ダジャレコーチの独り言

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このひと月あまりで円ドル為替相場はさらに進み、160円を一時超え、最近では155円から157円辺りで推移している。これは1986年の水準。2011年には80円を下回った円の価値が、10年で約半分になってしまったのだからすごい変化ではある。この勢いならば2035年には300円くらいになったとしても不思議はなさそう。根拠はないが。

 

円安がなぜここまで進んだのかはいろいろな要因があろうが、購買力平価(PPP)の観点では説明がつかない。ビックマック指数で言えば、日本で買う480円のビッグマックと、米国で買う5.58ドルのビッグマックが同じ価値でなければならないからだ。計算すると、1ドル換算で86円。ちなみにスタバ指数で同様に比べると今年の1月でカフェラテのトールサイズは、日本では490円、米国では5.39ドルである。1ドル換算で91円。吾輩が思うに心理的な要因も大きいのではないか。まさに今、海外訪問客にとって日本はとてつもなく物価安の状況である。

 

それならば輸入食材を使っている商品はもっと価格を高くしたいが、いきなり高くしては消費者に受け入れられないのでタイミングを見ているのだろう。高く売れるものは高く売るのが商売なので、いっそ昔の中国のように外国人価格を設定したいところだろうが、取扱いが複雑になるのでそうもいかない。しかしインフレが起きるのは明らかで、そうでなければ商売自体が成り立たない。

 

一方で不動産価格は昨今の円安も影響しているのだと推察する。2020年の円ドルレートを107.5円とした時に、5000万円のマンションを購入したとすれば、46万5000ドル。現在の円を157円と計算すれば、7300万円まで出費しても、ドルの支払金額は同額となる。円安が続く限り、魅力ある不動産の外国人投資家による購買は継続するのだろう。ますます手が届かなくなりそうであり、現在家をお持ちの諸兄は、とても幸運なことだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

円安がすごい勢いで進んでいる。2024年4月22日現在で154円台である。どこまで行くのか。


購買力平価(PPP)purchasing power parityという考え方がある。ある国である価格で買える商品が他国ならいくらで買えるかを示す交換レートだ。ネット情報だが、米国でビックマックを買った時、その値段は2024年1月現在で5.69ドル。1ドルを本日のレートで計算すれば、876円。これは日本の現在の価格480円と比較すれば1.82倍となっている。このビッグマックが同じ価値だとするならば、5.69ドルが480円と同等の価値があるとして換算すると1ドルは84.4円。従来85円くらいの価値であるはずの1ドルで、154円分の買い物ができるとすれば、1.8倍のドルの使い道が今の日本ではあるということだ。海外からの観光客が殺到するのは自然の流れである。
 

誰しもできることなら米国で働いて、日本で使いたい状況だが、物理的な制約があって難しい。近いポジションを謳歌しているのは、米国系の外資系会社に所属し、日本で働いているサラリーマン諸兄であろう。給与がインフレしているであろうことに加えて、RSUなどの株式報酬を得ている諸兄は尚の事である。


RSUとは、Restricted Stock Unitの略であり、日本語では「譲渡制限付き株式ユニット」。 会社の株式を直接付与する株式報酬制度の一種で、一定期間の勤務の後、株式を取得することができるというもの。5年間くらいに分割して一定数の株を定期的に得る仕組み。働く会社にもよるが、2020年の円ドルレートが105円~110円だったのでRSUが一部付与される2024年現在では、円換算での報酬は大きく上がっていることだろう。

 

そうした状況にある諸兄はご注意を。税務署も甘くはない。円安基調による外資系サラリーマンの円換算にした報酬増加については抜かりなく目を光らせているだろう。報酬がインフレしている方はきちんと税を納めることを推奨する。老婆心ながら。

 

