雀荘を辞めファミレスのホール係を週3やることにした
ファミレスで半年働いていたある日酔っぱらいの客が暴れ、バイトリーダーの俺が酔っぱらいを帰したら、次の日クレームがきて解雇される(当然今なら不当解雇)
じゃあどうすればよかったんだ?
辞めた雀荘に打ちに行くとバイトが全員辞めていて、系列のピン雀でアウトオーバーのメンバーが次々送り込まれ早番も遅番も社員のみの体制になっていた。
例の4万点までご案内はバイトを全員辞めさせるための社長の策だったのだろう。
そして早番が4人ちょうどしかいないため誰も休めない状況になっていたw
平日週に1度社員をそれぞれ休ませるため月~木まで働くメンバーが必要と感じていたらしく、私は時給750円12時間労働の週4勤務で復帰した
ちょうどその年、麻雀のプロ試験を受け正規合格
水道橋の雀荘から好条件での引き抜きがあり、水道橋の雀荘で働くことになった
その雀荘では好条件で引き抜いた次月に時給を下げてきた上に、さらに4か月後交通費までカットすると言われた為辞めることにした。
無職にはなったが、部屋から徒歩2分の場所にピン雀ができたので昼間はジムで鍛え、夜はフリーで稼ぐ生活にした。
近くて便利だったためしょっちゅう行ったが、あまりにも勝ち過ぎてしまったため徐々に客は減り1年持たずそのピン雀は潰れた。
ちょうどその時期に隣人とのトラブルもあったので、ピン雀が3軒ある大久保に引っ越した。
昼間は津田沼の0.5で打って夕方に寝て、夜中起きて各ピン雀を週1~2回ずつローテーションで通うことで店からマークされる事なく稼いだ。
その後29歳までは雀荘で働くか、仕事せずピン雀で稼ぐという生活が続いた。
数年後A1に昇級したので競技麻雀に悪影響がでないようフリー雀荘通いを控え、貯金で中古マンションを購入した
普通の仕事を探し職を転々としたが雀荘勤務ほど稼げない上にA1の会費はかなり高かったため、麻雀プロでA1にいた頃が人生で最も金に苦しい時期であった。
A1在籍5年 鳳凰〇戦準優勝 B1優勝 B2優勝 タイトル戦決勝進出3回
プロを辞めた後、会費がかからなくなった事と仕事に就けた事もあり生活は多少楽になった
マンション売却した資金を元手に現在は投資で貯金が減らない程度の収益を出している
次回からは孫子兵法について書きます