今日、うちのみかん畑で立ち話をしていた時のことですが、去年のみかんの価格低迷に話が及び、「みかんはまだ生産量が多すぎるんでしょうね」と言ったら、「消費量が減ったのが原因よ」と返って来ました。
この方が言ったのは、次の通りです。
若い世代のみかんの消費量が減った
自分達が子供のときは、みかんは全国で360万トンや400万トンあった。
それが今は100万トンくらいなのに、価格が上がらない。
若い女性で付け爪などで、爪が長いからなんて言う時代になってしまった。
もう、その場で反論したかったんですが、よそ者は大人しくしとかないとですね。
何度もブログで書いているようなことですが、発散させてください。
「自分が子供のとき」って・・・・・
この方は私の父とほぼ同世代です。
父は幼少期のことをこう振り返ります。
「みかん農家の友達は、みかんを食べすぎて手が黄色かった。それがうらやましかった」と。
どう感じますか?
まるで、戦後の「バナナは高級品だから食べられなかった」とか、板東英治が言うような「玉子は食べられなかったんだから」みたいな話じゃないですか?
確かに若い世代の消費が減ったことは間違いありません。
しかし飽食の時代と言われたのは一体いつからのことでしょうか?
それに加えて、現在はインターネットの発達により、人間の価値観は良くも悪くもグローバル化が進みました。
そんな時代に、戦後の「俺の子供の頃は・・・」というような話を持ち出して消費が減ったなんて、そんなことが理由になるでしょうか。
私はそもそもこの考え方があまり好きではありません。
この二つの意見に足りないのは、生産する側はどうなのかということです。
消費は減ったが、では、自分のみかんは多種多様になった日本人の嗜好に対して見合うような物を作っているのか?
これを真剣に考えなければ、生産側から消費側への押し付け以外の何物でもないように思えて仕方ありません。
もちろん、人の味覚は千差万別です。本当に全く違います。
私は10人中8人もしくは7人がうまいと評価してくれれば良いと思っています。
しかし、それも男女どちらかに限定されているようではいけませんし、いろんな地域、いろんな職種、いろんな世代と様々な人に食べてもらわないと、自分のみかんの本当の位置づけなんてできないと思います。
そのためには、自分自身もいろんなみかんを食べてみることも不可欠です。
それだけのことを一体どれだけのみかん農家が行っている(行ってきた)でしょうか。
そんなこともしないで、どこかで聞いた話を、さもそれが全て正しいように言ってしまっては、一歩も前に進みません。
どうやれば、自分のみかんが全うな価格で全うに販売できるかをもっと真剣に考えましょうよ。
みかんは完全に日本人の生活に根付いています。
うまいみかんならば、販売の仕方は簡単ではありませんが、必ずあります。