マル、は、「とらわれ」の象徴。 | 占星術小説家@酒井日香の占い死ね死ねブログ

突然ですけど〇、がある

じゃにゃーすか。。。

 

 

 

このマル、は実に不思議な形で、ゼロ、という数字

でもあります。占いのシンボル学では、この「マル」

が、いたるところで使われています。

 

 

 

 

たとえばこれとか。

↓     ↓       ↓

↑ 易・道教などのシンボル「対極図」。

 

 

これとか↓    ↓     ↓

↑ タロットでおなじみの「運命の輪」。

 

 

 

 

 

これとか↓    ↓     ↓

↑ 仏教でおなじみ「六道輪廻」の図。

 

これとか↓    ↓    ↓

 

↑ ホロスコープ。

 

 

これとか↓    ↓     ↓

↑ 燃え盛る太陽。。。。

 

 

これとか↓    ↓     ↓

↑ 神社のご神体の鏡。

 

 

 

 

 

 

どれもこれもみんな「マル」ですね。。。( ´艸`)

 

 

 

 

数秘術が背景に持っている概念は、物理学でも

あり、この世の創世神話でもあります。現代科学が

発達するはるか以前、紀元前の大昔から、人間は

「点」  「線」 と 「〇(マル)」 に魅せられてきました。

 

 

 

 

 

 

宇宙が生まれたのが今から約137億年前。

 

 

 

 

 

 

時間をどんどん戻していって、ビッグバンの頃まで戻ると、

宇宙は結局小さな小さな 「点」 になります。 「点」 とは

何かというと、古代ギリシャの偉大な数学者・幾何学研究者

のユークリッドは、その 「原論」 という著書で

 

 

 

 

 

「点」 とは、部分を持たないものである

 

 

 

 

という風に定義しています。

 

 

 

 

 

 

 

部分を持たない――、 すなわち、 「それだけで

存在しうるもの」 ということで、 「点」 は拡大して

よく見れば 「マル」 です。 宇宙森羅万象、全てを

内包していたビッグバンのときの究極の 「一点」

も、 要はマルです。 そして宇宙にただよう星間ガスは

重力で集まると不思議と 「マル」 くなり、球になって

輝きますね。 マルの平方が円、 マルの立方が球、ですからね。

 

 

 

 

 

そして極大の宇宙の、もっとも途方もない大質量の存在

と言えばそれはブラックホールですが、ブラックホールも

「渦」 ですから結局は 「マル」 です。

 

 

 

 

 

 

んで、極大から極微に目をやると、光とか、電子には

「プランク定数」 という、数字の 「1」 で割り切れる単位が

あり、割り切れるということはすなわち 「分離量」 ですから

それは一個、二個、三個・・・・・・、と、数えることができます。

 

 

 

 

 

 

そして極微の光子や電子、陽子、中性子といった素粒子も

結局は 「ツブ」 で、 「マル」 なんですね。 数秘術の暗号に

こうして 「マル」 のイメージがある、ということは非常に重要な

ことです。 この 「マル」 は 「ゼロ」 になっていくわけですが、

古代からそれこそ、 宇宙のスタート時を 「1」 とカウントするのか、

それとも 「ゼロ」 でカウントするのかということは、さまざまな

数学者を悩ませてきました。

 

 

 

 

 

 

最近では、 「マル」 そのものが、 「生命の母体」 であり、

「マル」 で囲っただけでそれはもう恐るべき魔法陣であり、

物理学の世界ではいまだにマル、を意味する 「真空」 が

「モノ」 なのか、 「モノ」 ではないのかで議論が続いていますが、

最近では真空そのものがすでに 「無を意味するゼロ」 ではなく、

「温かいゼロ」 というか、結局 「完全なる無」 というのは

不可能なんじゃないのか、という意見の科学者・数学者が

増えてきているそうです。

 

 

 

 

 

 

んで、仏教の四法印とこれがひっじょーーにかぶりますね。。。

 

 

 

 

 

 

四法印とは、仏教の基本理念というか、仏教はすべてこの

四法印にのっとって理論展開されていきます。

 

 

 

 

 

 

「四法印」 とは

 

① 諸行無常 (すべてのものは変化していく)

② 諸法無我 (私、というものは存在しない)

③ 一切皆苦 (すべては苦しみである)

④ 涅槃寂静 (上記3つの真理を悟ることこそが涅槃へ至る道である)

 

 

というもの。 この4つさえ覚えておけば仏教はもう

何もいらない感じです。しっかり覚えましょう。 ( ´艸`)

 

 

 

 

 

んで、この教えの何が恐ろしいってあーた。。。(゚_゚i)

これ、実に恐ろしい話なんですよ!!!

