2017年 3月06日
日の出と共にナイロビに到着。いい天気で朝日がきれいでした。
ナイロビは国連オペレーションで重要な地区のようで国連機も数多く駐機していました。
乗り継ぎをしてルワンダのキガリへ。キガリ行きの機体はまたもエンブライル機でしたが、今度は医療搬送の予定があったようでリージョナル機でも立派に運用されています。
ルワンダ国内に入ると上空からも丘の多い国というのがよくわかります。
19日ぶりのルワンダ入国を終え、市内に向かおうとするもバスはないと言われます。仕方ないからから空港前の通りまで出て再度バスを探します。市内中心方面に向かうバスを見かけるので現地の人にバスに乗って市内に行きたいと聞きますが、バスはICカードがないと乗れないとのこと!市内バスはお金を受け取らないのです。(+_+) そこまで進んでいるとは・・・というか旅行者には進みすぎです。
ルワンダ滞在は4日間。虐殺の記録を中心に廻る予定ですが、今日中に南部ブタレに行っておくと日程的には楽になります。その為にはまずバスターミナルに行く必要があります。その旨現地の人に相談すると、じゃあバイクタクシーで行けば?!と言うのです。けど入国したばかりだからバックパックなど荷物があるから・・・と言うと、問題ないよ。乗せてもらえる。とのこと。ほんと!?(゜_゜)親切な方でバスステーションまでの金額をドライバーに確認して交渉してくれました。バイクタクシードライバーもすんなりOK!荷物(バックパック二つ)を持ちバイクタクシーで行くことになりました。
バイクの後ろ自体久しぶりですが、こんなに大きい荷物を持ってのバイク二人乗りは相当前のベトナムのフエ以来、写真を撮る余裕がないのはもちろんのこと、ウイリーしないか心配しながら、必死でバイクに掴まっていました。
バイクは市内を縦断しキガリ南西部のバスステーションに。大きなバスステーションでバスを見つけるのが大変かと思っていましたが、バイクタクシーのドライバーがわざわざステーションの外にバイクを置き、バスまで案内してくれました。先ほど聞いた現地の方がこれまでオーダーしてくれていました。親切に感激です。
バスは他のアフリカ諸国と同じくバンやマイクロバスを使ったミニバスが主流ですが、他の国と大きく違うところがあります。それはミニバスでも定刻性!!お客さんが集まらなくても出発するんです!!これにはびっくり!(日本などでは当たり前ではありますが・・・)ということでアフリカ名物?のギュウギュウはなく、快適な環境でミニバスは出発しました。
千の丘の国と言われるルワンダ。緑も豊かで丘や川を多く超えてミニバスは走ります。ハイウェイーなどはなく片側一車線の国道が続きます。丘が多い分、カーブやアップダウンも続きますがその分景色変化が楽しめます。
途中の町では牛乳が名物らしく牛乳売りが沢山居ました。これも珍しかったです。
約二時間半でブカレに到着。小さなバスターミナルです。少し休憩しブカレでの一番の目的ムランビの虐殺記念センターを目指します。町まで少しあるのと、時間の関係から宿探しを後にし荷物を持っていくことにしました。ムランビ行きのミニバスに乗り約20分ぐらいでムランビに到着。ここからは町のはずれにある記念センターにはバイクタクシーに乗ることになります。荷物を持ったままのバイクタクシー。もう慣れてます(^.^)
5分程でムランビ虐殺記念館に到着。バイクタクシードライバーが待ってようかと言ってくれましたが、すぐ近くに村もあったので断りました。
敷地は大きく、丘の上に立つ建物でした。元技術大学の建物で虐殺当日はここにくれば助けられると聞き信じた6万人以上の方が犠牲になった場所です。
建物とその周りは綺麗に整備されていました。中に入ると若い女性が一人で受付をしていて、まずは建物中の展示を見てきてくださいと言われました。展示は写真や遺品、パネルによる解説があります。フランスが助けるはずがそうはせず、彼がが去った後に虐殺が始まったことの説明パネルなどは抗議にも感じられました。
展示室の見学が終わると先ほどの女性がワンツーマンで敷地を案内してくれました(僕が行った時は見学は僕だけでした)建物裏手にある元教室だった建物の中に犠牲になった方々のご遺体が無数に当時の姿そのままに保管されています。ポーランドのアウシュビッツやカンボジアのポルポト虐殺館など世界中で人類の負の遺産を見てきましたが、ここのご遺体展示が一番すごかったです。数もそうですが他の場所はお遺骨や髪の毛が残されているいるのですが、ここはご遺体が石灰をかけられそのままなのです。そのご遺体はミイラ化していて折れたり、穴が開いていたり、切られていたり・・・・無言だけど歴史の証言者のその迫力に圧倒されました。
案内していた女性に、これだけの人々をどれだけの日数かけて殺したの?
