昨年のことですが、山鹿市を通る県道196号鹿本松尾線沿いに鎮座する城野松尾神社に参拝しました。
一の鳥居です。
一の鳥居をくぐるとすぐに二の鳥居があり、その後ろには神門がそびえます。
二の鳥居の右側の離れた場所で、二体の仁王像が御祭神を護ります。
天明8年(1788年)に建立され、以前は鳥居の両側にあったようですが廃仏毀釈の際に木野川に捨てられ、その祟りがあったためにこの場所に移し鎮めたとのことです。
拝殿内ではカラフルな狛犬と随身が御祭神を護ります。
拝殿です。
拝殿内には多くの絵馬が奉納されています。
祭神:大山咋神、胸形中津大神(市杵島姫命)
第52代平城天皇が大同2年(807年)が、山城国嵯峨松尾大明神を勧請し、岩隈山に祀りました。
天正16年(1588年)の肥後国衆一揆で社殿は破壊され、神領も剥奪されたため、御神体, 神鏡, 神劔を山中に保護しました。
加藤清正入国後に遷宮し、細川氏により寛永14年(1637年)に一の鳥居と社殿を再建。
元禄5年(1692年)に、拝殿, 幣殿, 玉垣を新築し、それまでの拝殿は神楽殿に
明治23年(1890年)に二の鳥居を建立。
境内社として以下が鎮座します。
阿蘇神社、八柱神社
事代主神殿、若宮神社
境内の御神木と裏から見た神門です。
朝早く参拝したのですが、天気も良く、気持ちの良い境内でした。
御朱印は何種類かありましたが、今回は仁王像が入った秋の装いの御朱印をいただきました。
おまけ
神社から歩いて200mほどの場所に「岩隈山の切り通し」(赤矢印)があります。(地図はgoogleマップを改変)
切通しとは、山や丘などの切り立った難所を部分的に切り開いて、人馬の交通のために道を作ったものです。
明治時代以前には、トンネル掘削技術が発達していなかったため、広く用いられた手法です。
岩隈山を切り取って、両側が絶壁となっています。
阿蘇山噴火時の堆積物(軽石の層)でできた山のようで、これだけの高さで堆積するのは阿蘇山噴火の凄さにも改めて驚きます。
切り通しの崖の両側には石像が並んでおり、かっては88体あったそうです。
自分の身に災いなどがあった場合などに自宅へ運びしばらく拝んだ後に元に戻すという習慣があったようですが、そのまま自宅に安置したり、他の場所に奉納するなどされたために現在では数が減っているようです。
切り通しの、そのそびえる崖の高さ, 迫力、対照的な周囲の静寂が相まった景観には圧倒されるのと同時に、穏やかな神聖な雰囲気さえ感じる不思議な場所です。
さらに近くには「歴史公園 鞠智城」があります。
鞠智城は、唐や神羅に対する防衛、政治の重要拠点大宰府の支援のために大和朝廷が7世紀後半に築いた古代の山城で、公園には当時の建物を復元した八角形鼓楼, 米倉, 兵舎, 板倉や、土塁, 建物の礎石, 大規模貯水池などが残っています。
城野松尾神社へ参拝がてら異空間を感じに「岩隈山の切り通し」、歴史好きの方は「歴史公園 鞠智城」にも訪れてはいかがでしょうか。
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