現在は、上写真のように熊本城の天守閣を近くに望む場所に鎮座する加藤神社ですが、以前は錦山神社として違う場所に鎮座していました。
旧鎮座地は何となくこの辺り….とは知っていたのですが、その場所に記念碑が建っているとは知りませんでした。
長いこと記念碑の前を数え切れないほど歩いて通っていたのに…。
と言うことで、今回は加藤神社の旧鎮座地(錦山神社)のお話しです。
加藤神社の鎮座地には、以下のような変遷があります。
本来は本妙寺に加藤清正公の浄池廟(お墓)と拝殿があったのですが、明治の神仏分離に伴い、明治4年(1871年)に錦山神社として熊本城内へ社殿が移されました。
明治7年(1874年)に熊本城内に日本陸軍の熊本鎮台が設けられ、場内が陸軍用地となったため、場外の新堀町(現在の京町)に遷座。
明治42年(1909年)に錦山神社から加藤神社へ改称。
昭和37年(1962年)道路改修のため、熊本城内の現在地に遷座しています。
明治7年(1874年)に遷座した旧鎮座地である新堀町は、現在は市バスなどのバス停として名を残していますが、現在の京町1丁目に当たります。
熊本市役所方面から「熊本城稲荷神社, 熊本家庭裁判所, 熊本地方裁判所」方面へ「県道303号四方寄熊本線(旧国道3号線)」を登ると、すぐに磐根橋と、橋を渡った右側に茶色のマンションがあります。
磐根橋のたもとの説明板には「錦山神社が場外の新堀町へ移転しました。 神社と熊本城の間には新堀という空堀があり、参拝のために新たに架けられた木橋が磐根橋でした。」とあります。
このマンションの前のバス停が「新堀町」で、マンションの植え込みの中に「加藤神社旧鎮座地之碑」が建っています。
題字は加藤神社の湯田宮司によるもので、現在地への遷座50周年記念で2012年に建立されたそうです。
植え込みの中なんて気にしてなかったので、恥ずかしながら長いこと気づきませんでした…。
この磐根橋の正面にどーんと鳥居があり、錦山神社が鎮座していたようです。
現在の写真にイメージ合成してみました。(赤矢印)
写真の左に見える木も、民家の庭木にしては大きいような気もしますし、もしかすると元御神木なのかもしれません。
昭和36年のこの様子を伝える実際の写真を載せたかったのですが、引用すると結構な料金がかかりそうなので 、「熊日 写真ライブラリー」で「新堀橋と加藤神社」と検索してご覧下さい。
ただ写真のタイトルとしては、正しくは「磐根橋と加藤神社」だと思いますが。
古地図と比較して、現在のgoogleマップの地図上に加藤神社旧鎮座地と思われる位置を作図してみました。
加藤神社旧鎮座地は赤線で囲んだ位置になると思われます。
錦山神社境内より錦山を下る坂が、上のgoogleマップの地図上に赤矢印で示した「錦坂」で、現在も残っています。
錦山~錦山神社を思い起こさせる名前です。
マンション横の坂の降り口に「錦坂の碑」が建っています。
磐根橋のたもとの説明板には、大正時代の磐根橋とその下を通る市電の写真が掲示してあります。
残念ながらその写真では錦坂と錦山神社ははっきりしませんが。
右写真は、同じような位置から撮った現在の様子です。
この辺りを通る際には、昔の風景に思いを馳せながら歩いたり、錦坂を上り下りするのも良いかと思います。
京町のマンション前を通る際には植え込みの中の記念碑もご覧になって下さい。