が殺し合っているのです。これが現実です。そして、今一番考えないといけない戦争は、環境戦争です。環境破壊により、近い将来、多くの人が亡くなっていく悲惨な世界になっていきます。


日本は世界のリーダーシップを担うでしょう。
――今後は悲惨な世界になるということですが、明るいことはないのでしょうか?

人々が意識して変わっていけば、時期が早まるかもしれませんが、それは2043年以降のことです。例えるならば、花が咲き出す時期だと思ってください。これからの35年間は、本当に厳しい時期だと思います。素晴らしい将来をつくるために、一人ひとりが今の過ちに気付き、変えていかなければなりません。
このようなメッセージを伝えるために、私は講演をしたり、テレビなどのメディアに出たり、本を出版したりして、世界中で活動しているのです。

――活動を通して、人々の意識は変わってきましたか?

いろいろな人に会ってきましたが、変わってきたことを感じています。それは宗教を変えるということではありません。日常に愛を植えるということです。今の世の中は憎しみだらけです。そうではなく、愛を咲かすために愛を植えるということです。
私が活動し続けることで、より多くの人の心を動かしたいと思っています。すべての人の心を変えることは無理ですが、大多数の人々に私のメッセージが伝わったら、こんなに素晴らしいことはないと思います。

――予知夢で見る未来は良い方向に変わりつつありますか?

良い方向に変わってきていると、自信を持って言えます。だからこそ、私はここにいるのです。確実に成果は出ています。
どんな国の人、どんな宗教の人であろうとも本当の幸せを感じ、みんなで分かち合える世界をつくっていかなければなりません。人は頭を使って物事を変えることができます。未来の子どもたちに、幸せな環境をつくるべきだと思います。そして、確実に明るい未来に向かっています。



取材後記
笑顔で取材に応じてくれたジュセリーノ氏は、何ともいえない包容力のある人物だった。これは、氏が言うところの「環境や地球と一体になる」ということなのだろうか。予言の的中率にばかり目がいってしまっていた私はジュセリーノ氏の真のメッセージを聞き、これからの生き方について改めて考えさせられた。

(取材・文/森秀治 撮影/金澤智康 動画/小松智幸 協力/わぐりたかし 構成/大川朋子)
「らぶinびわこ2008」@膳所城跡公園/大津
6月14日(土)11:00~18:00(~19:30キャンドルナイト)

~変わろう、変えよう、手をつなごう!わたしたちから、びわ湖から~

近江大橋のたもと、びわ湖の湖畔にある膳所城跡公園を会場に
ライブあり、エコロジー関連展示・体験・販売ブースあり
フードマーケットにフリーマーケット
子どもの遊びコーナーあり
さいごはびわ湖のほとりで手をつないでキャンドルナイト
という盛り沢山のイベントです

11:00~18:00

<エコブース>
・廃油せっけんづくり(体験&販売)
・再生キャンドル作り(体験&販売)
・国際空き缶つぶし大会
・癒しのコーナー(オーガニックエステなど)
・その他依頼中

 「はるかちゃんのひまわり」
  ※昨年の第1回「らぶinびわこ」で配られた種を大切に育てています。
   その苗を実費+寸志でお分けしたいと思います。

<わくわく☆こどもひろば>
・ミニSLに乗ろう
・わなげにチャレンジ
・昔あそびコーナー

<フードマーケット&フリーマーケット>
「ごみ☆ゼロ作戦」にご協力をお願いします
・リユース食器を使います!
・マイ箸、マイカップ、マイバッグご持参歓迎!
・祭のあとは・・・来た時よりも美しく!

<ステージ>
 ライブ&トーク
・てんつくマン
・まーちゃんバンド
・森源太
 地元から
・よさこい「近江湖彩天舞」(米原)
・創作紙芝居(高島)

18:00~
みんなで湖畔に移動
再生キャンドルに火を灯し
手をつないでびわ湖の未来を祈ります

入場無料
※ステージエリアのみ入場チケット(2000円)が必要です
(高校生以下はすべて無料)

●膳所城跡公園へは
京阪電鉄「膳所本町駅」より徒歩7分
JR乗り継ぎの場合
JR膳所駅で京阪膳所駅に乗り換え
(京都より3駅目、約13分、新快速は停まりません)

