行きたかった御巣鷹の尾根で慰霊 | 堺市の交通まちづくりを考える会

行きたかった御巣鷹の尾根で慰霊

【追記2024年5月31日】

今年も2024年7月7日(日)に行くことになり、早速管理人の黒沢完一さんに連絡しよう!


 毎年8月12日になると、地元の上毛新聞をはじめ全国ニュースの片隅に掲載される様になった日航機墜落(激突)事故の犠牲者(被害者)遺族の現在。年々高齢化する遺族が減少するのと同じくしてその記事も少なくなってきた。

 被害者を追悼する「灯籠流し」が11日に行なわれ、11~13日は御巣鷹の尾根への慰霊登山が遺族や関係者に限られて行なわれる。

 14年前、この事故を題材に映画化された「沈まぬの太陽」について、以下ブログを記した。大阪市出身で堺市浜寺の山崎豊子氏の同名小説が原作で、社内の腐敗や航空機メーカーの技術的修理ミスなどに起因した日航機墜落を丁寧な取材により書き上げた大作だ。

 小説でも登場する家族会の代表を任された佐藤次彦先生は筆者の恩師で、先生の妻が自費出版した「佐藤次彦遺稿集 日航ジャンボ機激突事故の真実を追って」についてもブログで触れた。御巣鷹の尾根には一度は慰霊に行きたいと考えていたが、今回その願いが叶った。

 

以前の記事(前編)

 

以前の記事(後編)

 

 2023年7月1日の夜半に大阪を出発し、昼前の11時には慰霊の園日航ジャンボ機墜落事故記憶保存館を見学した。予め御巣鷹の尾根案内人である黒沢完一さんに連絡を取り、恩師の娘の素子さんの慰霊に伺いたいと打診していた。登山道入り口の駐車場から杖を2本借り、渓流沿いの最も整備された登山道を進むこと40分で休憩小屋に到着し、黒沢さんとランチ合流。この休憩小屋は38年前に群馬県警が捜索活動のために建てた当時のまま利用されている。

 

山梨県側から越したぶどう峠

🔺山梨県側からぶどう峠を超え上野村へ  🔺慰霊の園

 

杖

🔺杖貸出し       🔺整備された登山道

 

🔺休憩小屋       🔺休憩小屋との位置関係

 

 日航機123便は一旦手前の尾根に主翼を当て尾根を削り(U字溝)、天地逆さまの状態で御巣鷹の尾根に激突した。その衝撃は100Gを超え、遺体の一部は骨から肉が剥がれ土に埋もれていた。尾根の案内図は一見距離感がバラバラだが、急な傾斜を上り下りする視点から描かれているので斜面に立てば正しく読める。事故当時、基準となる✕岩(バツイワ)から各地点が命名された。

 

🔺航空画像      🔺遺体発見場所

🔺等高線地図     🔺尾根の案内図

 

🔺✗岩

 

 案内人の黒沢さんに銘標を立ててもらい、献花とお供えをした。銘標とはお墓ではなく遺体発見位置の目印で、被害者それぞれに割り振られた番号をアルミプレートに刻印し、鉄の中空パイプなどで杭打ったものだ。後日、木製の板を並立していただけると黒沢さんから伺った。

 実際の発見現場(上半身)は少し傾斜の上だったが、崩落を避けて安定した2Gに近い3Gという場所に銘標を立ててもらった。山はいつもその形を変えるからだ。両脚は7エリアで発見され、決め手は靴だった(佐藤先生のワイフである佐藤トシさんの自費出版、「佐藤次彦遺稿集 日航ジャンボ機激突事故の真実を追って」より)。

 慰霊碑「昇魂之碑」へ向かう。38年前には何もなかった尾根が、関係者のお力で年々立派な登山道が出来上がった。運動不足の筆者には黒沢さん考案の半階段の丸太がとても役立った。一方で手を付けていない傾斜は画像の通り、よじ登ると表現する急斜面、一息ついてはまた急斜面を登ったと当時の記者が語るほど。政府に都合の悪い事実を焼き払ったなどという陰謀説があるが、これだけの急斜面の広範囲をどうやって数時間で焼き払えるのか?御巣鷹の尾根について口を開くには、まずはここに来てここを感じてからにして欲しい。

 

🔺銘標を立てる黒沢さん 🔺3G地点に立つ素子さんの銘標と献花

 

🔺半階段の丸太      🔺登山道と急斜面

 

 銘標を立てた場所3Gから100m少し離れた昇魂之碑に到着。静かに手を合わせお供えした。先の雨で少し崩れた箇所を修復工事中だった。この上には多くの銘標があり、123便の操縦をした3名の銘標の前で手を合わせた。事故当時から2年後までのこの辺りの状況を以下に示す。事故の凄まじさが改めて実感できる。

🔺昇魂之碑     🔺機長、副操縦士、機関士の銘標

 

🔺事故直後  朝日新聞デジタル     

 

🔺1年後        🔺2年後

 

 事故から久しく、その報道も限られるようになった。同時に8月11日〜13日は遺族と関係者に限ってこの御巣鷹の尾根に集うという報道が大半を締め、御巣鷹の尾根そのものが遺族限定の聖地になった感が強い。遺族に配慮してそっとしておく特別な場所といった感じだ。

 事故は理不尽で凄惨ではあるが、事故現場となった御巣鷹の尾根は悲しい場所ではない。今回、御巣鷹の尾根をはじめ、人や場所に巡り合いそう思った。そういえば50年以上前、祖母が戦時中に疎開した里のお墓参りに一緒した際には、お墓の前に親戚一同集まって賑やかだったことを思い出した。

 被害者の遺族も高齢化し、筆者を含め事故の風化を危ぶむ声も年々大きくなってきた。あってはならない、誰にでも起こり得る人災事故を忘れることなく思い出せる場所として少し気軽に行ってみてはどうか。上野村から1時間ほどで高天原にほど近い絶景が体験できる。忘却の彼方にしてはいけない。


追記 2023/08/28

管理人の黒沢さんから今年の慰霊の様子と立派になった銘標のお写真を送っていただきました。立派なお花までお供えいただき、感謝!

ありがとうございました😊




傘付きの銘標を希望通り用意していただき感謝☺️