蛇美仙って何のこと?▶︎三味線のことでした。文楽の三味線弾きの名前に「澤」がつく理由。 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫


三味線は琉球を介してやってきました。



皆さま、こんにちは。

人形浄瑠璃文楽の太夫、豊竹咲寿太夫
さきじゅだゆう
です。


さきじゅと呼んでください。






今日は文楽の三業の中の三味線について少し書こうと思います。







三味線はどこから来たの




三味線の原型になるものは大陸から渡ってきたといいます。


琉球に渡り、蛇美仙といわれたのだそう。

その字の通り、本体の胴の革は蛇でした。




その蛇美仙が伝来したのは永禄5年(1562年)のこと(義太夫執心録より)。

その2年前には桶狭間の戦いで織田信長が大勝しています。



つまり室町時代です。






早速、蛇美仙は宮中へと運ばれ、琵琶の達人の滝野検校が召し出されました。


*検校とは盲官の最高位のことです。



そうして宮中で滝野検校により、蛇美仙の音が奏でられたのです。





それから京都の琵琶の細工職人だった亀屋市郎左衛門石村という人に普及する形にするよう仰せがありました。



本土では蛇の革を大量に仕入れる事ができなかったため、猫の革を使い、それに合わせて胴の形も変え、現在の三味線になったといいます。









三味線が誕生したのは室町末期!







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三味線の普及



とはいえ!


はじめはなかなか普及しませんでした。



義太夫執心録にはこうあります。




琉球より渡し時は
格好琵琶に似て
彼の国の楽器にて
なかなか賤しき
下々の持てはやす
べきものではなく







まだ庶民的に普及するには時間がかかったようです。

さて、琵琶法師の手によって改良されていった三味線がいつ本格的に義太夫三味線として流通し始めるのかというと、ある音曲の名人と言われる人の登場を待たなければいけません。




室町時代が終わり、安土桃山時代から江戸時代にまたがる
慶長
の時代。



角沢(沢角とも言われている)検校がこの三味線に目をつけたのです。



浄るり御前の物語
「長生殿十二段」を三味線を使い、またこれまでになかった新たな手を色々と交えて語ったのです。




これが義太夫三味線の弾きはじめだと言われています。




さてこの角沢検校、かなりの長生きだったらしく、その弟子の数も大勢にわたったそうです




その弟子たちに、芸名として自らの名前から「沢」の字を譲ったのが、三味線の皆さんの芸名の「〇〇澤」の起こりだと言われています。









角沢さんが全ての始まりの人。






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きつねただのぶさん


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参考文献:義太夫執心録









とよたけ・さきじゅだゆう
:人形浄瑠璃文楽
ぶんらく
太夫

国立文楽劇場・国立劇場での隔月2週間から3週間の文楽
ぶんらく
公演に主に出演。


その他、公演・イラスト(書籍掲載)・筆文字(書籍タイトルなど)・雑誌ゲスト・エッセイ連載など
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