うつ病と私 -47ページ目

皆勤

10年前の今頃、
私は中学3年生だった。

中学3年間の皆勤まであと少し。

体調が悪いけれど学校を休むわけにはいかないと、
家族をも騙して学校へ行った。


しかし、あと1限で授業が終わりという時になり、保健室へ運ばれてしまった。

そこで体温を計るとなんと、39度9分!


『皆勤の為に早退は避けたい。』

そう思う私に、保健室の先生はキッパリと

「何で学校来たのよ」

と言った。
そして、私が言葉に詰まっていると更に

「他の子に移ったらどうするのよ」

と言った。


高熱でぼーっとしている頭で、
一緒ムカっとしたものの、
次の瞬間恥ずかしくなった。


皆勤賞しか頭になかった…



結局早退し、
翌日から1週間ほど学校を休んだものの、
インフルエンザだったため学校を休んでも『欠席』にはならず、
皆勤賞をもらうことは出来た。


でもね、
そもそも皆勤て体調悪いのを我慢するためのものではなく、健康を維持するから意味がある訳で…

学校を休んでる間に反省しました。


ということで、翌年からはインフルエンザワクチンを打ち、高校では正真正銘の皆勤賞をもらいました。


自分にとっては同じ3年間でも高校の皆勤賞の方が感慨深いものになりました。


中学生の時に私を叱ってくれた保健室の先生に今でも感謝しています。

学ぶ

今でも忘れられない衝撃の一つに、
ビートたけしさんの言葉がある。


私が小学生の高学年の時
塾の模試に
ビートたけしさんの著書から抜粋した文があった。

国語の試験で、
「下線②それ は何を指すか」
とか
「ここで著者が言いたかったことは何か」
とか、
問題は至って普通だった。

しかし、あまりの衝撃に、文を何度も読み直してしまった。

『ケンカから何も学ばないのはバカだ』
というような内容であった。


私が受けた衝撃は二つあった。

一つは、ビートたけしさんのイメージを覆させられたことだ。

それまで、ビートたけしさんは変なことばかりしているふざけた人だとばかり思っていたからだ。

二つ目は、私の家族にケンカが絶えない理由が明確になったことだ。

何も学ばないから何も解決せず、
繰り返しケンカになるんだ。

その時から『学ぶ』ことは、
私の人生の大きな柱となった。

うつ病への理解

うつ病への理解は、
以前よりも得られるようになったとは言え、
まだ誤解も多い。


私は、家族の理解を得るのに1年近くの年月を要した。

「うつ病は本人の気分的なもの」
という誤解は思ったよりも根が深かったのだ。

この様子では社会での理解を得るのは更に困難だと感じた。


私自身がうつ病になる前にも
うつ病の正しい認識があったかというとNOである。

恥ずかしながら、新聞やニュースで見て、大変なんだなと思う程度しか知らなかったのである。


気を紛らわせれば
気分が良くなるのではないか

頑張りが足りないのではないか

うつ病と言って逃げているのではないか


そんな誤解が社会にはまだゴロゴロ転がっている。


精神疾患で休職中の友人が、
同僚から心ない言葉を掛けられた。

しかし、私には気休めにもならないような慰めしか出来なかった。


何の啓発運動も行っていない私が言うのもなんだが、

精神疾患に限らず、様々な疾病の
正しい理解を深めるにはどうしたら良いのか。