山口市内で木戸神社へも参拝へ行きました。
木戸孝允(桂小五郎)を祀った神社です。
木戸孝允は1833年に萩の藩医和田家に生まれ、1840年に桂家の養子になります。
十代の頃に吉田松陰に師事し山鹿流兵学を学び、薩長同盟を結ぶなど倒幕、明治新政府設立などの中心人物として活躍しました。
元服後に桂小五郎、1866年に藩命により木戸姓、1868年?より孝允と名乗るようになったようです。
1877年(明治10年)に45歳で病死する前に、所有の邸宅やなどを地域住民のために寄付をしました。
人々は感謝し、祠を建ててお祀りし、後世に伝えようと経緯を刻んだ石碑「木戸公恩徳碑」を建てました。
その祠を中心として木戸神社は創建されました。
兄弟(おとどい)山にかけて整備された木戸公園の入口、遊具もある広場横の石段を上がると一の鳥居です。
参道の途中に「木戸公恩徳碑」がありますが、漢文で書いてあり読めません。
内容は前述のような「病死する際の遺言で~」という御由緒のようで、一の鳥居の前に訳した立て看もあります。
二の鳥居は小さく、少し手を伸ばすと右写真のように額束に届くような高さです。
額束が三つある珍しいタイプの鳥居だそうです。
手水舎は無かったようです。
改めて参道を振り返っても、やはり無さそうです。
拝殿内には木戸孝允の写真も飾ってあります。
小さな本殿(祠)ですが、日が差すのも相まって爽やかで神々しくも見えます。
木戸孝允は政治家としてはもちろん武芸にも秀でており「維新三傑(他は西郷隆盛、大久保利通)」として讃えられ、「文武両道の神」とされており、毎年4月第1日曜の春季例大祭では勧学祭や奉納険道大会なども開催されているようです。
御朱印にも「文武両道」とあります。
御朱印は、木戸神社より2.5kmほど北西の今八幡宮の社務所(こちらでは、今八幡宮, 八坂神社, 築山神社, 木戸神社の御朱印がいただけます)でいただけます。
神社から兄弟山にかけての木戸公園は梅, 桜や紅葉の名所となっており、「おとどい山リフレッシュロード」として散策路も整備されているようです。
春や秋にのんびり散策に来るのも良さそうです。
おまけ
前日に泊まった長門市の居酒屋で隣だった御夫婦に「昼食としてオススメな山口のB級グルメは?」と伺って教えていただいた「バリそば」を食べてきました。
見た目はリンガーハットの皿うどんですが、リンガーより太い揚げた中華麺に、スープに近いゆるいアンがかかっています。
実は、紹介者である奥さんは「山口市でしか食べられないものとしてはバリそば」「主人は好きだが、バリそばは味が薄いので私はリンガーの皿うどんの方が好き」とおっしゃっていました。
美味しかったですが、私もリンガーの方が好みです。
クリックしていただければ幸いです。
にほんブログ村