リブログいただきました☆ | 占星術小説家@酒井日香の占い死ね死ねブログ

リブログいただきました☆

 

 

ありがとうございます~♡ (●´ω`●)ゞ

↓   ↓    ↓

 

でもね、こちらの引用記事にも書かれておられました

通り、孔子さまもおっしゃっているように、

荀子さまもおっしゃっているように、つくづく

 

 

「君子占わず」

 

 

 

なのですよ。。。 ブログ主、庵さんの考えには激しくうなづきました。

 

 

 

 

易経が素晴らしいな、と個人的に

思う部分は、易経は必ず

 

 

 

「大陽はすでに陰の始まり」

「大成功は転落の始まり」

 

 

 

↑ という真理がいたるところに書かれていて

(陰極まりて陽、陽極まりて陰)、ほどほどの、

そこそこの成功でいいんだよ、大成功なんてロクな

もんじゃないよ、ということをきちんと伝えている点です。

 

 

 

 

 

大成功 = 願いが叶う

 

 

 

と解釈すれば、易経って実は願いなどかなうわけない、

と、その経典のすべてで指示しているのですね。。。

 

 

 

 

 

大成功はいらない。願いはかなわない。

ならばどうするか。

 

 

 

 

「それ」がやれる喜び、今を生きる喜びから

ぶれないようにするしかない、ということです。

 

 

 

 

 

たとえば酒井さんは小説を描きますが、それで

文芸新人賞を目指して書籍化されて映像化されたい、

なんていうのは易経では

 

 

 

 

「大成功(大陽)」

 

 

 

 

なわけですけど、こうなると今度は世間から見向きも

されなくなったときの恐怖(陰)がそこから始まるわけだ。

 

 

 

 

 

すると、ジェットコースターでも登山でもそうなんだけど、

すごい高いところからの転落ってものすごい恐怖です。

 

 

 

 

 

新約聖書に描かれた有名なイエス様のお説法、

山上の垂訓のシーンにも

 

 

 

 

「金持ち(大成功者)が天国(心の平穏・幸福)

に入るのはラクダが針の穴を通るより難しい」

 

 

 

 

という真理が描かれている。

 

 

 

 

 

そして実はこのくだりというのは、ナポレオン・ヒルや

カーネギーの法則などでおなじみの成功法則セオリー

 

 

 

 

「ニューソート思想」

 

 

 

 

の中でも中核の教えである、という点、非常に

重要なことです。

 

 

 

 

イエスも易経も

 

 

 

 

 

「成功など受けなくていい。

名誉もカネも受けなくていい」

 

 

 

 

といっている。

 

 

 

 

そして易経の発展に寄与したとされる大哲学者、孔子さまは、

生涯大きな国の皇帝づきの教師になる大望を抱きながら、

夢破れて果たせなかったけれども、飄々と生き抜いて

最後はイエスとともに全世界に知られるほどの人になった。

 

 

 

 

 

成功しないことが成功の始まりで、すべてを捨て何一つ

持たずに失いきると今度は(陰きわまりて陽)になる。

 

 

 

 

 

この間小金井でアイドルが、頭のおかしな男にめった刺し

にされた挙句に生きかえる事件がありましたが、あの被害者

の女の子は大きな(陰)を受けたので、酒井さんはむしろ

易経が言うとおり、その受けた大きすぎる陰を利用して、

これを究極のチャンスにすれば実はこの女の子は大成功の

波にのれるはず、と考えます。

 

 

 

 

 

そして実はあの彼女はそうするべきなのです。

あの事件を一生のネタに、生涯犯人を踏みつけに

して犯人を足場に有名になる、という生き方をすれば、

実は太陰は太陽に転換されていく。

 

 

 

 

カルマを正しく返す、というのは、そうした働きがある。

 

 

 

 

 

 

 

会社でもなんでもそうです。

 

 

 

 

 

みんな人もうらやむ大成功、大出世を夢見るけれども、

それこそ転落の始まりだ、と易経は教えている。

そして大きすぎるハンデはそれがとてつもない財産だ、

ということなのです。

 

 

 

 

 

だとしたら、小説が見向きもされないことを喜ぼう。

他者から受ける蔑みや避難も喜ぼう。

 

 

 

 

それらがチャージされればされるほど、実は死ぬほど

夢見て渇望している成功が近づくのですから。

 

 

 

 

 

そう考えれば人生に怖いものなど何一つない。

 

 

 

 

 

心から死ぬ気で歌い、作品を書き、人に訴え続け

ただ情熱をぶつけて日々生きとおせばそれでいい。

 

 

 

 

売れないから、食えないから、人気ないからといって何を

恐れる必要があるというのでしょう。

 

 

 

 

 

そのように考えると、小説が描けて幸せ、好きな仕事が

やれて幸せ、ご飯が食べられて幸せ、生きてて幸せ、

という、毎日の生活の中、自分次第でいくらでも

手が届くところに

 

 

 

 

「成功」

 

 

 

 

 

がいつでもあるとわかる。

 

 

 

 

 

この境地に立たない限り、人生に満たされることは永遠に

ないでしょうし、渇望感に振り回される人生から距離を

置けないまま。

 

 

 

 

 

こうした激しい渇望感が姿を変え、私たちの

前に姿を現したものが占星学やタロットや、

暦占星術などの占い体系だと私は考えています。

 

 

 

 

 

 

だから起業家志望の人が占星術に手を出すと、

木星が来たときならいいことがあるんじゃないか、

木星が来ているときじゃないとラッキーにあやかれない

んじゃないか、確実絶対の相性があるんじゃないか、起業に

いい日があるのじゃないか、みたいな期待感を星々や

カードに投影していくわけ。

 

 

 

 

 

けれど、そういったなにか、

 

 

 

 

「自分の思い通りに世界が

動いてくれる」

 

 

 

 

 

ことを期待して占いをすると、結局は自分のほうが

星に憑依され、木星や土星に遊ばれてひどい目に遭う。

 

 

 

 

 

占いに手を出した人で成功者はいない、というのは、

そういう、易経が教えている

 

 

 

 

 

「成功とは、毎日の生活と

自己の行為の中にある」

 

 

 

 

 

という事実から離れた占い師が多いから、

占い師 = 社会的にダメ人間

という図式になるのです。

 

 

 

 

 

結局、孔子様のいう

 

 

 

 

「易者占わず」

 

 

 

 

のその真理を理解していない、実践の伴わない

浅い学びの占い師しかほぼいないから、占い

なんていうものは害毒にしかならないのです。。。

 

 

 

 

特に西洋占星術を学ぶ人は、孔子の論語や易経の

学びをしないと、プラトンが言う

 

 

 

 

「完璧なる魔法陣」

 

 

 

 

 

であるホロスコープに取り込まれて人の道を外れ、

的中率だけに目を奪われてしまって、行きつく先は

統合失調症、そして社会からの信頼失調になる。

 

 

 

 

 

易の学びは、西洋占に決定的に欠けている

 

 

 

 

 

「そもそも成功とは何か?」

 

 

 

 

を考えさせる究極の知恵の書。占星術をやる

人は必修するくらいの本かもね。。。

 

 

 

 

 

そんな感じで、リブログありがとうございました☆

 

 

 

 

 

みなさんもね、最後はね、土星が来ようが冥王星が来ようが、

火星が来ようが毎日やるべきことをやるだけなんですよ。

その積み重ねの先にこそ本物の成功があるのです。

 

 

 

 

そこをお互い忘れないようにしなくちゃね♡ ( ´艸`)