Kyoto Hotel Okura

 

ホテルオークラ東京、

ホテルオークラ神戸などと一緒、

ホテルオークラ京都、と勘違いしてる人が多い。

 

正しくは、「 京都ホテルオークラ 」

 

下の3枚、ゲートの看板写真でご確認下さい。

京都ホテルは、1888年、旅館京都常盤として創業。

1895年に京都ホテルに改称。

2001年にホテルオークラと業務提携契約締結。

2002年に現名称、京都ホテルオークラになった。

 

ホテルオークラは大倉財閥の二代目大倉喜三郎によって、

1958年に大成観光として創立された。

1959年、ホテル名がホテルオークラに、1962年、ホテルオークラが開業。

 

圧倒的に歴史が違います。

長く京都市民に愛されてきた京都ホテルに敬意を表して京都ホテルオークラに。

 

壁面に誇らしく、Since 1888 と表記してあります。


この地が長州藩の屋敷跡だったということを知らない人は多いようだ。

この石碑が玄関にあることすら。

 

戊辰戦争とは、薩摩藩・長州藩・土佐藩等を中心とした「新政府軍」と、

徳川幕府や会津を始めとする奥羽越列藩同盟を含む「旧幕府軍」との間に起こった日本の内戦。

 「戊辰戦争」という名称は慶応4年・明治元年の干支が戊辰であることに由来してい る。

 

日本の近代は、結果、薩摩藩と長州藩を中心とした勢力によって開かれた。

その長州藩を率いた人物として有名なのが、松下村塾門下生、

「桂小五郎」の名でも知られる木戸孝允。

 

桂小五郎は幕末、明治の政治家。

長州の生まれ。

西郷隆盛・大久保利通らと薩長連合の密約を結び、倒幕勢力の結集を計った。

維新後は明治政府の中枢に参画。

明治10年(1877)に病死。享年44歳。

 

京都洛中ロータリークラブが寄贈した方位地図。

 

ホテルの一角に、伊勢神宮の式年遷宮のご神木を頂いて創建された天照神社があります。

 

ホテル東側の側道に面して、厳かに、ひっそりある。


京都ホテル創業者前田又吉の胸像。

 

前田又吉と親交のあった初代内閣総理大臣伊藤博文の胸像。

 

2018年6月2日建立 京都ホテル創業130周年記念碑。


この公開空地は知る人ぞ知る、ちょっとした隠れ処的な公園。


交通の要所として栄えた長崎は平戸市のツツジが植樹されている。

 

京都ロータリークラブが寄贈した左右2本の枝垂桜。

 

2010年に植樹。

 

開発公園にクルメツツジがある。

 

北九州は久留米から移植されたクルメツツジ。

 

ヒメユズリハ。

 

2014年に植樹。

 

京都ホテルオークラには、ちゃんと地蔵盆のお地蔵さんが祀ってある。

 

下肢の痺れとの闘い。

半径400メートル以内。

杖をついての歩行訓練。

ついでに、社会見学。

京都ホテルオークラをぐるっと一周。

 

 

 

 

 

癌患者修業中。



京都ホテルオークラを一周