初めて後祭の山鉾巡行を観覧

 

猛暑にもゲリラ豪雨にも負けず、

祇園祭は、1ヶ月に渡り様々な神事

・祭事が粛々と行われています。

 

24日は、花傘巡行、還幸祭、

そして後祭山鉾巡行。

17日の神幸祭同様、一日中、

神事・祭事が続く特別な日です。

 

初めて後祭の山鉾巡行を観覧。

河原町通姉小路上る東側にて。

海外からの観光客多数。

 

北観音山は「上り観音山」と呼ばれ、

後祭の山鉾巡行の先頭にたつ。

楊柳観音像と韋駄天像を祀る。

山鉾巡行時、山の後ろに大きな柳の枝を差す。

舁山であったものを後に曳山に改めた。

その名残りとして真木には松の木が立つ。

松の左二の枝に尾長鳥をつける。

重 量、9.27トン。

(巡行時。人、懸想品含む)

コンチキチンの祇園囃子は、凡そ30曲。

鷹山は、鷹匠、犬飼、樽負の3体のご神体人形を祀る。

令和4年(2022)、194年ぶりに巡行復帰。

応仁の乱以前より「鷹つかい山」として巡行。

江戸時代に曳山となるが天明の大火で罹災。

寛政年間に大屋根を持つ曳山として復活。

幕末の蛤御門の変にて大半の部材が焼失。

人形3体は焼失を免れ、後祭の宵山に居祭として、

木彫の「鷹」「犬」と共に町内にてお飾りを続行。

復興を目指して令和元年(2019)より唐櫃巡行に

加わり、令和4年(2022)に巡行復帰を果たす。

5〜8階建てのビルの高さほども

ある山鉾が都大路りを練り歩く。

屋根方が平気な顔で乗っている不思議。

豪華絢爛、まさに動く美術館。

後祭の最後尾は大船鉾です。

前祭巡行の船鉾が出陣船鉾と称されるの

に対して、大船鉾は凱旋船鉾と言われる。

大船鉾は元治(1864年)の大火で焼失。

その後、巡行には参加せず焼け残った

懸装品を飾る居祭のみ執り行ってきた。

関係各位の懸命な働きが実り、焼失から

150年ぶり、平成26年(2014)、鉾で

の巡行復帰を果たす。

今年新調した木製のたま

(車輪)の直径は2.13m。

参加した34基の中でも最大級。

巡行を終えて町内への帰り道

ゲリラ豪雨に見舞われた。

 

その模様は、この

京都新聞の動画 に詳しい。

 

バケツをひっくり返したような

豪雨でスタッフ全員ずぶ濡れ。

お疲れ様でした。