民明書房
そしてこの風習はいつしか武道家や兵士の中にも広まりいつまでも両目を入れられない者を片丹者(ぺーたんもの)といって蔑んだという 英学館刊『中国武闘三千年』より
鬼達磨刺青(トーチントウ)
中国唐の時代当代随一の拳法家といわれた英翔珍が河北省の猿孫という拳法家と御前試合で戦い敗れた 英翔珍はその試合に必勝を期し鬼達磨のイレズミを彫り片方だけ目を入れ三年後再び猿孫と戦い見事勝利し両目を入れたという故事に因む
現代でもインド・パンジャブ地方にはこの英雄を讃えて秋には愀象祭が行われる 英学館刊『インド母なる大地を往く』より
愀象刀
古代インド・マウリヤ王朝の英雄グンジーが用いたといわれる刃渡り5メートル重さ約50キロの豪刀 グンジーはその一振りで象をも真っ二つにしたということからこの名がついた
爆挺殺
戦国時代、濃越の国主豊善長友の守定兼と習野の国主黒羽行康の松ヶ原合戦の折、一進一退の膠着状態を打ち破らんと黒羽軍侍大将江藤新兵衛が単身火薬を背に敵の本陣に突入し、身を挺し自爆。見事敵将長友の首級をあげたという必死の奇襲戦法である。 民明書房刊『戦国異聞記』より
肉体的苦痛もさることながらその精神的屈辱感は筆舌に尽くしがたいものがあったろう。 民明書房刊『亜細亜刑史大系』より
謝砕節
中国宋代(十二世紀)、拳闘士の決闘などで勝利の証に勝者が敗者の両手の指を第一関節から総て折り(食事だけはできるように右手の親指と人差し指だけは残したという)拳を一生使えなくして封じたという。
余談ではあるが不可能を可能にするという意の"魂剣石をも斬る"という諺はこれをいふなり。 一九〇五年民明書房刊『剣史記』より
一文字流斬岩剣
世に灯籠切りといふ。江戸時代剣聖とうたわれし神泉正宗が 家康に請われ、一度だけ御前にて石灯籠を一刀両断、世間を驚かせたといふ。 以来三百余年剣道界に於いて幻の技とされこれを極めたる者なし。
因みに林周明は料理人としても当代随一といわれこの天稟掌波で落とした鳥は肉がよく締まりこれで作られた料理は最高の宮廷料理として珍重された 現代でも最高の鳥肉をテンピン肉というはこれなり 民明書房刊『中国三千年の歴史に学ぶ現代人の知恵』より
天稟掌波
中国武術三千年の歴史を誇る南朝寺教体拳最大の秘技とされている この技を極めたという明代最高の拳士林周明は百米頭上を飛ぶ鳥を気合いもろとも一閃のもとに落としたと伝えられる これから落鳥拳とも呼ばれている
鎮守直廊
中国清代東の大林寺と並ぶ西の空嵐寺に学ぶ拳法家達がその修行を極めた者としての証として最後に挑戦した 本殿まで一直線上に伸びた直廊の中はいくつかの房に区切られその一つ一つに仕掛けや番人がおりそこを通りぬけた者だけに修行証が授けられたという 民明書房刊『中国武術大覧』より
明治維新直後その熾烈苛酷さの教育で猛名をはせた三の関兵学校に於いて体罰の一つとして行われたという 民明書房刊『教育と体罰』より
男塾名物盥支蝋
頭上になみなみと油の入ったタライを持ち上げる そのタライの油面に極めて不安定な木端に乗せた蝋燭を浮かべる タライを少しでも微動させれば蝋燭は倒れ火だるまとなるは必定である
六忘面痕
二世紀中国漢代後期大罪を犯した咎人に科した刑罰の一つ 孝・忠・信・義・仁・礼の六つの徳を忘れた反逆の徒という証に左右合わせて六条の傷を顔面に切り刻んだという 現代でも不逞の輩を指して忘六者というはこれに語義を発する 民明書房刊『古代刑法全』より
蛇轍槍
室町時代後期稀代の槍の達人といわれた辺見鉄山によって考案されたという 中国の十節棍に改良を加えた変幻自在の仕掛槍である 鉄山没後多くの武芸者達がこれを極めようとしたがその操作性の難しさ故に修得しえた者はいないという 民明書房刊『戦国武芸者往来』より
余談ではあるが絶体絶命の窮地に追い込まれる意味の天縄境場に入るとはここから意を発する 民明書房刊『中国武術大覧』より
中国漢代後期今の河北省を中心とする武闘家達の間でさかんに行われた当初は地上に櫓を組みなされていたが、次第にエスカレートし大仙峰の火口で行われたという記録も残っている そのあまりの危険さに唐代には時の皇帝によって禁止令が発布されている
天縄闘
蜘蛛の巣状に張られた石綿縄の八方から火をつけその上で闘う 不安定な足場と時がたつにつれ巣の中央に火がせまりくる恐怖の中で技を競い合う格闘技である
怒粧墨
中国唐の時代山東省の拳法家達が好んで入れた入墨の一種 体温の上昇にともなって浮かび上がるような特殊な墨を用いて彫ってある そしてその効用としては相手を威圧する以上に体表細胞組織の密度を高め皮膚を硬質化させることにあった 民明書房刊『肉体の神秘』より
盤隆氷
氷洞の中で急激な高低温度差によってできるきのこ状の氷の隆起 巨大なものは直径20メートルにもなる 北海道不知火山近くの氷洞に数多く見られる 民明書房刊『氷の科学』より
1924年スコット大佐の率いる英国エベレスト登山隊の一員がその北壁に於いてザイルが危うく一命を落としそうになった時この昇龍風によって救われたという奇跡は登山家の間ではあまりに有名な話である 民明書房刊『世界気象大鑑』より
俗に言う『昇龍風』 気象学上は主に標高二千メートル以上の山の北斜面断崖絶壁に於いて発生する風速百メートル以上の上昇気流をいう
その距離はおよそ25里 キロに直すと100キロ離れていたという驚嘆のほかはない 余談ではあるが昭和15年の全日本大学野球選手権に於いてW大応援団のエールは神宮球場から池袋まで聞こえたという記録がある 民明書房刊『戦国武将考察』より
その由来は戦国時代武田信玄が上杉謙信との合戦に於いてどうしても援軍にいけず苦戦に陥っている遠方の味方の兵を励ますために自陣の上に一千騎の兵をならべ一斉に大声を出させ檄を送ったという故事に由来する
民明書房刊『日本風俗奇譚』より
男塾血誓痕生 その由来は中国大陸を駆け巡りその勇猛果敢なことで名をはせた蒙古ジンギス汗の一族が仲間に戦死した者が出ると己の腕にその名を刻み永遠の復讐を誓い必ず仇を取ったという故事にちなむ 近代日本でも極道社会に於ては殺された親分の名を腕に刻み復讐を誓う風習が残っているという
民明書房刊『ヨーロッパ中世スポーツの起源』より
男塾名物『羅惧美偉』 その起源は遠くヨーロッパ中世ラグビー発祥の地イギリス・イングランド地方にあるという そのころ王侯たちの間でラグビーのチームを持ち競い合う事が流行し自分のチームを強くする為にそのような残虐な練習方法に幾度か行われたと記録がある
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