人形遣いの主遣いはどうして黒衣じゃないの??人形浄瑠璃文楽の豆知識 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫


人形遣いさんの変遷。













こんばんは!


アシスタントのシェリーです




今日は、よく尋ねられる人形遣いの主遣いの人はどうして黒衣じゃないの??という質問について考えてみたいと思います。






さて、そもそもなのですが、人形浄瑠璃がだんだんと芸能として出来上がってきたころ、今とは決定的に違う点がありました。




当時はひとり遣いだったのです!!!



人形浄瑠璃を含め、若衆歌舞伎・野郎歌舞伎、能、相撲、その他大道芸や動物芸は河原に簡単なセットをこしらえて上演している屏風絵などが残っています。

近松門左衛門が生まれるよりもやや前の時代。


その頃は櫓のような建物に、低いところに瓦葺きの屋根のようなものを取り付け、その後ろで人が隠れて人形を差し上げて遣っていたの



太夫・三味線はその横で語っていた。

人形のサイズも1メートル以内くらいでしょう。
今の人形は腰の部分から手を差し入れて遣うのだけれど、当時のひとり遣いの人形というのは人形の脚はなく、裾の中へ手を突っ込んで遣っていたの。

間違いなく今にくらべて単純な動きだったことと思うわ。






さて、人形浄瑠璃・歌舞伎は新興の芸能の中でもダントツに市民の人気が高かった



市民の需要に答えるにつれ、芸の規模は大きく、レベルも高くなってくるのは想像にかたくないわよね。





名人と呼ばれる人たちが誕生し、その人たちが芝居小屋を持つようになるの。





そうして、それくらいの時代に産まれたのが近松門左衛門と竹本義太夫



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週刊誌記者
近松門左衛門




竹本義太夫も例にもれず、人形浄瑠璃の芝居小屋「竹本座」を作ったの。




もちろん、まだひとり遣い。


その頃書かれた絵では、人形遣いさんはついたてのような物の後ろで人形を差し上げて遣っている



竹本座は人気を博したのだけれど、竹本義太夫は経営には向かなかったみたいで、だんだんと経営難になってくるの。



そんな時に上演されたのが、あの曽根崎心中




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その上演の絵で人形遣いさんのついたては骨組みだけになっているの!


この時の出遣い、つまり、姿を表して肩衣袴で正装して遣ったのが、観客にウケたんだって!



こういった芸能はほかにもお公家さんの前で上演することもあったから、肩衣袴の正装姿はむしろ自然な流れ。



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その流れをくんで、時代が流れて3人遣いに進化した今でもメイン演者である主遣いの人は袴をはいて正装姿で人形を遣っているのね





いつでも思うけれど、どんなことにでも、理由というよりは時代の流れや時間の推移からの変化があって、「だから」今の形になっている、ということが多い




だから、何でも現代の常識だけで物事を考えることは少し軽率だと思うわ。




なんて、戯言でした








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