我が家に、古い孫の手がある。
結婚前の実家から持ってきたものだ。
長男は、小さいころ、この孫の手が好きで、ちょこんと座ったまま、畳にすりつけて遊んで(?)いた。
長男の母子手帳の一歳のページには、「好きなおもちゃ=孫の手」と書いてある。(はたしてオモチャか?)
さて、この孫の手だが、柄に、
「昭和五十年八月 草津」
と筆書きの文字が書いてある。ひっくり返すと、苗字まで書いてある。
いずれも、筆書きの祖父の字である。
わざわざ、孫の手に記名までしたのも、奇妙というか微笑ましいというか。
祖父は、よく墨を刷って、毛筆の字を書いていた。
驚きなのは、墨の力だ。
つるりとした木質の上に書いてあるのに、まったく薄れていない。
考えてみれば、奈良・平安の木簡の字だって、今でも読めるのだからそれも当然か。
いずれにしろ、この孫の手と墨の力のおかげで、二十年も前に亡くなった祖父の自筆が読めるのは嬉しい。
実は、この孫の手、使い勝手もなかなかいい。
年月を経た木の感触が、肌になんとも優しいのだ。
数年前、大阪の「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」に遊びに行った。
お土産に、「ターミネーターの孫の手」を買ってきた。
銀に光るプラスチック製のサイボーグ版「孫の手」である。(ターミネーターにも孫がいるのか?)
なかなか面白いと思って購入したのだが、いざ使ってみると……
「痛い!」
とても使えたものじゃない。
ターミネーターの爪が、背中に刺さってひっかき傷ができそうだ。
「ターミネーターの腕でできた孫の手」というより、「ターミネーターのための孫の手」なのだろう。
人間用ではない。
ということで、こちらのターミネーターの孫の手は、完全に飾り物。(飾り物というのも変か…)
……
これからも、「昭和五十年八月 草津」の祖父の孫の手が、我が家のエースです。