好きな聖書の言葉を載せていくシリーズ第5回。
うぃっしゅ!(これ書いた頃流行ってた)
SKZ。(さくさく行くぜ。)
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わたしは、だれが死ぬのも喜ばない。だから、悔い改めて、生きよ。
(エゼキエル18:32)
彼らにこう言え。『わたしは誓って言う。わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえって、悪者がその態度を悔い改めて、生きることを喜ぶ。
(同33:11)
神が未来を見通せていて、悪者は死後に裁かれるというなら、どうして神は悪者を造ったんだろうと思い悶々としていた時に見つけた言葉。
神の本音を知った気がして嬉しかった。
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あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。
悪すぎてもいけない。自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。
(伝道者の書7章16~17節)
自分は、正しくあろうとし過ぎたり考え過ぎたりして自暴自棄になったり絶望したりするなって意味だと解釈してる。
イエスは「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」って言ったけど、「完全」とは「正しすぎない事」でもあるのかもしれないなって。
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「神は人を、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」
「あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神があなたを訓練されることを、知らなければならない。」
「彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。」
「ああ、私の受けた苦しみは 平安のためだった。」
「悲しむものは幸いですです。その人は慰められるから。」
「順境の日には喜び、逆境の日にはこれを覚えよ。それは神が人に後の事を分からせないためだと。」
ある人が「苦しみは人生の副産物」って言ったけど、自分は今んとこ受けた苦しみ全て経験して良かったって思ってて、そんでそっちが主産物だなって思ってる。
最後の言葉で言われてる事ってつまりは、人間の謙虚の為なんだろうね。
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蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。
(マタイ10:16)
蛇って悪魔の象徴でもあるのに、イエスがそれを逆手に取ったのが面白いと思うから好き。
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自分の命を得ようとするものはそれを失い、私(イエス)の為に捨てるものはそれを得る。
(マタイ10:39)
これってクリスチャンの自分から見ても危険な宗教臭がプンプンするような言葉だと思うんだけど、「イエスに心臓を捧げよ!」的な過激な意味合いというかは、「私(イエス)の為に」ってつまり何?って考えると、「イエスの言った事に付いていく」って事で、つまりそれって基本的には「あなたの隣にいる人を愛せよ」って事なわけで、となるとこの言葉の持つ意味って基本的には、「自分のためにだけ生きてても幸せにはならないよ。人のために生きてこそ、お前は幸せになれるんだぞ。」って事だと思うんだよね。
ちっぽけな自分の頭で考えてみても、自分を喜ばせるためだけに生きてたら終わりの無い欲に苦しくなってくるだろうなって事は割りと想像できるし、なんかの本にも「(実験によると)人が最も幸せを感じる時は人に何かを与えた時」ってあった。
そして自分自身、誰かのためにと自分を鼓舞して何かをするのは思いの外幸せだったりする。
だけどもちろん、人のために生きるっていっても自分を殺してまでするのはよくないと思うよ。
聖書も「正しすぎてはいけない。何故あなたは自分を滅ぼそうとするのか。(伝道者の書7:16)」って言ってるしね。
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YSZ...IIK?(約束通りさくさくいったぜ。・・・いやいけたかな?)