一方で米国で働き、サラリーを円でもらっている諸兄はさぞ辛かろう。これまで月収50万円を得ていた方は、110円換算で月4545ドルだったのが、154円換算では、3247ドルである。30%近く目減りしている上に、米国内で生活をしているためのインフレによる生活費高に苦労しているに違いない。学生のお子さんがいる場合は尚のことである。お察しします。

 

さて、このシリーズでは円安について、あることないこと想像し、描いてみたい。あくまで個人的な意見なので、異論・反論もあろうが、ご容赦願いたい。老婆心コーチ
 

現在六十路手前の自分が特養にどのように行きつくのかについて想像してみる。
まず、父母が特養にお世話になった年齢が80歳代の後半、ということで25年後くらいに特養にお世話になるだろう。四半世紀後ということだ。本日が2024年4月なので、概ね2050年4月に入所予定。
 

その時の日本の人口動態はどうか。国立人口問題研究所によれば、人口は約1億人。65歳以上の人口が38%くらい。ただしこれは合計特殊出生率を2019年の1.36で固定した試算。その場合、2050年時点の85歳以上は約1628万人。2020年現在65歳以上人口が29%くらいで人口1億26百万人から計算すると、85歳以上年齢はおよそ1500万人なので、8.5%増である。このくらいなら現在の高齢者施設を維持管理すれば、吾輩がもぐりこむ場所はありそうだ。
 

少子高齢化や、地球温暖化により何が起きるのかについては、巷で実にいろいろな本が出てるのでそれに任せるとして、85歳の時に吾輩に何が起きているのかを考える。実際のところ、健康寿命は男性の場合は72歳~73歳。それから12年さらに年月を経ているので身体は大分利かなくなっていることだろう。末期の父は誤嚥の症状が出ていた。吾輩も物をノミコムことが難しく、酒も飲めなくなっているに違いない。せめて好きな歴史小説くらい読めれば良いが。
 

2050年の85歳以上の老人人口は絶対数は2020年よりも微増で、特養施設の場所的にはある。しかし、日本全体の人口が1億26百万人から1億人と20%減っており、労働人口は2020年の約7500万人から、5300万人くらいへ減っている。例えばフィリピンなど、東南アジアの国々からの介護職員の増加が現時点では期待されているわけだが、アジアの国々が経済発展を遂げることで、海外からの助っ人は期待できない。自国のことは自国でなんとかするしかない。

 

つまりは2050年の特養への道は「行きはよいよい、なかでは怖い。」ということだ。特養に入ることは簡単にできる時代になるが、施設内では人手不足による介護職員の減少がますます見込まれるので、サービスレベルが著しく低下する恐れがあろう。一般的に現在、週2回の入浴が週1回となるような感じか。

 

その解決策の一つとしては、力仕事については、ロボットが介護職員をサポートするような社会が到来しているかもしれない。1名の当直者が数名のロボットを指揮命令する。そのロボットにはテレビ電話もついていて、家族や友人、知人と話ができるようになる。AIがさらに進化して、見守り業務については異常が起きないか監視役までできるかもしれない。クローンAIのシステムで、24時間家族の顔や会話をモニター越しにできるようになるかもしれない。遠隔で最終的な看取りの瞬間まで立ち会ってもらえるかも。もっとも立ち会う画像は、家族のクローンAI、ということになろう。24時間いつ旅立つかわからないのだから。

 

また老人介護が遠隔でよいのならば、経済活動する世代は大都市に住み、85歳以上の高齢社はもっと人口密度が低い地域に移り住むのもありかもしれない。「遠距離恋愛」ならぬ、「遠距離介護」時代の到来である。「未来の楢山節考ではないか!」と諸兄からお叱りの声が来そうだが、豊かな自然と家族(画面越しでクローンAIかもしれない)に囲まれて、心安らかに最後の時を迎える、といった終活もまたヨシではなかろうか。死ぬまでコーチ業を続けられそうだ。諸兄も共にいかがであろうか。

100歳の遠距離コーチ