10分で分かる「心中天網島」あらすじその1【北新地河庄の段】下 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫

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国立劇場令和元年九月公演チラシより引用



10分で分かる心中天網島






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その1
「北新地河庄の段」下






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天満の町中に、昔からどっぷりと鎮座している神さまのように「紙様」の噂は居座っていた。



紙屋治兵衛は金を懐に、しめ縄のように結び合っていると自分では思っている小春の元へふらふらと向かっていた。

今は十月。

神無月である。
結びの神も、この地を空けているのだ。

様々の横槍で、会いづらい二人ではあるが、次会うことができたなら、もうそれが二人の最期の覚悟を決める日だと、このあいだの手紙でも約束していた。


治兵衛は魂の抜けたように、うかうかとぼとぼ歩いていた。







煮売屋の前に差し掛かると、治兵衛の耳に小春が河内屋で侍客をとったという噂が聞こえてきた。

「今夜こそ」



治兵衛は心に覚悟を決め、河内屋へと歩みを進めた。




河内屋の格子から覗き込むと、侍客は頭巾を深くかぶったまま小春と対峙していた。

格子の隙間から見える小春の背けた顔は痩せていて、おれの心も同じだ、と治兵衛は心苦しくなった。



侍客がのそりと立ちあがり、

「遊女の悩み話は気が滅入る。外に近いところで行灯でも見ながら気を晴らそう」

と格子の方へ寄ってきた。

治兵衛は見つからないように身をすぼめた。
侍客のその声にひっかかるものがあったが、その正体は何か分からなかった。


「さっきからの話の端々から察するに、小春殿はその紙屋治兵衛とやらと心中をするつもりであるか。そこまで思いつめておるのなら、わたしの話も耳には入らぬであろうが、まあ愚痴の類いだと思って聞いてくれ。

遊女のそなたに親がいるかは知らぬが、心中をして穏やかにあの世へいけると思うでないぞ。
一見の客でありながら出すぎた真似かもしれんが、それも武士の役だ。目の前でみすみす死に行く者を助けないことはできん。
五両や十両でも助けたい。
侍冥利に懸けて、他言はしないと約束しよう。

本当の気持ちを言ってみなさい


おそらく、店の中に聞こえないように気を配っているのだろう、格子際で囁くように侍客が小春へ言葉をかけた。

「馴染みもよしみもないこの私にそのような情けをかけてくださり、涙がこぼれます。

誰にも漏らさず、心のうちに秘めていたのですが、やはり分かってしまうものなのですね。

その通りでございます、治兵衛さまと死ぬ覚悟でいます。
わたしは親方に囲われて、もう治兵衛さまと会うこともできなくなりました。
年季はまだ五年あります。
その間に他の人間に身請けされるのは、治兵衛さまの男の面目もたちません。
そんな治兵衛さんから、いっそ死んでくれないかと言われれば、義理詰めに引くにも引かれず、はいと返事をいたしました。

わたしには母がいます。
南で内職をしながら裏屋住まいで、もしわたしが死んだ後には、飢え死にしてもおかしくありません。

わたしの命はひとつ。
水くさい女と思われるでしょうが、その恥を捨てて申しますと、本当は死にたくありません。

お侍さま、死なずに全てが済むように、どうかお願いいたします」

格子際に身を潜めている治兵衛は、意外な告白に木から落ちたかのような衝撃を受けた。
いっしょに死にたいと言ってくれたのは、ただの義理であったか。
嘘だったか。
みんな嘘だったのか。

そう考えると、治兵衛はふつふつと怒りすら湧いてきた。


二年通い続け、心中の約束までして、その心根か。
狐に化かされたようなものだ。

踏み込んで恥をかかせてやろうか。


治兵衛の心はどんどん歪んでいく。
唇をかみ、悔し涙をこらえることができなかった。




河内屋の中では小春が涙を流していた。

「卑怯ではございますが、お侍さま、この先もわたしに会いにきてくださいませ。
そうして、あの男が来るたびに邪魔をしてくださりませんか。
そうすれば、あの男も自然と手を切るでしょう。
そうすれば、わたしも命が助かります。

