闘病記③ | リコーダー吹きの休日Recorderist's Holiday

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リコーダー奏者の斎藤夕輝です。
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闘病記② の続き。

今回はたまの日記形式になってます。

(※)で書かれたところは後年の後書き






闘病記③

ーLife is beautiful with painー



それから実に2年。

良くなったと思っても、また、排毒が始まる。

延々、その繰り返し。

一喜一憂はしないと決めた。

(※今の自分だったら、良くなった時にはその状態を素直に楽しんで、悪くなったらその状態をとことん味わうっていうスタンスでいけるだろうけど、当時の自分はそういう生き方をまだ知らなかった。)


それでも、とうに折れた心で何とか保ってたのが、本当に危なくなってきた。

前回、幸せを感じる事が多くなったと書いたけど、無意識の内に、本当に些細な事に何とかして幸せを見出そうとしている自分がいて、その事が悲しかった。


母は、夜も寝ないで何時間も、ほとんど休み無く掻いてくれていた。

ようやく横になれてウトウトして来た所を、また息子の唸り声に起こされる。

ひたすらに掻き続け、気付けば外は明るくなり、鳥が鳴き出す。

その繰り返しだった。

(※話がちょっと逸れるけど、闘病生活が落ち着いてきた頃、友達と同じ部屋で寝た時に、そいつのいびきで寝られなくて困った事があった。

母は毎晩これ以上の思いをしてくれていたのかと思うと、感謝を超えて畏怖の念すら沸いた。

ちなみに自分の人生の目標は、いびきをかいてる人の隣で寝れるようになる事。

それじゃ、話を戻す。)


何かを願う気力も失われ、最後の方は、掻き分けた先の遠く彼方にある微かな光を仰ぐかのようにして生きていた。

周りに負担をかけながら生きている事も、症状と同じぐらいに辛かった。


そんなある日、それまではずっと「あれ程辛い思いをして塗ってきたステロイドに戻るよりなら死んだ方がましだ」と思ってたのが、ふと「ステロイドに戻ってもいいな」に変わった。

その頃には自分の精神は本当に限界だったし、6年間で皮膚もだいぶ良くなったし、何より決め手になったのは、僕を助けてくれていた母の体にも限界が来ていたという事だった。


そしてその後、ずっと前に偶然人から貰った本を通して、ステロイドも僅かに使いつつ安全かつ僕が最も望む方法で治療してくれるという病院に出合い、こうして僕は6年間の脱ステ生活に幕を閉じた。

その病院に行けた時の話も奇跡的なんだけど、それを話すと更に長くなっちゃうから、またいつか。

(※念の為言っておくと、脱ステロイドがいけないんじゃ無くて(いいとも言わないけど)、自分の場合使ってきた量が多すぎたから、ステロイドが出切るのに年月がかかり過ぎたって事みたい。

しっかり完了させられた人はいくらでもいる。

自分もその6年ほどでかなり良くなった。

一番下にそれぞれの波の写真を貼った。

かなりグロいから、見たい人だけ自己責任で。

ただしステロイドを20年以上使った人の脱ステ治療は受け付けないって病院もある。

そもそも、ステロイドは使わないに越した事は無いというのが今の自分の考え。

使うとしてもほんとにやばい時だけとか。

ステロイドを塗るって、結局臭い物に蓋理論だから、元を正さない限り、一生塗らなきゃいけなくなる事が多い気がする。

まずはアトピーの原因と言われてる、筋肉/骨格/内臓を治して労って、それでもダメなら考えなきゃいけないかもしれないけど。

最近はステロイド以外の薬もあるみたいだけど、それに関しては何も知らない。)


ステロイドから離脱するという目的は叶わなかったけど、何か弱さを持ちながら生きるっていうのもドラマチックで悪くないなと思う事にした。

聖書に出てくるパウロが、神に自分の体を治してほしいと願ったら、「あなたの恵みは十分にある」って言われて癒やされなかったって話が頭に浮かんだ。


とは言うものの、病院に行って薬を貰った帰り道、これまでの6年と、これからまたあのステロイド生活に戻るって事を思うと絶望で頭がクラクラした。


だけどやっぱり、''Life is beautiful with pain.(人生は痛みがあるからこそ美しい)''だ。(闘病中自分で考えた言葉。いいでしょ。)

痛みの無い人生なんてつまらない。

(2020.10.3)