地図
http://<WBR>www.ma<WBR>pfan.c<WBR>om/m.c<WBR>gi?MAP<WBR>=E135.<WBR>53.54.<WBR>4N34.5<WBR>9.28.6<WBR>&ZM=9

お車でお越しの場合は周辺の公共駐車場(有料)をご利用ください。

◇チケットと協賛金について◇
らぶinびわこ2008はチケット収入と寄付・協賛金だけで実施します。
余剰金が生じた場合はびわ湖の環境改善に取り組む資金にします。
みなさんからのご意見やアイディアも求めています。
どうぞご理解とご協力をお願い致します。

◆ステージエリア入場チケットのお求めは◆
 メールにて[お名前・住所・電話番号・メールアドレス]を添えてお申し込みください。
その後ご入金が確認できしだいチケット兼用の案内ハガキをお送りします。
(手数料はご負担ください)
============
郵便講座 記号14640 番号6596701
特定非営利活動法人笑国 ※トクヒ)エコと省略可
または
滋賀銀行錦織支店 普422746
らぶinびわこ実行委員会代表 山本孝子
===========
6月5日を過ぎてのお申し込みは当日支払いとします。
ただし受付での混雑が予想されますので、なるべく事前に案内ハガキをご入手ください。

事前にお申し込み下さった方には、ささやかなプレゼントを用意しています。

申し込み・お問合せは
らぶinびわこ実行委員会 
事務局NPO法人笑国(えこ) 代表 山本孝子
E-mail loveinbiwako@hotmail.co.jp
tel 090-5656-0747
fax 077-577-2608

ブース出展者もまだまだ募集中です。
(5月末まで・先着順)

*NPO笑国 代表 山本孝子よりメッセージ*

NPO法人笑国(えこ)は昨年4月に発足し認証と取ったばかりの団体です。
会員はみんな環境問題に関心を持ち、それぞれに生活での実践をしていますが
個人でできることには限界があると感じて団体を作りました。
ふだんは月に1回のゴミ拾いなどの活動をしていますが、
年に1度、楽しいお祭をすることで、もっと多くの人と繋がり、
関心や実践を広めることができるのではないかと考え「らぶinびわこ」を企画しました。

このお祭では、最後にびわ湖のほとりで参加者の皆さんに手をつないでもらうのですが、

それがいつかびわ湖を1周して輪になることを夢見ています。
そうなったときには、きっと何かが変わっていると思います。
第2回の今年はどのくらいの人が繋がってくれるでしょうか。
来年も、再来年も、続けていくつもりです。
みなさんとの出会いを楽しみにしています。


主催:らぶinびわこ実行委員会
後援:BBCびわ湖放送 滋賀県フットサル連盟 朝日新聞大津総局

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 
          『VIVA! CUBA×JAPAN FIESTA』
         ~キューバと日本に平和の橋をかけよう~

        ☆チェ・ゲバラの娘「アレイダ・ゲバラ」講演あり☆

          http://cuba-japan.com
                               
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ VIVA! CUBA×JAPAN FIESTA って? (一言で言うと・・・)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  キューバの魅力をいっぱい紹介するお祭です!
  キューバ医療映画・キューバ農業映画の上映、キューバについての講演、
  キューバの音楽&ダンス、キューバ関連他ブース出展等盛りだくさん。

  今回が初来日となるチェ・ゲバラの娘 アレイダ・ゲバラの講演会は
  必見です!!


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ プログラム
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  1部(13:30~16:30)※開場12:30
   13:35 マイケル・ムーア監督最新作『SiCKO(シッコ)』上映
 15:50 キューバ農業ドキュメンタリー映画『Salud!ハバナ』上映

  2部(17:30~21:10)※開場16:30
  17:35 吉田沙由里講演(NPOアテナ・ジャパン代表)
       テーマ「小さな国の大きな奇蹟」
   18:30 アレイダ・ゲバラ講演
       テーマ「父ゲバラ、キューバ、そして日本」
   20:30 コンパルサ(キューバの歌と踊り)
   20:50 平和の祈り
   21:10 終了
 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ VIVA! CUBA×JAPAN FIESTA 概要
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  日 程 : 5月20日(火)