どうして死ぬ約束などしたかと、考えれば悔しくて、悔しくて

小春は侍の膝にもたれ、恥をしのばず泣いていた。



「わかった。わたしにも考えがある。さあ、人に見られてもいけないな、障子をしめようか」

侍はそう言うと、格子の障子をばたばたと締め始めた。

治兵衛は半分狂乱状態である。



やはり所詮は売り物女であったか。

根性を見間違え、魂を奪われた。

安い娼婦め。金ばかりが目的だったか。



締まった障子に映る二人の影を、治兵衛は目を鋭くして睨みつけた。

斬ろうか、

突こうか、

こうなってはこの腰の刀が、あの美濃の国の有名な刀工、関の孫六が鍛えた刀のように心強く思える。

治兵衛の心は急き、関の孫六よ、とばかりに自分の刀を抜くと、格子の隙間から小春の脇腹を狙ってひと思いに突いた。




と、思ったのは治兵衛だけであった。

目測よりも格子から小春までは距離があり、刀は届かなかったのだ。

すかさず侍が治兵衛の両手をむんずと掴んで力任せに腕だけを引き入れて、格子の柱に紐でがんじがらめに括りあげた。



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壁を抱くようにして、格子に捕らわれた治兵衛はなすすべもなく、障子の向こうに映る侍と小春が奥の間へ去っていく様を感じ取っていた。

