’24.01.25の「熊本日日新聞」に「宮大工の”卵” 本殿新築」という記事が掲載されました。
人吉市の球磨工高伝統建築専攻科の生徒が、熊本県合志市の「新開神社」の本殿を新築したと言う記事です。
その記事を見て、新しい社殿を見に参拝に行きました。
住宅地にある小さな神社です。
鳥居も新しく、’21年に寄進されたもののようです。
彩色のせいもあり一見塩ビ管?と思ったのですが、ごっつい金属製でした。
再建された社殿です。
「新開神社の由来」には以下のようにあります。
太平洋戦争中の1944年に、西部軍管区教育隊長の棚橋眞作陸軍大佐が、戦地に散った部下を葬い、平和を願って新開(現須屋)に建立。
その大佐は、戦地より戻り終戦を迎え、部下を死に至らしめた責任を取るために自決を考えましたが、戦争で荒廃した日本に復員する兵や引揚者の食料を確保するために、この一帯(軍の教育隊演習場)を開墾する許可を得るために尽力し、「新開開拓地」として開拓の準備を整えました。
開拓の準備が整ったのを見届けた大佐は、自らの責任を取るために1946年に自決されました。
戦争という行為が、自国のみならず相手国にも悲惨な結果をもたらすことを自らの死をもって伝えたかったのでしょう。
神社を管理する棚橋大佐の義理の息子さんが、老朽化した社殿の再建は宮大工を養成する学習のためにと、球磨工高伝統建築専攻科の生徒に依頼したそうです。
2年生7人で約1年半かけて制作し、高校で一部を組み立てて運び、1/16~19に現地で組み上げられました。
屋根は前方がカーブする「流造」です。
隣には小さな境内社が?と思っていたら、良く見るとゴージャスな賽銭箱でした。
こちらも球磨工高の1年生6人で作成したもののようです。
今後は小さな規模の神社は、老朽化や被災した場合の再建が問題になってくると思われます。
時代の流れで、昔に比べて氏子さんの数自体も減っていることでしょうから、再建予算を供出する人も減っていると思います
解体して無かったことにするのは忍びない(祟られそう? )が、かと言ってなかなか再建するにはお金が…。
そうだ 祠でも建てましょう ...と、小さな祠と事情を記した御由緒看板のみが残るのみとなるのではないでしょうか。
小さな神社は、今のうちに参拝, 記録を残しておいた方が良いかと思われます。
もちろん、今回の新開神社のように再建し、地域の氏神として大事にして維持できるに越したことはないですが
今回の高校生の作った社殿はとても立派でした。
式年遷宮と一緒で、技術の継承のためにも非常に良かったと思います。
生徒さんたち自身がいなくなるような年月が経っても後世までこの地に残り鎮座する社殿(立派な作品, 業績)です。
生徒さんも良い経験ができたのではないでしょうか
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