山口大神宮(西のお伊勢さま)【山口県山口市滝町】 | 酒と神社とテクノと私

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なかなか県外へ出られないので、熊本県外の神社への参拝へ行けません。

山口市内で来年2020年に御鎮座500年を迎える山口大神宮に参拝してきました。

1520年に大内義興が伊勢神宮の御分霊を勧請し創建した神社で、遠くの伊勢まで行くことができない西の地方の方のお参りする神社として昔から「西のお伊勢さま」と呼ばれています。

 

将軍足利義植が応仁の乱により京都を追われ、山口の大内氏を頼った際に義興は上洛。

管領代として応仁の乱後の京都の政治を治める間、1514年に伊勢神宮内宮を参拝、尊崇し勧請を決意。

山口に戻り高嶺の東側を境内地とし、1619年に外宮, 1620年に内宮が落成、1620年6月に御分霊を勧請し建立となったようです。

当初は「高嶺神明」、のちに後柏原天皇から「高嶺太神宮」、後陽成天皇から「伊勢」の勅額を賜り「高嶺太神宮」「今伊勢」と称されていましたが、昭和3年に県社となり「高嶺神社」、昭和22年に「山口大神宮」へ改称しています。

 

一の鳥居は1663年に長州藩主毛利綱広が寄進したもので、伊勢橋付近にあったものを交通事情により移設したとあります。

 

石段を登ると社務所や馬舎があります。

馬舎には1820年に寄進された大きくて立派な木彫りの神馬が二頭。

 

 

馬舎の先を右へ曲がると石敢当と高嶺稲荷神社が鎮座します。

石敢当は魔除けとして道端に立てられる石碑とのこと。

 

 

そこからさらに石段を登ると右には拝殿と間違うような立派な神楽殿、左には多賀神社が鎮座します。

 

 

神楽殿の横の階段を登ると、手前に外宮、奥の一段高い場所に内宮が。

伊勢神宮に倣い、当初は御鎮座の後21年毎に式年遷宮を行っていましたが、その後は必ずしも行われていなかったようです。

近年では明治12年, 35年、昭和35年に造替、平成12年に行われています。

現在の内宮, 外宮の敷地の横には古殿地が見られます。

 

外宮には写真左奥に外宮別宮が。

 外宮

  主祭神:豊受大御神

  祭神:天津彦彦火瓊々芸命, 天児屋根命, 天太玉命, 建御名方神, 八坂刀自命

 外宮別宮(多賀宮)

  祭神:豊受大御神荒魂, 伊吹戸主神

 

内宮には写真左奥に内宮摂社、右手前(写真では暗く分かりにくいですが)に内宮別宮があります。

 内宮

  主祭神:天照大御神

  祭神:天手力男命, 萬幡豊秋津姫命

 内宮別宮(荒祭宮)

  祭神:天照大御神荒魂, 瀬織津姫命

 内宮摂社(恵比須社)

  祭神:事代主命

 

摂社末社:多賀神社, 高嶺稲荷神社

境外末社摂社:岩戸社

 

外宮から高嶺に登る中腹に境外社の岩戸社があります。

高嶺の頂上には戦国大名大内義長が毛利氏の侵攻に備えて築城した高嶺城跡、高嶺の南の裾野には先日記事を投稿した木戸神社があります。

 

 

山口大神宮も式年遷宮は21年毎となれば次回は2021年ですが行われるのでしょうか?

式年遷宮の祭事の際には是非参拝してみたいです。

 

 

 

 

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