紐を解こうともがけば、反対により締まってくる。
まるで繋がれた犬だ。
この身は煩悩に繋がれているのだ。

生き恥を晒しているようなもの。




治兵衛は血のにじむ思いだった。






そこを具合の悪いことに、太兵衛と善六が通りかかった。

「格子覗いてやがるのはどいつや。なんや、頰かむりなんてして。取れ、取れ

そう無理矢理に治兵衛の頰かむりを取り払った。

治兵衛か。おまえに会いたかったんや」

そこで、太兵衛はようやく治兵衛が格子にくくりつけられていることに気付いた。

「おい、善六、見てみい。括りつけられとるわ」

善六はげらげらと馬鹿笑いを返した。
太兵衛は嫌らしく治兵衛に詰め寄る。

「ははあ、さては盗みでもしでかしたか。この泥棒め、強盗め」

太兵衛は治兵衛が動けないのをいいことに、治兵衛を蹴りとばした。

そうして大声で「紙屋治兵衛が盗みして縛られた」と喚き始めた。


行き交う人々も、近所の人々も何事かとざわざわ集まり始めた。


すると、河内屋の中から先ほどの侍が飛んで出てきて、善六を突き飛ばし、太兵衛の腕を捻じ上げた。

「痛い!! 痛い痛い痛い!!」

「この治兵衛は盗みなどではなく、訳あってわたしがここに縛りおいたのだ。治兵衛が何を盗んだというのだ」

侍は太兵衛を土の上へ倒した。
起き上がろうとする太兵衛をまた踏みつけ、再び引き捉え「さあ、何を盗んだのか言ってみろ」と言った。

踏みつけられて土まみれになった太兵衛は立ち上がって睨め回した。

「おい、野次馬ども!! よくも見物しやがったな。
つら
覚えた。覚えておけ」


と減らず口を叩いて逃げていった。




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野次馬がひいていき、侍は治兵衛に寄って縛り目を解いた。

「治兵衛、わたしの顔をみろ」

治兵衛は言われるがまま、侍を見上げた。
そこにあったのは治兵衛の見慣れた顔だった。

「あ、兄か」

治兵衛の前にいたのは、
兄の孫右衛門だった。

「面目ない」

治兵衛はそのまま地面にどうと伏した。

そこへ小春が走り出てきた。


治兵衛は小春を見、「畜生め」と口走った。

そんな弟の姿に孫右衛門はため息をついた。

「治兵衛、人をたらすのが遊女の仕事や。

弟とはいえ、三十に近いうえに六つの子と四つの子の親。
お前の女房のおさんはおれにとっても従姉妹やし、結びあった親類の仲やろ。
親族が集まっても、お前の曽根崎新地通いの悔やみの話しか出えへんのや。
姑は叔母。
叔母はかわいそうに、連れ合いの五左衛門殿から『おさんを連れ返して、天満中に恥をかかせてやる』とまで言われてるんやぞ。
ただの粉屋でありながら、このおれが歌舞伎役者の真似事のようなこんな馬鹿をしたのは叔母の心を休めたい気持ちもあったんや。
小春の心底も見届けたかったのもあるし、河内屋の亭主に工面してお前の病いの根源を見届けたかった。
女房も子供も見捨てるような結構な弟を持って、あんまりのことで胸が痛い」

歯ぎしりをしながら、顔を歪ませ、孫右衛門はせきくる涙を堪えた。

小春は終始むせ返り、涙にくれていた。



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「兄、すまなかった。すまなかった・・・。

あの古狸の遊女に魅入られて親妻子まで疎遠にし、財産までも食いつぶしてしまった。



後悔している。

もう心残りはない」

そう言うと、治兵衛は肌にかけていた守り袋を外し、地面にはたと打ち付けた。


「月のはじめに一枚ずつ神に愛情を誓って交わしたこの起請、全部で二十九枚、戻せばもう恋も情けもない。受け取れ。

兄よ、あいつの方の起請も受け取ってくれないか。

そうして、全て火にくべてくれ」


「もう思い切るか」


治兵衛は頷いた。


「よく思い切った。

小春殿、治兵衛はこの通り、男になりました。
この治兵衛の起請も返します」

「お前も兄へ起請を渡せ」

治兵衛の声に、小春も「心得ました」と涙ながらに守り袋を孫右衛門に渡した。

孫右衛門は守り袋を開き、起請の数を数える。

「たしかに、こちらも二十九枚」

と、守り袋の中に、女性の筆で一通の手紙が入っていた。
これは何だ、と孫右衛門が開いて眺めた。

慌てて小春が「それは大事な手紙」と孫右衛門に取り付いた。


「小春殿、さてはこの手紙の客の義理立てをして・・・」


意味がわからないのは治兵衛である。
「兄よ、何を意味のわからないことを。その手紙は何や」

孫右衛門は何食わぬ顔で手紙を閉じ、

「どこの客のものであろうと、思い切った遊女のことや。構うな、構うな」

と治兵衛を押さえ、小春の方を向いた。




「小春殿、先程までは侍冥利だったが、今はもうただの粉屋。商い冥利だ。全て分かった。河内屋の中で交わした会話も全て理解した。
たしかに、これは、心中して死のうとは思えんわなあ。
いや、真実を言わんのは遊女の常や。
よお分かった」



「孫右衛門さま、その手紙は誰にもお見せにならないでください」

「うむ。必ず起請と共に火にくべて焼こう。誓おう」

「ありがとうございます。それで、わたしも女が立ちます」

「兄よ、どうもたまらん。
たった一度、こいつの面を」

いきる治兵衛を孫右衛門は押しとどめた。

「どうするんや」

「・・・何もせん。いや、ちょっと言うだけ」

孫右衛門は小春を窺い見た。

「言うだけやそうや。ええか」

小春は頷いた。
孫右衛門は治兵衛に続きを促した。


「足掛け三年というもの、恋しゆかし、愛しい可愛いも今日という今日、愛想が尽きた」


わっと泣き出す治兵衛であった。

孫右衛門は治兵衛を連れ、小春に背を向けた。



帰る姿も痛々しく、あとを見送る小春も声をあげて嘆いていた。






いったいその小春の行為は誠実からくるものなのか不誠実からくるものなのか、心中は女の一筆の奥深いところにあることは誰も知らないのだ。



なぜなら誰ももうその文を見ることはないし、踏みいることもないからだ。










そうして、この恋の道を、ふたりは別れて帰っていったのだった。
























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