前回からの続きです。





前回は




『異名同神』

『八束脛(ヤツカハギ)




について、みてきました。



『異名同神』とは

名前は異なるが同じ神である



ということであり





大化の改新以前には、人・神について

「同人(同神)異名」「異人(異神)同名」という

古代特有ともいうべき、WHO(誰か)の問題がある。


古代氏族の研究⑥ 

『息長氏 大王を輩出した鍛冶氏族』より

 (宝賀寿男氏 著)





 

古代氏族研究家

宝賀寿男氏は、そのように述べ



その顕著な例として

きわめて多くの別名を持つ神



『少名彦神(スクナヒコナ)を挙げられます。





歌川国芳『日本国開闢由来記』巻一

『wikipedia』より



少彦名命、宿奈毘古那命、須久那美迦微、須久奈比古、少日子根命、小比古尼命、小彦命、小日子命、小名牟遅神、久斯神、少名彦命、天少彦根命 など

(きわめて多くの別名を持ちます)






「スクナヒコナ」とは、体躯の小さい神で

一寸法師のモデルとも言われています。



海の彼方より、出雲の海岸に来訪して






『古事記』では、「大国主(おおくにぬし)

『日本書紀』では、「大己貴命(おお()あなむち)





そらぞれと、義兄弟の関係になり

協力して出雲の国造りに、あたったと

伝承され



やがて、スクナヒコナは



「粟(あわ)の茎に弾かれて

「常世(とこよ)の国」に飛び去ると

 記述されています。


『常世の国』とは、東方・辰巳の方角
海の彼方にある一種の理想郷。
沖縄の『ニライカナイ』に通じるイメージです。




スクナヒコナが飛び去った後に

大国主が、これからの国造りを

自分一人でいったいどうすれば良いのか

嘆く姿が『古事記』に描かれており



スクナヒコナがいかに重要な役割を

果たしたかが、わかります。



スクナヒコナを祀る神社は、全国に分布し




『大洗磯先神社(おおあらいいそさきじんじゃ)』

 (茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890)

 ・主祭神 大己貴命 (おおなむちのみこと)

 ・配祀神 少彦名命 (すくなひこなのみこと)

『wikipedia』大洗磯前神社 神磯鳥居.JPGより 



神磯の鳥居、祭神の降臨地と伝わります。





その一方で、平安時代に編纂された

(京・畿内の)氏族の系譜を記した

『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』には


その名前すら見えません。



ですが、宝賀氏が指摘されるには

じつは『別名』で、多く登場しており



それらが同神と認識され難いから

この神の重要性はあまり認識されない。



しかし、このスクナヒコナの後裔諸族は

列島内に広く分布し、重要な職掌を担い





その具体的な系譜が解明されれば


「わが国上古史を書き換えるのでは

ないかとさえ思われる。」




とまで、記します。



また、続けて宝賀氏は

先ほど述べた、スクナヒコナが

「常世の国に飛び去る」という神話の記述は





 当初、九州に渡来したスクナヒコナ諸族が

出雲に至り、大国主(大己貴命)を奉祭する海人族とある時期に関係性をもち、やがてスクナヒコナ諸族が(後裔諸氏の所伝から考えると)畿内方面に移遷した喩えかとみられる





このように、説かれます。



この天孫族のもつ移動性

一つのポイントだと思います。



またその他に、天孫族の特徴をとして

以下の点を挙げられています。


 



鳥トーテミズム

・「太陽神祭祀」

鉄鍛冶技術

・「石神」、「巨石」への信仰

・「殉葬習俗」



 



ところで、世界で初めて

鉄の大量生産に成功したのは



騎馬民族・ヒッタイト人が興した

現在のトルコ・アナトリア地方に栄えた

「ヒッタイト帝国」とされます。





『ヒッタイト帝国遺跡』ライオン門






しかし、2017年に日本の調査団が

トルコ中部のヒッタイト遺跡において

紀元前22002300年頃という



ヒッタイト帝国勃興より

はるか以前の地層から



世界最古の人工鉄の塊を発見し、この為に

人類の製鉄起源が、大幅に遡る可能性が

出てきました。



鉄の成分も、この地域の鉄鉱石とは

異なるようで


ヒッタイト人が別の民族から、製鉄技術を

受け継いだ可能性も出てきました。





余談ですが、妻がとても好きな漫画に

ヒッタイト帝国を舞台にした漫画


「天は赤い河のほとり」(小学館 篠原千絵 著)


があり、読み(まされ)ました。



「身分ってのは上の者が下の者を守るために

 あるんじゃないの!?」



という、主人公の言葉が印象的でした。

まったくその通りだと思います。



 



