闘病記⑤(まとめ) | リコーダー吹きの休日Recorderist's Holiday

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闘病記④ の続き





闘病記⑤(まとめ)

ー過去ー



想像を遥かに越えて長くなったけど(闘病生活もだけど闘病記が)、あんな風に生地獄の様な闘病の日々にあっても、家から一歩も外に出られない、まるで水の無い金魚鉢の中の金魚のような生活の中にあっても、受けた恵みは12の籠が一杯になって溢れるほど豊かな物だった。

生活面でも精神面でも、その時々に必要な支えが見事なまでに与えられて、どうしてまだ生きられてるのか自分でも理解出来ないような苦しみの中を、何とか生き抜く事が出来た。


どんなに辛かった事や疑問を持たざるを得なかった事も、益とされなかった事は何一つとして無かった。

初めのうちは人知を越えた存在に対して不信感を抱いたり罵倒したりする事があった自分も、不本意な事が起きた時でも「これでいいんだな」と喜べるように、そして辛い事にも忍耐出来るように変えられていった。

つくづく、人は辛い出来事を通して成長するんだという事を思わされる。

月並みな表現だけど、この経験が無かったら今の自分はいない。

「この闘病生活が無かったら・・・」と考えるとゾッとする程だ。

闘病記の最初の方に書いたヨブは、自分のものをことごとく取られた時に、「神は与え、取られた。」と言ったけど、その言葉に続きがある事を、その頃の彼はまだ知らない。

「神は与え、取られ、また与える。」だ。


人生は楽しむものじゃない。

味わうもの。

楽しみや、目標に向かって頑張る事、何かを成し遂げる事は、その内の一つに過ぎない。

これが30年生きたあまちゃんの中間報告です。

ハッキリ言って、親父(自分は神の事をそう呼ぶ事にしてる)は厳しい。

でもその厳しさは、優しいからこそ出来る事なんだと思う。

苦しんでる人を助けるのは楽だから。


それから何より、闘病中に支えて下さった方々や気にかけて下さった方々にも、この場を借りて改めて感謝を伝えさせて下さい。

本当に、本当に、ありがとうございました。

そしていつもギリギリの僕を支えてくれた、音楽、アニメ、ドラマ、映画、小説、漫画、エッセイ、ラジオ。

それらに携わってくれた皆様にも、心から、ありがとうございます。

そして、自身も苦しみながらこの経験をくれたんであろう親父にも、ありがとう。(試合で優勝した外国人みたいだな。''Thank God''、みたいな。)


今、母に掻いてもらっていた頃に、「これが過去になるんだよね。」って話してた事を思い出す。



最後に、3つの聖書の言葉をもって、この闘病記を締めくくろうと思う。




「ああ、私の受けた苦しみは、平安のためだった。」


「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるから。」


「神のする事は全て時にかなって美しい。」




最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

そんな方いるのか分かんないけど。






追記:


これを書いてから3年経って、アトピーの薬は殆ど使わなくてよくなったし鬱病も羞明もほとんど治った。

アトピーも鬱病も羞明もCFSも、原因や治療法が確立されてないっていうのに。(羞明患者のための署名はこちら)

皮膚の方は数ヵ月に一回くらい少し悪化するんだけど、それも自分を謙虚にさせてくれるいい時間になってる。

この闘病記には書かれなかった他の症状、例えば、何かに取り付かれたみたいに奇声を発して体が暴れちゃうっていう、てんかんみたいな症状も無くなった。(ある医者曰く、脳に血液が足りなくなるとそうなるらしい)


「じゃあお前は今だに何を病人ぶってんの?」と言われそうだけど、同じく原因も治療法も確立されて無い最後の砦、10代の頃からじわじわ悪化してきて、脱ステロイドによってさらに悪化したCFS(慢性疲労症候群)と戦ってる。

だけど、それも良くなってきてる。

(CFS、アトピー、鬱病、羞明、聴覚過敏、イライラ、ソワソワ、ジストニア、逆流性食道炎、便秘、冷え性、上に書いた暴れる症状、このどれもが、凝り固まった筋肉を解す事で治ったり良くなったりしてる。詳しくはここにも書いた。)


といっても、もはや治る事が人生の目的では無くなってる自分がいる。

どんな事が起きても、自分が出来る事をしながら(無けりゃ生きるのみ)、目の前にある事を味わうってマインドに変わってるから。

(勿論、支えてくれてきた人たちの為にも治る努力は常にしてる。だけど実際、自分のこういうリラックスした生き方が病気をここまで良くしたんだろうって事も最近分かってきた。どうやらストレスが筋肉を固めるって事に関係があるようだ。)


ストレスでいうと、脱ステを終えてから数年間、ちょっとでもそういうものを感じると体がピクピク、時にはビックンビックン震えて止まらないって事が続いて、脱ステ中は自分では前向きに頑張っててストレスなんて意識してなかったけど、それはただ脳が心のそういう部分を殺してただけだったと言うか、気付かないうちに体はシステムが狂う程の莫大なストレスを抱えてたんだって事に、後になって気付いた。

一度、ふとしたストレスを受けた瞬間に、座ってた俺の体がコンキングみたく、体感だと1メートルくらい天井に向かってぶっ飛んだ時があって、「人の体ってこんなに跳ぶんだな」と我が体ながら感心した。


最近はそういう事も無くなった。

脱ステで地獄の思いをしてる時、「これが終わったら6年は遊んで暮らしてやる!」みたいに半分冗談半分本気で思ってたんだけど、図らずともほんとにここまでの3年間、もちろんそこまで遊べてはないし体は死ぬほどキツいし勉強から練習からやれる事は全部やってたし、だけど脱ステ中の苦しみから比べたら赤ちゃんレベルだったから、ほとんどご褒美のようなもんで、その願いをいい感じに叶えて貰ってるなぁと思う。


ここまで治ってみて思う事は、治って色んな事が出来るようになったのはもちろん嬉しいけど、苦しんでたあの頃の自分も幸せだったんだなって事。

人生は経験だから、どんなものでも経験出来る事は幸せだっていう意味でさ。

だけどあの頃はもう経験だとか幸せだとか要らないからとにかく早く殺してくれと思ってたから、当時の自分にそんな事言っても、反抗期の中学生ばりに「うるせえ」って言われるだけだと思うけど。


そんなあの頃の自分に言ってあげたいのは、「頑張ってくれてありがとう。」かな。

そんで、「お前、しっかり味わえよ。」

って。

まぁそれでもやっぱり、「うるせえ」って返されるだけだけどね。






『地上を行く鳥』







闘病記エピローグ↓

https://ameblo.jp/saitouyukisaitouyuki/entry-12835810825.html