いい用兵とは、敵の策を未然に防ぐ事である。

その次は外交で敵(親)を孤立させる事であり、

その次は敵(親)とめくりあう事であり、

最も劣るのはラス目とめくりあう事である。

ラス目を攻めるという方法は、他に手段がなくてやむを得ずに行なう

 

自分が倍満以上ならダマにし、満貫~跳満で先制なら攻撃し、現物待ちならダマで叩き、3900~満貫ならリーチし、2600以下なら退却し、敵が高そうなら避ける

 

勝利を予知するのに五つの要点がある。

(一)戦ってよい場合と戦ってはならない場合とを分別している者は勝つ。

(二)トップ目とラス目それぞれの運用法に精通している者は勝つ。

(三)上下の意思統一に成功している者は勝つ。

(四)迷彩やダマテンを仕組んで、それに気づかずにやってくる敵を待ち受ける者は勝つ。

(五)店長が有能でオーナーが余計な干渉をしない店は勝つ。

 

彼を知り己を知れば、百戦して殆[あや]うからず。

用兵とはスピードである

 

麻雀で鳴いて安手をアガりにいく場合

・鳴くべき手牌か

・待ちはアガれそうか

・相手が追いつきそうか

・鳴いてまでアガりにいく価値がある状況か

・相手がリーチと来てオリる場合、安全牌が複数枚あるか

・流局までどう立ち回るか

これらを考えて勝算があって初めて鳴くべきである

 

鳴いた場合、長期戦になれば安全牌も増え、待ちは透けてきてしまう

そうなるとそれまで中立だった敵も兵をあげる始末となる

 

2軒リーチに挟まれ窮地に立ってしまえば、いかに知謀の人でも善後策を立てることはできない

だから鳴く場合は素早く切り上げるということはあっても長引いていい事はない

 

戦争を繰り返せばいつか放銃して点棒が貧しくなる

だから上手い打ち手は何度も安手を鳴いてめくりあいにいくことはない

 

敵の点棒を奪うのは利益のためである

勝利を第一とするが、長引くのは良くない

1. リーチは麻雀の命運を決する重大事である

金銭の損得、昇級降級を分ける道の選択はくれぐれも明察しなければならない

 

2. 5つの基本事項(五事)

・道:民心  ・天:流れ  ・地:相手との距離、上下の雀力や並び

・将:打ち手の能力  ・法:自分の定石、押し引きの基準

具体的な比較検討する基準(七計)

・どちらが民心を得ているか

・打ち手の能力はどちらが優れているか

・天地がもたらす利はどちらにあるか

・押し引きの基準はどちらが明確であるか

・打点はどちらが高いか

・どちらの待ちがいいか

・点棒状況的にどちらに利があるか

これら比較検討によって開戦前から勝敗を察知する

 

3. 麻雀とは敵を騙す行為である

オリていても敵にはオリていないように見せかけ、テンパイしていてもノーテンに見せかけ、実際はノーテンでもテンパイに見せかける

敵が供託とりに鳴いてる時はその供託を餌に高打点で打ち取り、敵がメンゼンの時は鳴いて奪い取る
敵が高そうな時は防禦を固める
敵がダントツな時はめくりあいを回避し、敵がダンラスの時はサッとアガリ親を落とす
敵が謙虚な時はリーチをかけ、敵がアシストしてる時は分裂させる
敵が鳴いている時は攻撃する。 敵が安全牌少ない時にリーチをする

 

戦う前に勝つと確信してるのは、五事・七計を元に得られた勝算が相手よりも多いからである。

勝算が多い方は実戦で勝利するし勝算が少ない方は実戦で敗北する。

もはや勝敗は目に見えている。

 

 

 

雀荘を辞めファミレスのホール係を週3やることにした

ファミレスで半年働いていたある日酔っぱらいの客が暴れ、バイトリーダーの俺が酔っぱらいを帰したら、次の日クレームがきて解雇される(当然今なら不当解雇)

じゃあどうすればよかったんだ?

 

辞めた雀荘に打ちに行くとバイトが全員辞めていて、系列のピン雀でアウトオーバーのメンバーが次々送り込まれ早番も遅番も社員のみの体制になっていた。

例の4万点までご案内はバイトを全員辞めさせるための社長の策だったのだろう。

 

そして早番が4人ちょうどしかいないため誰も休めない状況になっていたw

平日週に1度社員をそれぞれ休ませるため月~木まで働くメンバーが必要と感じていたらしく、私は時給750円12時間労働の週4勤務で復帰した

 

ちょうどその年、麻雀のプロ試験を受け正規合格

水道橋の雀荘から好条件での引き抜きがあり、水道橋の雀荘で働くことになった

その雀荘では好条件で引き抜いた次月に時給を下げてきた上に、さらに4か月後交通費までカットすると言われた為辞めることにした。

 

無職にはなったが、部屋から徒歩2分の場所にピン雀ができたので昼間はジムで鍛え、夜はフリーで稼ぐ生活にした。

近くて便利だったためしょっちゅう行ったが、あまりにも勝ち過ぎてしまったため徐々に客は減り1年持たずそのピン雀は潰れた。

 

ちょうどその時期に隣人とのトラブルもあったので、ピン雀が3軒ある大久保に引っ越した。

昼間は津田沼の0.5で打って夕方に寝て、夜中起きて各ピン雀を週1~2回ずつローテーションで通うことで店からマークされる事なく稼いだ。

その後29歳までは雀荘で働くか、仕事せずピン雀で稼ぐという生活が続いた。

 