 

 

 

 

 

 

四法印、というのは、偉大なる智者であるお釈迦様が、

6年間ひどい苦しみのヨーガをしたあと、それでも

悟れなくて、絶望したあと、苦行を捨てて菩提樹の下で

瞑想に励み、徹底的に

 

 

 

 

 

 

「どう考えても間違っていないこと・

動かしようのない事実」

 

 

 

 

 

 

とはなんなのかを、瞑想に瞑想を重ねて、あらゆる不純物

を取り除いて、間違いなく

 

 

 

 

 

「これだけはどんな時代・どんな惑星・どんな国の、

どんな生き物や生物でも変わらない究極の真実である」

 

 

 

 

 

 

と、思えるものだけを残したのです。 それが四法印です。

 

 

 

 

 

 

これでいくと、 「諸行無常」 というのは、単に、平家物語の

序盤の、祇園精舎の鐘の声~、というだけの意味ではないのです!!

 

 

 

 

 

「すべての物事は変化する」 のだから、これはつまり

「死んだ自分」 も 「変化する」 という意味で、私たちが

いつまでも 「死んだまま」 ではいられないことさえ意味

しているのですよ!

 

 

 

 

 

そして 今貧乏で、認められていなくて辛い、という状態が

あるのなら、それも 「必ず変化していく」 と言っています。

これが宇宙を貫く真理だからです。

 

 

 

 

 

 

そしてこの絵。

↓      ↓        ↓

↑ これは、 「六道輪廻の輪」 ですけれども、人間は涅槃寂静を

遂げない限り、永遠にこの 「マル」 の中で苦しみ続けるのです。

 

 

 

 

 

 

この 「マル」 からの解脱、 「マル」 の恐ろしさ、 「マル」

にとらわれてはいけない、ということを仏教ではこれでもか、

これでもかと説いているわけですね。。。

 

 

 

 

 

 

そしてこの 「マル」 が、 広がって膨らむと、力のバランスが

どうしても均等にかからなくなって必ずぼこっと出っ張ったり、

角が立ったりする。

 

 

 

 

 

 

実はそれが 「三角形」 「四角形」 であり、さらに

「五角形」 や 「六角形」 に発展していって 「七角形」

になると、コンパスでは作図できない、初めての 「素数」

になる。(2、3、5の素数から数えると四番目の素数)

 

 

 

 

 

しかしこの数字の 「7」 は、光の7色、音階の7音を

表示して、量子力学的にも重要なナンバーだそうな。。。

 

 

 

 

 

 

こういう、 「万物創世のマル」 からスタートして、

徐々に形が崩れて 「角」 が生まれ、 「角」 がどんどん

複雑化して万物を産み、物質を産みだすダイナミズムを

シンボライズしているのが、何を隠そう 「数秘術の世界」

であり、 「数秘術」 とはこうした世界創世の概念によって

成り立っている、非常におもしろいシンボル学です。占いとしての

数秘術はぶっちゃけ、どうでもいいんですけどね。。。。 シンボル学としての

数秘術は本当におもしろく、酒井さんが数学をもう一度イチから

勉強したい!! と思ったのも数秘術のルーツに触れたいからです。

 

 

 

 

 

話がそれましたが、つまり、占いやオカルティズムのシンボルとして、

こうした上記写真のような 「マル」 は、世界創世のシンボルであり、

混沌であり、また受肉のシンボルでもある、ということはご理解

いただけましたか??

 

 

 

 

 

 

そしてお釈迦様は、この 「マル」 の 「とらわれ」 「受肉」

の外の視点に立たない限り、人間に本当の幸福はない、

と言っているわけです。

 

 

 

 

 

 

もう一度この 「六道輪廻図」 を見てみましょう。

↓       ↓        ↓

 

 

「マル」 を支配している 「鬼」 は、実は後ろに

いる観世音菩薩や弥勒菩薩と同じフィールドに

いる、ということがわかりますね。

 

 

 

 

 

「マル」 の外にいる 「鬼」 は自由です。 自由に

「マル」 を支配していて、後ろの仏様にも会いに行こうと

思えば会いに行けます。同じ次元界の地続きの世界に

いるからです。

 

 

 

 

 

 

 

ふりかえって、ホロスコープを見てみましょう。

こんな図面です。

↓      ↓        ↓

 

 

どうでしょうか。 この 「マルで囲われた世界」 に

「とらわれるな」 と言っているお釈迦様の教えです。

そして 「マル」 にとらわれることこそ、 「苦しみから

逃れられない理由」なのです。

 

 

 

 

 

もう一度タロットカードを見てみましょう。 

ナンバー 「10」 に置かれることが多い

「運命の輪」です。

↓      ↓       ↓

 

↑ あら!!! ここにも 「鬼」 がいますよ!!!