  時 間 : 1部 13:30~16:30
         2部 17:30~21:10

  場 所 : 大阪府立青少年会館文化ホール
         (大阪市中央区森ノ宮中央2-13-33)
         http://www.opyh.jp/

  参加費 : 1部 1,000円
         2部 2,500円
         通し 3,000円
※全て自由席
         ※大学生以下は半額
         ※高校生以下は半額。

  定 員  : 1,200名

  申込み : 下記参照

  問合せ : TEL 078-802-5120
E-mail info@cuba-japan.com

  主 催 : VIVA! CUBA×JAPAN FIESTA実行委員会
         http://cuba-japan.com

  共 催 : C°(シード) http://www.c-do.jp/
        健康道場Sala Santi http://www.npo.co.jp/santi/
        NGO風人ネットワーク http://www.painukaji.com/
        NPOワンネス http://www.npo-oneness.com/
        Candle Night 1 Pi:ce実行委員会 http://www.1pi-ce.jp/

 
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ VIVA! CUBA×JAPAN FIESTA のご案内
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  ビバ、アミーゴス!!

  皆さん、キューバの事ご存知ですか?


  ☆都市の野菜自給率100%(1991年の食料自給率は40%程度)
  ☆医療費無料(予防医学中心)
  ☆教育費無料
  ☆環境先進国(省エネ家電化政策実施、クリーンエネルギー採用)
  ☆交通手段の中心がヒッチハイクという助け合いの心
  ☆歌と踊りを愛する芸術性あふれる明るい文化


  キューバは魅力がいっぱいです。
  今の日本が学べる事がたくさんあると思います。


  そして、そんなキューバの人達は、私達勤勉な日本人に対して尊敬の
  念を抱いてくれており、更に毎年8月6日に、広島・長崎の原爆慰霊祭を
  行っています。


  VIVA! CUBA×JAPAN FIESTA(略してビバキュー)は、こんなキューバ
  と日本に平和の橋をかけようと思いました。キューバの魅力をめいっぱい
  紹介し、日本からの平和のプロジェクトも紹介します。
  キューバと日本がもっとつながり、お互いの国がよりHAPPYな社会を
  築く事を願いお祭を開催します。


  ゲストにキューバ革命を成功に導いたチェ・ゲバラの長女であるアレイダ・
  ゲバラさん(初来日)を招き、父ゲバラについて、キューバについて、
  そして日本について語ってもらいます。


  また、農業・環境・キューバ交流活動等をしている方々のブース出展も
  予定しており、まる一日キューバが満喫できます!

  皆さんのご来場お待ちしております!


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ 世界ともしびプロジェクトについて(ビバキューで応援するプロジェクト)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  原爆投下から63年経つ現在に、広島を一瞬で廃墟とした戦災の火が、
  福岡県八女郡星野村で燃え続けている事をご存知でしょうか?
  戦争のない平和な世界を訴えようと、守り継がれたこの原爆の残り火
  「平和の火」を平和の結束として世界へ分火していくプロジェクトが
  NPOアテナ・ジャパン(代表 吉田沙由里)が行う「世界ともしびプロジェクト」


  です。そして、2008年にキューバへの分火が予定されています。
  ビバキューの収益金は全てこの「世界ともしびプロジェクト」の活動資金
  として寄付させていただきます。

  世界ともしびプロジェクトHP http://www.atenajapan.com/


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ アレイダ・ゲバラ紹介
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  1960年チェ・ゲバラと妻アレイダ・マーチとの間に長女として誕生する。
  7歳の時に父チェを亡くし、その後父と同じ医師になる。現在はキューバ
  親善大使を務めながら、小児科医として活躍し、父親ゆずりの行動力
  でラテンアメリカやアフリカを飛び回って、子供たちの医療活動などを行っ
  ている。また自らジャーナリストとしてベネズエラのチャベス大統領に
  インタビューしたり、昨年上映されたマイケル・ムーア監督作品『シッコ』
  でもキューバ医師としてインタビュー出演するなどの活躍もしている。