その後、最小限のステロイドの使用により、ある程度皮膚のコントロールが出来るようになってきた。

と同時に、体調不良の原因になってるであろう内臓や骨格など、様々な観点からの改善を試みた。

だけどそれでも、皮膚は定期的に強い痒みが起こって血が出るまで掻いてしまったり、鬱や他の症状も良くなったり悪くなったりを繰り返して、そのせいでやりたい事が満足に出来ず、それでも前向きに頑張っていたけど、ある日強い鬱に襲われ、耐え切れずに何度も首を吊ってしまう。

それから間もなくして強い痒みが起こり、血が出るほど掻いた。


「何も変わってない」

6年間死ぬ思いで闘病して、ようやく解放されるんだろうと期待してた自分の心が、再び折れた瞬間だった。

自分は思った。

「神は何をしているんだろう。」

聖書には「求めなさい」とあるけど、求める事なんてもう何百回してきたか分からない。

「神だって死ぬんじゃないか。」

「神が死なないという保証がどこにある。」

神は死んだと言う人の気持ちが初めて分かった。


それでも思い直して、聖書に出てくるダビデという人の「助けて下さい。いつまで顔を背けているのですか。」っていう有名な祈りのような祈りを、布団の中で横たわりながら捻り出した。

これでも聞かれなかったら、これが最後の祈りになるかもしれない。

そんな父親(神)には付いて行けない。

クリスチャンでいる事を辞めるしかない。

そんな事も訴えた。


だけど、肉体も、心も、何も変わらなかった。

「このままクリスチャンをしていたら人生が崩壊するからクリスチャンを辞めた」って人の話を聞いた事があるけど、その気持ちと同じだったと思う。

「神はやはり悪魔でもあるんだろうか。」

「死んでもこの神から逃れられないなんて、この世は地獄だ。あの世も地獄だ。生まれてくる事は悲劇だ。」

魂が絶望していた。

疲れ切った肉体と精神は、いつの間にか眠っていた。


ところが、目を覚ますと、何かが違う。

・・・心が違う。

さっきまでの絶望感が無い。

苦しみを、受け入れている。

いや、むしろ楽しんでる?

自分は壮絶な無力感を味わった。

どんなに求めようと、何をしようと変わらなかった、この苦しみに対して。

そしてふと思った。

ああ、苦しみは、''与えられている''ものなんだ。

それまで自分にとって苦しみは、''そこから打破しなきゃいけない事''だった。

もちろん、聖書にあるように、求める事は必要なんだろうし、信じていればそれはいつか与えられる。

だけど、苦しみは楽しめる。

楽しめなくても、やっぱり意味がある。


布団の横に置いてあるスマホから、ショパンのバラード4番が流れていた。

音楽が明るいだけだったら、どんなにつまらないだろう。

悲しくて苦しくて切なくて、だからこそ自分は音楽を愛してる。

全ての絵画が原色だけで描かれていたら物足りないだろう。

あの複雑な色合い、それは人生において苦しみが混ぜられて出来ている。

ドラマだってそうだ。

何の苦しみも無いドラマなんて見る価値があるんだろうか。

いや、それはそれで面白いのかな(笑)

だけどそんなドラマ見た事無い気がするな。


求めていたものは与えられなかったけど、代わりに、「苦しみを楽しむ」という、超ドM精神が与えられた。

それって、人生を送る上で最強なんじゃないか。


楽しみもある。

苦しみもある。

人生は、最高だ。

(2020.11.21)



今は天国の前段階なんだから、何て事は無いさ。

この世はリハーサル、あの世が本番。

こっちはウォームアップ、あっちが試合。

って、天国でまで戦いたくないっつーの(笑)

(2020.12.18)



薬を塗る時間は何の得にもならないと思ってたけど、違った。

頑張りすぎる自分にブレーキをかけてくれて、心に余裕をくれる。

人生には、一見無駄に思えるような事も必要なのだと強く思うこの頃。

最近、無駄やトラブルを楽しめるようになってきた。

これは昔の自分には出来なかった芸当だ。

皮膚も所々ちょちょいのちょいっとステロイドを塗るだけで問題無くコントロール出来てる。

(2020.12.25)




本屋に立ち寄ったら、脱ステ中、稀に調子が良い時に買いに行っては読んでた漫画が最終巻を迎えてたのを見つけた。

外を歩けてる喜びや、店内の一角に並べられたその漫画達をワクワクしながら見てたあの頃を思い出して、思わずウルっときた。

というか嗚咽もした。

軽くだよ。

頑張ってたな、あの頃の自分。

ご褒美に、当然買って帰った。

ところが、伏線は回収しないどころか無かった事にすらされてるトンデモ最終回だった。

Life is beautiful(笑)
(2021.1.9)