と聞くと ONLY ONE DAYとだけ答えてくれました。驚く以外何も言えませんでした。
帰りは少しのんびり歩くことに。色が変わってる木や途中の村の素朴さなどを眺めながらいい散歩でした。
しばらく歩いていたらバイクタクシーが来たので乗車しバス乗り場に戻り、ブカレに戻りました。
ブカレのバスターミナルの隣には歴史博物館があります。とても立派な展示でルワンダの文化、歴史がわかりやすく、特に民芸品は興味深かったです。
博物館から町中心部まで途中スタジアム前を通り歩いて移動。宿を探していると声をかけてきた人に案内されたホテルに行きましたが質の割に高く断念。次にたまたま通りで見つけたホテルに聞くとここも高い。仕方ないかとまだまだ先のユースを目指しますがコーヒーショップの看板にゲストハウスの文字が。聞いてみると安い!無事宿決定。
ルワンダは高地でコーヒー豆の質の良さで近年有名らしく、特にここブタレはそのコーヒー豆の産地で有名です。宿併設のショップでコーヒーを堪能しました。
少し休憩後夕食を食べに出掛けます。町の中心とは逆の方が大学なので、学生さんが行く食堂などがあるかなと探してみます。案外街灯もなく暗いのですが女子学生も普通に歩いています。治安は問題なさそうです。
暗い路地の中、それらしい食堂を見つけました。メニューがなく適当にお薦めをお願いするとボリューム満点のまぜご飯を出してくれました。バイトの大学生と日本の話をしたりして楽しい夕食時間を過ごすことが出来ました。
2017年 3月06日
さあ、まずはナイロビに向かいます。
ヨハネスブルグ タンポ空港ゲート近くのクッション屋さん。面白く可愛かったです。
この日の765便もB737です。
さらばヨハネスブルグ。また来られますように。
夜中のフライトですからね。機内食はこんな感じ。
夜が明けたばかりのナイロビに着陸。
白塗りのUN機たち。
朝日がきれいでした。
ヨハネスブルグーナイロビ765便B737-800.
乗り換えてキガリへ。今度はエンブライル機です。
リージョナル機でもちゃんと医療搬送運用もされているようです。
朝のナイロビ近郊上空を上昇。
禁煙は当たり前。今や電子電機機器使用案内の時代ですね。
ナイロビーキガリの機内食。
丘の国ルワンダ。町の形成が独特です。
キガリ空港のファイナル。どんな旅が待っているやら。ワクワクです。
無事キガリ着陸。
可愛いタワー。ローカル空港ですね。
出てきた荷物。これバックパックなんですよ。あらら。
キガリのバスターミナルからの町並み。
大きなバスターミナルでした。
ブカレ行きのミニバス。満席近いですがギュウギュウではありません。
斜面に建設された家が目立ちます。
農業も盛んです。緑豊か。
沢山の丘を越えてブカレを目指します。
途中の牛乳の産地?
ブカレのバスターミナルに到着。
次はムランビ行きのミニバスに乗ります。
ミニバスはギュウギュウで走らないから、車内の過ごし方は様々。
ムランビのバスターミナルからはバイクタクシーに乗り、ムランビ虐殺記念センターに到着です。
敷地は広く、きれいに整備されています。
元技術学校だったムランビ虐殺記念センター。この建物正面で受付。展示室があります。
時系列でわかりやすく解説があります。
その時フランス、ベルギーそして国際社会は何をしてくれたのか?
まさにこの場所で悲劇はあったのです。
撮影は控えましたが、この元教室のこのような建物の中にご遺体が無数に安置されています。
とても勉強と考えさせられた場所です。ぜひ訪問を強くお薦めします。遠いですが行く価値はあります。
帰りはこんな感じの道をゆっくり帰ります。
この薄水色の木はなんという種類なんだろう。
ムランビのバス会社ブース。ルワンダも会社ごとの切符売り場があります。
ムランビのバスターミナル。田舎の小さいターミナルでした。
ブカレバスターミナルの隣にある民族歴史博物館。立派です。
民芸品など面白かったです。
ブカレのスタジアム。
キガリから126km。これを約二時間半ぐらいで来ました。時速50kmぐらいの計算になりますね。
ブカレ中心部。この荷物と共にバイクタクシーに今日は三回乗車しました。
コーヒーで有名はブカレ。このお店は外国人経営のお店だとか・・
偶然見つけたコーヒーショップ併設のゲストハウス
安くてまあまあでした。
コーヒーショップは少しおしゃれ?!
冷たく美味しかったです。
暗すぎてピントや絞りがイマイチですが、見つけた食堂の入り口。
ルワンダの名物だそうです。味はシンプルですが、美味しかったです。
2017年 3月06日