数年後A1に昇級したので競技麻雀に悪影響がでないようフリー雀荘通いを控え、貯金で中古マンションを購入した

普通の仕事を探し職を転々としたが雀荘勤務ほど稼げない上にA1の会費はかなり高かったため、麻雀プロでA1にいた頃が人生で最も金に苦しい時期であった。

 

 

A1在籍5年 鳳凰〇戦準優勝 B1優勝 B2優勝 タイトル戦決勝進出3回

 

プロを辞めた後、会費がかからなくなった事と仕事に就けた事もあり生活は多少楽になった

マンション売却した資金を元手に現在は投資で貯金が減らない程度の収益を出している

 

 

次回からは孫子兵法について書きます

 

 

 

手術後家にいても暇なので雀荘に通うようになった

津田沼のDという雀荘と千葉のAという雀荘から「メンバーをやらないか?」とスカウトされる

雀聖の強い薦めもあり千葉のAという雀荘で勤める事になった

 

Aは0.5で時給800円だが、11時間以上勤務すると時給が750円に下がる謎システム

ゲームバック無しだが規制はたくさんあり、赤3pの祝儀がなく箱下精算もないので場代込みでプラスするのは相当キツイ

 

メンバーの禁止行為は

アガラス、モロ引っかけ、途中流局で客の親を流す、バック仕掛け、片アガリ仕掛け、一発消し、海底ずらし、1000点仕掛け、ドラを鳴かせてオリる、上が競り状況でのアガ3、トップを入れ替えるアガ3

 

最初は6時間労働

早番には社員が2人いて普通は社員2人が本走1.2番手になるが、フリーで打ち慣れていて負けそうにないという事で私は最初から本走1番手であった。

アウト帳にプラスがどんどん積み重なってしまい、

店長「社長に怒られるので勝ち分は持って帰れ」と言われ、勝った日は持ち帰る事にした

結局1か月目は+5万以上で6時間労働なのに月給16万超え!

フルタイムの正社員でも手取り10万だったのに、雀荘ってこんなに貰えるの? 

美味しいと感じたのに次の月からは10時間労働にしてもらうことにした

 

次の月以降バイトながら月170~290半荘打つことになる

勤務時間が長くなると集中力が落ち、あり得ないほどの好成績にはならなくなったがそれでも毎月場代込みでプラス

 

勤務8か月後あり得ないメンバー規制ができた。それはメンバーは4万点持ちまではご案内すること

点棒持っている時は最後まで打てず、点棒がない時だけ最後まで打つので絶対勝てない

8か月目初めてアウトを背負い手取り13万程度(それまでは20~28万)

手取りが大幅に減った事よりもオーラスまで打たせてもらえない事が嫌だった

 

社長に直訴したが却下(当たり前)されたので来月辞めると店長に告げた

9か月目には本走100回未満でアウトが5万 

店長と主任に引き止められたがメンバーを辞めた

 

俺がフリー雀荘のコールドルールを最も憎むのは、

当時オーラスまで打たせてもらえない苛立ちが一番の理由だ

 

 

18歳5月のある日、セットで稼いだ4000円を握りしめフリーデビューした

3半荘打って2.1.3で+1000G

この日もし2000円以上負けていたら二度とフリーに行かなかった

5月は半荘76回打ってラス3回という好成績だった事で雀荘に通うようになる

 

19歳の時、津田沼の雀聖と呼ばれる伝説のメンバーに知り合った

当時その店のメンバーは時給750円ゲームバック無しでピンの東風を打たされる

ほとんどのメンバーがアウトオーバーなのでピンの東風が立つと、給料残ってるメンバーは必ず卓が割れるまで打ちっぱなしになるのに給料をしっかり残してたのが伝説の雀聖である

私は雀聖唯一の弟子になり、色々アドバイスを貰うようになった

 

20歳のある日親父と喧嘩して家を飛び出し高円寺で1人暮らしを始める(家賃68000円)

バイトを探そうと面接を受けまくるがバブル崩壊後だったため全滅

仕方なく都内のフリー雀荘を回り、勝つ事で生活費を稼ぐ事にした

 

プロに興味あったので色々な店でプロと打ったが、

これは強い!と思ったプロは池袋リツの飯田正人プロだけだった

リツでは飯田プロと俺の2人がかなり勝ったのだが(両脇はめっちゃ負けてた)、飯田プロの店で打ったらたいして稼げないと感じてそれ以降ほとんど行かなかった

 

半年後質の悪い新聞勧誘員と大喧嘩して、報復を恐れて阿佐ヶ谷に引っ越す(家賃74000円)

麻雀の方は毎月10万以上勝てた上に、年上の彼女にいつもご馳走してもらっていたので2年間一切バイトせず暮らすことができた

 

22歳でデニー〇に就職したが、パワハラされ放題の上に1日12時間拘束されて手取り10万前後

立ち仕事は疲れるのでこのまま一生麻雀打たないだろうなとおもったが、病気になり手術をする事になった

医者から1年間安静にするよう言われ、会社に報告すると解雇と言われる(今なら不当解雇)

 

手術後、職を失った俺は失意のまま千葉のあぶさんという雀荘に行き、4か月打っていなかった麻雀をまた打つようになる