今日は演奏会に行った。

自分はやっぱり音楽がしたいんだなと思った。

(2021.1.10)



ここ数週間体調が良くなくて、ほとんど寝てる。

ネガティブな考えとポジティブな考えが頭の中をグルグルする。

そんな中、同じく寝たきりで今よりもっと苦しんでた頃に、すがるようにして聴いてた曲を、久しぶりに聴いた。

あの頃の情景や感情がよみがえった。

音楽はすごいな。

それから、ふと思った。

「生きてて良かった。」

あの時苦しんでたけど今まだ生きれてて良かった、じゃない。

苦しんで良かった、と思った。

良い事があってそう思った事なら何度かある。

だけど、苦しみに対してそう思ったのは初めてだった。

聖書の一節が頭に浮かんだ。

「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。」

(2021.4.9)



この間はいつもに増して鬱病が酷くて大変だった。

止めようとしてくれた、シェアハウスをしている友人に、人としてしてはいけない事をしてまで死のうしてしまった。

だけど友人に手をがんじがらめにされ、なんとか峠を越えて、それからすぐ、また新たな持論に出逢えた。

そいつと、「そうだそうだ!」って少女漫画のキャラクターみたいに目をキラキラさせながら盛り上がった。

端から間違いなく見たら哲学オタクだった。

どっかでアリストテレスに笑われてたかも。


その持論っていうのは、「天国が喜びのためにあるなら、今の世は苦しみのためにある。楽しい事は、苦しむためのエネルギー。」

今までは、''楽しむ''の優先順位が高かったんだけど、それだと楽しくない時に辛くなる。

さすがに苦しむために生きようとするのはしんどいけど、「この世は苦しみの為にある」と思えば、辛い時に「これでいいんだ。目的を達成出来てるんだ。」って思えて楽になる。


後日、聖書をパラパラめくってたらこんな箇所も見つけた。

「あなたは、人がその子を訓練するように、神があなたを訓練されることを知らなければならない。」

これって有名なのかな。

初めて知ったよ。

20年強クリスチャンやってんのに。

それからこんなのも見つけた。

「神は人を、ただ苦しめ悩まそうとは思っていない。(略)災いも幸いも、いと高き方の口から出るのではないか。」

考えてみると今まで経験した辛い事で、ただ辛いで終わった事って無いな。

全部がプラスになってる。

「わたし(神)の思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」って言葉も思い出した。


あの日、その友人は血便が出た。

「いい思い出だ。」って言ってくれた。
(2021.4.22)




またやっちゃったよ。

俺って誰かと話してる時に勝手に相手が忙しいと決めつけてぶっきらぼうな言い方で会話を終わらせちゃう悪いクセがあって、この前も今通ってる整体の先生にやっちゃって落ち込んだとこだったんだけど、今日は電話で、そこの受け付けのおねえさんにやっちゃった。

俺が予約を無理くり入れてくれた事を謝ったら、おねえさんが「先生がやるって言ったんだからやるでしょ〜?」なんてケラケラ笑いながら言ったりして、楽しく和やかに話してたのに。

おねえさん、明らかに困惑してた。

だけど、そのおかげで、逆に自分もそうされてモヤモヤした事があるのを思い出した。

それで決めたよ。

もう、「何でそんな事を」って思えるような他人の言動を気にするのは辞めよって。

表面からは分からない、その人の事情や考えがあるんだ。

考えてみたら、悪気を持って何かをする人ってそうそういないよな。

30年生きてきてやっと気づいたよ。

遅すぎるだろ・・・。

悪気ある人がいたとしても、悪気を持つようになってしまった理由はあるよね。


ていうかこれって闘病と関係ないね。

ま、いっか。

(2021.5)




(※この頃の僕に会った事がある人の中には、「え?元気そうだったじゃん」って思う人もいるかもしれないけど、短期では小幅の、長期では大幅の体調の激しい波があったのと、治療の過程で一時的に悪くなったりもしてたのと、自律神経の問題だから一人の時にこそ一番症状が重くなるっていうのと、そもそもある程度元気な時じゃないと人に会ってなかったってのがある。)


脱ステロイドそれぞれの波毎の写真 ↓

https://ameblo.jp/saitouyukisaitouyuki/entry-12835953844.html 

闘病記④↓

https://ameblo.jp/saitouyukisaitouyuki/entry-12835545791.html 



『あと少し』