  <チェ・ゲバラについて>
  国境や国籍にとらわれず平等主義者であったチェは、ラテンアメリカ各地
  で反政府運動を行う中、フィデル・カストロとの出会いでキューバ革命に
  参加し、革命軍の指揮者として勝利に貢献した。その後、更なるラテン
  アメリカ人民の革命を目指してボリビアで活動中に、政府軍に捕らわれ
  て、1967年10月9日、銃殺されて39年の生涯を終えた。今でもチェの理
  念はラテンアメリカの礎となっている。





■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ 賛同基金募集
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  世界ともしびプロジェクトの賛同基金を募集しております。
   
  個人:1口 3,000円  団体・企業:1口 10,000円
  ※賛同者の方のお名前はアテナ・ジャパンHPで紹介させていただきます。

  【使用目的】
  2008年完成予定平和の火永久保存用モニュメント建設費用
  2008年キューバ国内「サダコと折鶴」小学生用教科書の作成
  プロジェクトに関する運営費用等
  ※収支は、年度末(3月末)にHPで公開いたします。

【振込み先】
三菱東京UFJ銀行 虎ノ門中央支店 普通 6603434
  トモシビキキン ダイヒョウ ヨシダサユリ

  口座入金後には以下の情報を事務局へご連絡いただけますようお願い
  致します。
  メールアドレス: tomoshibi@atenajapan.com
  氏名 、住所 、電話番号(任意) 、メールアドレス 、生年月日(任意) 、
  賛助金額 、URL(任意) 、会社名(任意)


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ ブース出展者募集!
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  農業・環境・医療・教育・平和・フェアトレード・キューバ関連等のブース
  を出展いただける方を募集しております。
  
  申込み締め切り:5月9日(金)
  ブース出展予定数:20
  料金(1コマ):3000円
  1コマサイズ:1800×450mmのテーブル×1、パイプイス×2

  詳しくはホームページをご参照下さい。
  http://cuba-japan.com
 

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ スタッフ募集!
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  農業やる人、医療に携わる人、サルサをやる人、キューバ音楽が好きな人、
  チェ・ゲバラのファン、環境に興味のある人・・・20~60代のいろんな人が
  集まって楽しくこのお祭を作ってます。
  がっつりスタッフ、ちょっぴりスタッフ、募集してますのでぜひ気軽にご参
  加下さい。

  スタッフお申込みは info@cuba-japan.com まで件名「スタッフ申込み」
  で、氏名・連絡先を明記の上ご連絡下さい。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■ メディアに掲載いただける方募集
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


  新聞・雑誌・TV・ラジオ・ミニコミ・フリーペーパー・社内報・学級新聞等
  メディアにご紹介いただける方を募集してます。ご連絡いただきましたら
  詳しい企画書および写真素材等をお送りします。
  ※ご連絡いただかなくても自由に掲載いただいて結構です。

  メディア専用お問合せは media@cuba-japan.com まで件名「メディア
  問合せ」で氏名・連絡先を明記の上ご連絡下さい。
   

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

2008年5月3日

カチカチAngels、デビューのゴミ拾いです!


ま、カチカチAngelsと命名してから、ですが・・・


リーダーかなえちゃん!
2008gomi001



ちびっ子たちも拾います。
2008gomi002



2008gomi003
わたしと、初参加のはせやん。


はせやんは、まじめで「全部拾うとなれば、午前中では終わらないじゃないですか!」と憤りを隠せない様子。


しかし、「義務感で拾うことないよ。こうやって拾う姿を見せることが大切やねん。楽しんでやろ^^」



そんな感じで拾っていると、河口?で遊んでいる子供たちがウミウシを発見!




2008gomi005


ううう~須磨にもこんな生き物がいたのね~(TOT)




2008gomi004
干からびかけた、ヒトデも!


かわいそうやな・・・


おにいさんの、アートの材料になってしまいました。



最後に、記念写真!


楽しい一日でした^^
2008gomi006

全国的に海岸を綺麗にしよう!と5月3日は一斉ゴミ拾いです~!


神戸でもやります!


神戸の海岸、といえば、須磨!


須磨海岸にて、ゴミ拾いをみんなでやります。


10:30 JR須磨海浜公園駅集合!


持ち物 ゴミ袋(スーパーの袋など)・軍手・水筒・お弁当


車のかたは、やしの木のところでお待ちください!


どちらも10:30です!


午後からは缶潰し大会開催予定。


たくさんのご参加、お待ちしています。