背中に 「とらわれのマル・苦しみのマル」 を

載せた鬼が(笑)。

 

 

 

 

「マル」 の上にのっているのは知恵の神、

ヘルメス・トリスメギストスですね。 周囲の四聖獣は

四大天使とも取れますが四法印のシンボル、とも取れます。

六道輪廻図にあった菩薩の配置にも似ています。

 

 

 

 

 

 

 

つまり、 「運命の輪」 が言いたいのは、

 

 

 

 

「幸運・不運を気にすること自体からの脱却」

 

 

 

 

 

を意味しているのです。 占いなんてどこまでも

「マル」 の世界で、 「マル」 から離れない限り

心の安らぎはありえないんですよ、真の自由と独立は

ないんですよ、と説いている。

 

 

 

 

 

 

またこのカードが10番目に来ている、というのも重要です。

数字の10は、 「テトラテュクス」 と言って、ピュタゴラスが

非常に重視した数でもあります。

 

 

 

 

 

 

どうして 「10」 をピュタゴラスが重視したかというと、

占いのシンボルには 「5」 を約数に持つ数がとても

重要視されていて、九星気学もナンバー 「5」 で支配

されているし、易のルーツといわれる 「河図洛書」 

に出てくる、カメが甲羅に背負って現れた魔法陣は、

どこを合計しても 「15」 になる魔法陣です。

 

 

 

 

 

そしてなんと、 「5」 を約数に持つ 「10」 は、√10 で考えると円周率π、 の近似値に

なるんです!!

 

 

 

 

 

 

円周率πとはすなわち 「マル」 です。 「とらわれのマル」

で、生命の苦しみの根源。

 

 

 

 

 

 

だから私たちは、ホロスコープの内側でひたすら

星のアスぺクトや星座を眺めるのではなく、タロットカード

10番、運命の輪、に描かれたヘルメス神や鬼のように、

また、六道輪廻図の外にいる鬼のように、 「マル」 を

少し突き放した、冷めた目線で見る必要があります。

 

 

 

 

 

 

 

こんな苦しい 「マル」 を

↓    ↓     ↓

 

 

 

 

面白い! 当たる! 便利だ!! と思って夢中に

なるほど、あなたは哀れなハツカネズミになるだけです。

 

 

 

 

 

 

ハツカネズミでいたままでは、 マルの外にいる高次元の

神々や、よい存在から智慧を授けてもらえません。

 

 

 

 

 

皮肉にも、 「運命の輪」 のカードが

本当に意味しているのは、 

「運をよくしたいのなら輪(占い)から出よ」

ということなのです。(^_^;)

 

 

 

 

 

 

 

縛られてはいけない。占いを忘れきったときにこそ

本当の開運が始まるのだよ、と、私はそのように

理解していますし、実際本当にやりたいことだけに

集中しているとき、人は占いなどかけらも思い出しません。

 

 

 

 

 

 

占いをおもしろい、おもしろい、もっと知りたい! 人に

施したい! と思うその心が 「とらわれ」 であり、「マル」

の世界で、そこから脱却しないかぎり幸福にはなれないよ、

と言っている。

 

 

 

 

柵で囲われた牧場から出られないヒツジのように、 「マル」

こそ 「とらわれ」 のシンボルですが、実はヒツジに智慧

さえあれば、柵など簡単に出られてしまいます。

 

 

 

 

 

牧場で牛や羊を見ていて、私はよく思いますね。。。

なんでこの牛や馬や羊たちは、柵から逃げ出さない

んだろう、と。。。。ほんのちょっとの智慧さえあれば、

いとも簡単に逃げ出せるのに、と。

 

 

 

 

 

 

私たちは人間だから、牛や羊とは違う脳の働きがあって、

だからこそお釈迦様は六道輪廻の教えの中で

 

 

 

 

 

 

「人間界に生まれることができたのは

非常にラッキー。人間界だけが、他の

どの世界よりも悟りを早く得られる世界だから」

 

 

 

 

 

 

と言っている。

 

 

 

ホロスコープは確かに楽しいけれど、

それでどれだけ人生を台無しにした人を

私は見てきたでしょうか。。。。

 

 

 

 

 

どうにか、占いに支配されるのではなく、自分の

心の弱さを見せる鏡として、正しく占いと付き合って

欲しいと望むばかりです。

 

どくしゃになってね…

ペタしてね