沈まぬ太陽 (前編)
実在企業や実際に起こった墜落事故を描いており、遺族への配慮などデリケートな問題もあり映像化は不可能と言われてきた「沈まぬ太陽」が公開中だ。原作はあの山崎豊子さんのベストセラー小説。初日舞台挨拶では、「熱い思いを忘れることがないよう、墜落事故で亡くなった520人の方々、ご遺族の気持ちも絶対忘れないように…。そういう気持ちで作りました。」と、途中、言葉にならないほどおえつし、何度もハンカチで涙をぬぐった主演の渡辺謙さんの様子が印象的だった。体育館に棺が並べられたシーンの撮影には3日間も要し、その間、俳優の宇津井健さんを含めた制作スタッフは私語も発さず、熟睡もできなかったという。映画で航空会社の腐敗体質の温床となった存在や、その背後の黒幕についても描かれている。
日航機事故の年、大阪工業大学に入学したばかりの学生であった私は、この事故を耳にして自分のことのように思えてならなかった。当時の大学学長は佐藤次彦教授で、ひき逃げ犯検挙協力にて佐藤先生に表彰して頂いた記憶が鮮明に残っている。その後、卒業研究の1年間とその後2年間の大学院前期課程はこの佐藤教授の下でお世話になり、とても可愛がって頂いた。佐藤先生は、聡明でチャーミングで、いつも朗らかだった。研究の合間には麻雀と絵画のお話を楽しそうに教えて頂いた。
1985年8月12日、佐藤先生は大学で開催される国際会議の相談をしていた。同じ時刻、「娘の素子が群馬の山中で命を果てていた。(中略)これが私どもの家族にとってのTHE DAY AFTERとなった。」(事故から6年たった1991年夏、「犠牲者の家族」から見た事故の風景と題して佐藤先生が「新潮45」に寄稿した文章の草稿より抜粋)
このことを知ったのは大学院に入ってからのことだ。
(佐藤先生のワイフである佐藤トシさんの自費出版、「佐藤次彦遺稿集 日航ジャンボ機激突事故の真実を追って」より)