前回からの続きです。



(前回はこちらです)


 


中国の奥地

雲南省と四川省にまたがる秘境に

生き残る「母系社会」






モソ人の『女たちの王国』に

ついてみてみました。





 『女たちの王国』

「結婚のない母系社会」中国秘境のモソ人と暮らす



(曹惠虹 著 秋山勝=) 草思社 より







世界のほぼ全てが父系社会の中

またとくに父権の強い中国にあって



「女人国」が現存していることは

驚異的なことだと思います。




もともと、このモソ人は

チベット系遊牧民の末裔といわれています。






(『万葉集の起源』東アジアに息づく抒情の系譜

 遠藤耕太郎 著作 中公新書より )

 


「彼らは、かつて現在の青海(せいかい)

あたりに暮らしていたチベット系遊牧民族

『羌(きょう)人』を祖先とし



紀元前四世紀ころ、秦(しん)の圧迫を逃れて

南下し雲南に入った人々と考えられています。



チベット・ビルマ語系の言語を話し

今は蕎麦(少し苦味があり「苦蕎(クーチャオ)

と呼ばれる)、チベット麦、稲、トウモロコシ



ジャガイモなどを栽培しているが、昼間は

ヤギや羊を山に連れていき、日がな一日草を

食べさせている光景などにかつての遊牧民の

面影が残る。」





じつはこの「羌族」は

あまり知られていませんが

(そもそも羌族を扱っている本がかなり少ないです)




東アジアの歴史の中で

とても重要な存在です。


 


この羌族は中国の伝説の三帝の一人

炎帝神農氏の流れを引くとされ




中国で最初の王朝「夏()」の

建国者「禹()」を輩出したと

いわれています。

(夏の建国は紀元前2000年頃です)




つまり羌族とは



歴史書に記録された、中国最古の

王朝に関係する種族との説があるのです。






そして、わたしは群馬県の高崎市

吉井町一帯に伝承を残す謎の豪族


「羊太夫(ひつじだゆう)





大陸からわたってきた、この羌族の裔(すえ)

それも女性ではなかったかと考えています。





 


「羊太夫」が女性ではないか

という点は以前にふれました


2021-08-18 『天の岩戸』神話のもう一つの意味



「羌族」・「羊太夫」の関係については

次回以降に書きたいと思います。








今回は、古代の日本には


モソ人と同じように女性を中心とした

『母系社会』が存在したのではないか?



そんなことをテーマに書きたいと思います。





 


さて、女人国・モソでは

結婚の概念がなく



男性が女性の家に通う


「通い婚」「妻問い婚(つまどいこん)

現在も行われていますが

(おとずれるのは主に「夜」に限られます)


 

「通い婚」「妻問婚」とは

夫婦が同居せずに夫が妻のもとを

訪ねる形態のことです。



かつての日本も平安時代の中頃まで

通い婚・妻問婚が主流で



母系制が色濃かったといわれています。





 


平安貴族の物語として有名な


『源氏物語』の主人公・光源氏は

さまざまな女性の家に通いますが


 

その背景には、当時の社会形態が

反映されているのですね。







「めおと」は「女夫」とも書きます。

古代、女性の順位が先だったのでしょう。





女人国・モソでも


女性が家に男性を招き入れるかどうか?



その決定権は女性の側にあり

そして生まれた子供の養育権は

女性の家にありました。










・「母社会」とは、母の跡を

 娘が継いでいくことですが




対して




社会制度として首長に女性を戴く

ことを「母社会」といいます。

(強い社会権力を女性がもつということです)







 そもそも


「母系社会」と「母権社会」はべつもので

分けて考えるべきともいわれますが



 

両者に共通するのは

「女性を仰ぐ精神」です。







人類のはるかな過去に

「母社会」が存在したという説は

現在では完全に否定されているようですが





そもそも、女性・男性

どちらが「系」「権」をもつか?



古代の女性たちはそんなことに

執着はしていなかったでしょう。








「母系」「母権」であることで

社会が平和に毎日おだやかに循環するので



そうなっていただけのことでしょう。

わたしはそんな想像をしています。



 

世界の神話の神々をみても



根源たる女性神「大地母神」の例は

枚挙にいとまがありません。





 

日本のイザナミ、メソポタミアのイシュタル

ギリシャのガイアヘラ、中国の女媧(じょか)など。



 


『女たちの王国』の著者、曹さんは

モソ人のいとなむ「母系社会」について



 

人類史の夜明けと同じほどに

古い時代から伝わった(生き残った)過去

ではないかと記します。





 

さて、この古代の

「女性を仰ぐ精神」から



紐といてゆくと、ストンと納得できる

日本神話があります。


『日本書紀』崇神(すじん)天皇

 十年九月条の「箸墓(はしはか)伝説」です。




『箸墓古墳(はしはかこふん)』(奈良県桜井市箸墓中)
 (「ヤマトトトビモモソヒメ」の墓とされます)


Hashihaka-kofun zenkei-2.jpg 「wikipedia」







比較的、有名な神話なので 

ご存知の方も多いと思います。



その一方で、とても理解しにくい

神話でもあります。



奈良県にある桜井市にある


・三輪山(みわやま)の神

 「大物主神(オオモノヌシ)


そしてその妻となる


「倭迹迹日百襲姫命」

 (ヤマトトトビモモソヒメ)


のお話です。



少々長いですが

以下のようなお話となっています。



 


ヤマトトトビモモソヒメは


三輪山の神

「オオモノヌシ」の妻なりました。



しかし、夫のオオモノヌシは


モモソ姫のもとに

昼は来ないで、夜にだけやって来ます。



モモソ姫は夫に、いいました。



「あなたは夜にしかお越しに

なりませんので、お顔をはっきり

見ることができません。」



「どうか明日の朝まで留まってください。

うるわしいお姿を拝見したく存じます。」




オオモノヌシは了承し



翌朝、小蛇の姿でモモソ姫の前に

現れます。



その姿にモモソ姫は驚き

叫び声をあげたため



オオモノヌシは恥じて三輪山に

もどってしまいました。



 モモソ姫は後悔し

どすんと座りこんだ際に



(はし)で陰部を突いて

死んでしまいました。





さて、はたしてこの神話は


いったいわたしたちに何を

伝えようとしているのでしょうか?








神話は事実の反映であって



なにがしかの歴史をわたしたちに

伝えようとしていると思っています。




オオモノヌシが

「夜にだけやって来た」


というくだりは



古代の日本に存在した


「通い婚」「妻問い婚」

の風習の反映であり



 古代の「母系社会」が「父系社会」に

取り込まれていった段階の神話と

みることはできないでしょうか。







・『クシナダヒメ』
(八人姉妹の末、ヤマタノオロチの生け贄にされる
ところを助けられ、スサノオの妻となります。)


( 荒川区 三河島山車人形、ゆいの森あらかわ にて)






このようにながめてみると



一見不可解な「箸墓伝説」も

多少なりとも、実体(歴史)をもって

語りかけてくるように思います。



 

続きますね。