やがて、紀元前12世紀に

ヒッタイト帝国が忽然と姿を消すと


その鉄鍛冶技術は世界に拡散し



同じ騎馬民族・スキタイ人に伝播し






『パジリク古墳群出土の壁掛けに描かれた騎馬像』

 『wikipedia』File:PazyrikHorseman.JPG




黒海北岸、『トヴスタ=モヒーラ古墳』から

出土した女性の胸飾り



精緻な細工を施された黄金製品が

彼らの技術の高さを物語ります。






シルクロードの北側

ユーラシアの森林地帯に沿って

(鉄鍛冶には、炉を燃やすための

「森林資源」が不可欠であり)




『ユーラシア・ステップ』
『wikipedia』Eurasian steppe belt.jpg 



この長大な領域と馬を利用することによって
起きた『移動革命』は、不可分の関係だと思います。

また地球は「球体」なので、緯度が上がれば

横の移動距離は、赤道付近より短くなります。





彼らスキタイによって

はからずも同じ緯度に沿って


ユーラシア東部へと鉄鍛冶技術が

運ばれます。



その伝播の道は


「アイアンロード(鉄の道)


と呼ばれ


おそらく、その道は

日本にもつながっているでしょう。




『稲荷山古墳出土鉄剣』
(いなりやまこふんしゅつどてっけん)



埼玉県、埼玉古墳群より出土した国宝。

115の文字が刻まれた、有名な「鉄剣」です。

文字部分は、で造形されています。

博物館の方は、5世紀の文字が刻まれた

疑いようのない「(明確な)文献」が出土した。

古代の歴史を知る上で、絶大な価値があると

語られていました。






日本は脊梁山脈が通り

降水量が多く、森林資源が豊かで

火山性由来の()鉄資源の豊富な国です。





そして技術が運ばれるということは

当然、その担い手である人の移動も伴います。



鉄鍛冶とともに

その技術をもった人びと(子孫)が来着し



おそらくはその際に

「馬」と、その「馬術」周辺

伝わったのでしょう。




『埼玉古墳群・将軍山古墳』



レプリカ像は、サラブレッドのような大型種ですが

当時の馬は、実際には木曽馬のような小型種です。






馬を操る「馬銜(はみ)

ユーラシア草原地帯の遊牧民の発明品と

いわれます。



現在、発掘によって


中央アジアの僻地とされた場所に

巨大な「鉄の国」があったことが

判明しつつあります。



そこには「王家の谷」ともいえる


40基以上の古墳(クルガン)

密集する地帯があります。



『クルガン(кургáн, kurgan)』

ユーラシア大陸中緯度、ステップ帯に分布します。

『wikipedia』Cmentarzysko Jacwingow, Suwalszczyzna 




 

『鉄』








・青銅の鎧や剣を砕く強靭な「剣」や「矢」であり


・農耕生産を飛躍的に増大させる

荒れ地を掘り起こす農耕具「鋤(スキ)であり


・かつて金の8倍、銀の40倍の価値を

持つといわれた「交易品」、富の源泉であり




 


「鉄」鍛冶技術とは、国を勃興させる

強力な「手段」となるのではないでしょうか。




じっさいに

ヒッタイト帝国は、鉄の威力をもって


当時の超大国エジプトの侵攻を

退けています。



『wikipedia』All Gizah Pyramids.jpg 



この鉄鍛冶技術をもつのが

「天孫族」である





・日本列島に広範に分布した

 「スクナヒコナ」諸族


剣神を奉祭する「物部(モノノベ)」氏






などであり



宝賀氏が「製鉄神」といわれる神に



「天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)



があります。


神名にある「目一」とは

片目の比喩で、片目の神とされます。

(また、ギリシャ神話に登場する単眼の巨人

『キュクロープス』は、鍛冶技術をもつ神です。)


『wikipedia』Libr0328 



この「片目」とは、どういうことかというと



火の勢い・火の色から

製鉄炉内の温度を読み取るために

一方の目を閉じ、片目で炉の火を見ること





もしくは、炉の火を恒常的に見ることで

片目の視力を失う、鍛冶の職業病の比喩と

いわれます。




宝賀氏は、この「天目一箇神」の別名

「天津魔羅(あまつまら)などとし



さらには


「経津主神(フツヌシノカミ)とします。

(そして、その息子が

「饒速日命(ニギハヤヒ)とするのが妥当で

母は「山祇族」系紀伊国造族の出か、とも。)




『七支刀(しちしとう)』
『wikipedia』Seven-Branched Sword.jpg 
「石上神宮(いそのかみじんぐう)」
(奈良県天理市布留町384) に伝わる鉄剣。





