芦屋道満大内鑑
葛の葉子別れの段・口
〽︎隣柿の木を、十六七かと思うて覗きゃしをらしや、色づいた。
かけて織る所も阿倍野の芦垣の、間近き住吉、天王寺。霊仏霊社に歩みを運び、父はわが子の出世を祈り、母は心を染機の辛気辛苦を縦横に、筬投ぐる間の手すさびも子に世話おるとぞ見えにける。
母は機屋を立ちいでて
「コレコレ坊ち、昨日も父様『こいつには悪い癖がある。ただ虫けらを殺したがる。今から殺生好んでろくな人にはなるまい。必ずヤンマ釣るなよ。ねぎやイナゴを殺すな』と、お叱りなされたを忘れてか。
必ず必ず庭より外で悪あがきしてたもんなや。
サアここへおじゃ、ここへおじゃ。さっきにから間もある。
乳飲んで昼寝しや」
「アイ、そんなら母様、晩には松虫塚へ虫をたんと取りにいくぞや」
「オオ安いこと。それも父様連れてござろう。コレ小言言わずと、ねんねこせ〳〵、ねんねが守りはどこへいた」
手間暇取らずすやすやと母に添い寝の稚子は、いかなるよい夢見るやらん。
折から来かかる木綿買い。門口から声高に
「おか様うちにか。
ホヽ添え乳なされてじゃ。この頃の雨続きでめっきりと木綿の値がよいが、織りだめがあらば一疋でも半疋でも売らしゃんせんかい」
「アヽこれ今子どもの寝入口。嵩高に物言うてくださんすな。売る木綿は布一尺もござんせぬ。
ほんに今日ほど不思議なことはない。つひに見慣れぬ木綿買いたち。ないと言うに立ち替わり入れ替わり、こなさんで三人。そして家の内や人の顔をきょろきょろと合点のいかぬ木綿買いたち。
サ、ない処に長居せずと、とっとと去んで下され」
と、愛想なければ
立ち上がり
「ハテおか様、そう没義道に言わずとも、仕事は心につれるものじゃ。
気だけを長う、心の幅広う。
詞に艶もあるようにそのうち織ってくださりませ。また御無心に参らう」
と、元来し道へ帰りける。
「アヽよしない事に暇取りしが嬉しや日脚も八つがしら、七つの墨へは届く手の、片付けてもうけせん。ねんねこ、ねゝこ」
とたたきつけ、また機前にさしかかり
〽︎隣柿の木を十六七かと思うて覗きゃしおらしや
卑しうはあらぬ褄はづれ、老人夫婦の旅姿、娘めく人介抱し、人の教えのそんじょそこと軒を目当てに尋ねより
「オヽ、ほんにここよ」
と父の老人、二人を近づけ
「保名の在所聞くと等しく、これまで同道はしたれども、よくよく思へば別れてよりはや六年、長の年月生き死にの問い訪れもせず、この方こそ変わらねども、保名の心底はかり難し。
まづ某一人対面し、所存を聞いてその上で母も娘も呼び出さん。
暫くここに影かくせ。いで案内せん。
頼みましょう、物申さん」
と内に入り、見れども〳〵人はなし。
「さては保名は他出召されしか。
あの機音は召使いか。
御免あれ、それへ参る」
と窓に立ち寄り顔見合わせ
「さても似たり」
とびっくりし、興覚め門へ駆け出づれば
女も窓の戸引きたてて、織る手拍子の音すめり。
「ヤレ〳〵、母よ、娘よ、奇妙々々。娘の葛の葉があそこに機織っているわい」
と呆れ顔
「アヽつがもない。これ、ここにいる葛の葉が何のあそこに機織っているものぞ。広い世界に同じ人間。似た人もあらいでは。
アヽ仰山な」
「いやなう、大概物の似たという物は烏と烏、雪と雪。
その段ではない。
正真正銘の娘の葛の葉よ。疑わしくば覗いておみやれ」
「それは興がる似た人や。娘もおじゃ」
とさし足し、忍ぶ間近き窓障子。破れに二人が息をつめ、覗けば見交わす顔ばかりか
「どなたじゃ、誰じゃ」
と言う声まで、似はせでやっぱり本ぼんの、葛の葉も肝潰れ、母の手を引き逃げ出づる。
「ナウ〳〵親父殿、ものが言われぬ。あちらがまことの葛の葉か、これがほんの葛の葉か。親の目にさへ今となり、子にどまぐれて気が迷う」
と投げ首すれば
葛の葉も
「かか様お道理でござります。わしが心にさへ、おれがあの人か、あの人がおれかと思はれて俄に胸がやるせない。
とと様どちらをどうという分別なされて下され」
と袖に縋れば
引き寄せて、三人顔を眺め合い、溜息
〽︎ついたる折からに