10分でわかる菅原伝授手習鑑
初段
02
加茂堤の段
加茂堤の松の根元に並んだ二つの車、一つは藤原、もう一つは菅原のものでした。
菅原道真の名代は左中弁希世、藤原時平の代参は三善清貫、彼らは加茂神社へ天皇の病気平癒の祈願に来ていたのでした。
祈祷の間、それぞれの車を引く牛の牛飼いは肘枕でのんびりと寝転んでいました。
菅原の車を引くのは梅王丸、藤原の車を引くのは松王丸。彼らは兄弟で、弟の桜丸と三人、珍しい三つ子でした。
三人が産まれた時、その珍しい話を菅原道真が聞いて、三つ子は天下泰平の相だ、と三人が成長した時に舎人として牛飼いになれるよう取り計らったのでした。
さらには彼らの父の四郎九郎は菅原道真の大事にしている梅松桜を預かって禄をもらい、佐太村で暮らしていました。
三人はその梅松桜から名前をもらい、長男から梅王丸、松王丸、桜丸と呼ばれていたのでした。
\咲寿太夫のまめめも/
▼菅原道真と梅の関わりは深く
太宰府といえば梅、というくらい
梅王丸は菅原道真の舎人、松王丸は藤原時平の舎人、桜丸は斎世親王の舎人として、天下泰平の守りとなるよう三者それぞれ別の立場の人に仕えていました。
そこへ、桜丸も車を引いてやってきました。
桜丸はのんびりとしている二人に、神事は半分終わったのだからそろそろ行ったほうがいい、菅原と藤原の名代の方々が宮中の御用があるといって騒いでいたぞ、と言いました。
それを聞いて、梅王丸と松王丸は連れ立って加茂神社へ向かっていきました。
\咲寿太夫のまめめも/
▼文楽の芝居にはたくさんの寺社仏閣が
登場します。
その多くが上方、つまり関西圏の寺社仏閣です。
後ろ姿を見送り、桜丸はひとり手拍子を打ちました。
それが、誰もいなくなった合図でした。
道辺の草陰から、桜丸の妻の八重が十五、六歳の姫を連れて出てきました。
菅原道真の娘、苅屋姫でした。
桜丸は引いてきた車の御簾を引き開けました。
そこに乗っていたのは、加茂神社にいるはずの斎世親王でした。
苅屋姫は斎世親王と顔を見合わせ、にっこりと微笑むと袖で顔を隠しました。
苅屋姫はこれまで斎世親王に恋文をしたためてきましたが、逢える機会があれば逢いたいと斎世親王から返事があったのです。
斎世親王もまだ十七歳の初心な初恋。
八重は苅屋姫を抱き上げると、車に押し入れました。
桜丸は心得て車の御簾を下ろしました。
\咲寿太夫のまめめも/
▼車というのは牛車のことで、
菅原道真と牛は、梅と並んで印象深い組み合わせです
桜丸はこの日のためにお供の衆に口止めの賄賂を渡したりして下準備をしてきたのでした。
ふたりの念願叶った後、汗を洗い流す水がいるだろうと、桜丸は八重に水を汲みにいくように言い、八重は神前へ向かったのでした。

しばらくすると、俄かに騒がしくなり、藤原時平の代参の三善清貫が役人や仕丁を連れてやってきました。
桜丸が斎世親王を連れて行ったという噂を確かめにきたのでした。
桜丸は知らないと突っぱねましたが、三善清貫は力づくで車を取り調べようとしました。
車は舎人の預かり物だと桜丸は抵抗し、片端から薙ぎ払って追い返していきました。
騒ぎを聞いた斎世親王と苅屋姫は人に見られてはいけないと、隙を見て車から飛び下りて逃げていきました。
走って戻ってきた桜丸は御簾の内にふたりの書き置きを見つけました。
追いついてお供をしなければ、と水を汲んで戻ってきた八重に事を話しました。
八重は桜丸の代わりに車を斎世親王の御所へ引いて行くことになりました。
八重が夫の白布の狩衣を受け取ると、桜丸は飛ぶように走って行きました。
03
とよたけ・さきじゅだゆう:人形浄瑠璃文楽
太夫
国立文楽劇場・国立劇場での隔月2週間から3週間の文楽
公演に主に出演。
その他、公演・イラスト(書籍掲載)・筆文字(書籍タイトルなど)・雑誌ゲスト・エッセイ連載など
オリジナルLINEスタンプ販売中
豊竹咲寿太夫
オフィシャルサイト
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