10分でわかる菅原伝授手習鑑
大序
01
大内の段
中国、唐の伝説に、青々とした山の松が美女となり現れ、珊瑚の玉のように美しい梅花は美しい佳人となって現れたとあります。
このような話は日本にもあり、人の名前に松や梅、桜などになぞらえると、花にも情が移ります。
天満宮の天神と名高い菅原道真が愛した梅の花に「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主人なしとて春を忘るな」と詠んだ歌があります。
この歌の心が現代にまで通じる、これからお話しする物語はそのような話なのです。
\咲寿太夫のまめめも/
▼菅原道真が流された太宰府には
彼の代名詞ともいえる梅が咲き誇っています
菅原道真は文学に精通し、書道の奥義を極めた人でした。
醍醐天皇のもと、右大臣として左大臣の藤原時平と並んでいました。
醍醐天皇は少し前から風邪で病床に臥しているため、弟宮の斎世親王がお見舞いに参内しました。
そんなところに、満州の東部にある国、渤海国から使者が訪ねてきました。
徽宗皇帝の命で、醍醐天皇の絵姿を描き、その絵を持ち帰って日本の天子として対面したいとのことでした。
帝の病気を事実のままに使者に伝えるかどうかを悩んだ菅原道真は、藤原時平に何かいい案があるか相談しました。
藤原時平は、身代わりをたてて使者に拝ませれば面倒ごとにならずに済むとし、左大臣の立場である自分がその役を引き受けようと言いました。
菅原道真は帝の代わりに臣下をたてることは良くない、ちょうど弟宮の斎世親王が参内しているので、斎世親王にお願いするべきだとしました。
病床の天皇本人は斎世親王に代理を頼むと言いました。
\咲寿太夫のまめめも/
▼三浦しをんさん菅原伝授手習鑑
唐の使者の僧が通されました。
僧は斎世親王の姿を前に絵姿を描き写しました。
斎世親王は完璧に代理の役を成し遂げ、唐僧は非常に満足して去っていきました。
僧が退出すると、藤原時平は斎世親王から天皇の装束を強引に脱がせました。
そして、無位無冠である斎世親王が着たことでこの装束は穢れた為、処分するために自分が預かると言いました。
道真は、それは謀反の行為だと誤解される、と心配を口にしました。
\咲寿太夫のまめめも/
▼斎世親王は皇族ですが、位階など
無位無冠で天皇の装束を着たことが
問題だと時平は主張したいのです
斎世親王は菅原道真に向かうと、醍醐天皇からの伝言を伝えました。
菅原道真の書道の奥義を一代限りで終わらせるのは非常にもったいなく、道真の子の菅秀才はまだ幼いので、書才の優れた弟子の誰かにその筆法を伝授するように、とのことでした。
道真は醍醐天皇の言葉に、自分の弟子から誰かひとり選ぶため、これから自宅にこもって吟味することを述べました。
こうしてここから、菅原道真をめぐる物語が幕を開けたのです。
02
とよたけ・さきじゅだゆう:人形浄瑠璃文楽
太夫
国立文楽劇場・国立劇場での隔月2週間から3週間の文楽
公演に主に出演。
その他、公演・イラスト(書籍掲載)・筆文字(書籍タイトルなど)・雑誌ゲスト・エッセイ連載など
オリジナルLINEスタンプ販売中
豊竹咲寿太夫
オフィシャルサイト
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