経津主命は、「剣」の神であり

物部氏の遠祖神です。




それにしても



・「騎馬民族」

・「鉄鍛冶技術」




この二つの親和性は、何に起因するのか。



妻と話していたところ

妻曰く「荒野の風」を知っていた





そして「風」求めて「移動」したからでは

ないかとのこと。




野たたらということでしょうか。






実際に、ヒッタイトの町のほとんどが

山ぎわにあり、山の斜面に製鉄の痕跡が

見つかっています。



製鉄において、重要なことは

炉の温度を長時間高温に保つことであり



製鉄炉に風を送る

「ふいご」が発明される以前は






たたら製鉄、踏み鞴(ふいご)による送風作業



映画『もののけ姫』でも
この踏み鞴による、たたら製鉄の場面が出てきますね







厳しい自然環境の中で、自然風を利用して

いたのでしょう。ビル風のようなものですね。



そう考えると

群馬県の冬期にみられる、強烈な


『wikipedia』MountAkagi 



「上州空っ風(からっかぜ)

(別名「赤城おろし」)



野たたらに最適な環境では

あると思いました。



目が開けられないくらい

強烈な風らしいです。




 


『コトバンク』より

『野だたら』(読み)のだたら

(世界大百科事典内の野だたらの言及)


[民俗]

たたら製鉄は初め採鉄などの適地を求め,露天で自然の通風を利用して銑鉄を得るという形で行われ,野だたらといわれたように移動性,漂泊性の強い集団であった。それがしだいに高殿と記される炉をもった作業施設がつくられ,定着するようになった。…



 


今回、最後に私の先祖の居住した

群馬県吉井町の歴史について


『天孫族・スクナヒコナ』諸族という

視点から、少し書かせて頂きたいと

思います。



『玉(たま)』がテーマです。




宝賀寿男氏は

製鉄技術を携えた『天孫族』

『スクナヒコナ』諸族として



『鴨(カモ)族』のほかに



・『伊豆国造』

・『知々夫(秩父)国造』

『忌部』氏

 (祖神「天太命(あめのふとだまのみこと)」)

・『三島県主』

・『鳥取』氏



などを挙げられます。



『知々夫国造』を挙げられていることに

とても驚いたのですが



・『三峰神社』
 (埼玉県秩父市三峰298-1)




宝賀氏は、埼玉古墳古墳群は

地理的に考えて、武蔵国造ではなく


知々夫国造が領域としていた可能性が高い


とします。



武蔵国造の領域には、同国が奉祭する

氷川神社が荒川流域に多く分布しますが



埼玉古墳群周辺の元荒川流域には

『久伊豆神社(ひさいずじんじゃ)』

多く分布し




『玉敷神社(たましきじんじゃ)』
      (埼玉県加須市騎西552)

『wikipedia』Tamashiki-jinja 



元荒川流域の「久伊豆神社」の総本社的存在

かつて、敷神社(たましきじんじゃ)』

呼ばれていました。






そもそも、武蔵国造と信仰圏を異にし

社名に『伊豆』

あることも興味深いと思います。

(※宝賀氏は伊豆国造」は、スクナヒコナ諸族

指摘されます。)




また埼玉古墳群で既に発掘された

槨(せっかく)の蓋石は、殆どが秩父青石

とも書かれます。






埼玉古墳群のある行田市一帯は

「のぼうの城」で有名な『成田』氏が

勢力を持っていました。


『wikipedia』Oshi-jo 



この成田氏については

埼玉県郷土史家・茂木和平氏が

もっとも力を入れて調べられた

氏族の一つで



成田氏は、『羊(ひつじ)族』であり

本名は『小野里(おのさと)』と言われます。




埼玉苗字辞典・第5巻 関東甲信越』が刊行され

朝日新聞に紹介されました。


 『埼玉苗字辞典』メディア掲載


私の師に当たります。




また、宝賀寿男氏は


行田市一帯を支配した成田一族は

その祭祀から考えて、伊豆や少名彦神後裔の

色彩が濃いと指摘し





古代氏族の研究③

『阿倍氏』四道将軍の後裔たち (宝賀寿男 著)より


古埼玉古墳群の中にある

式内社・『前玉(さきたま)神社』



この神社の祭神

「サキタマヒメ(前玉比売)」


伊豆国賀茂郡の式内社

『佐伎多麻比咩命神社』でも祀られ


三島大神の妃神という

位置にいることに注目され


地元の『行田市史』(1963年刊)の執筆者

山口平八氏も埼玉古墳群が

知々夫国造奥津城だという説を主張していると


書かれます。





『前玉(サキタマ)』




「埼玉(さいたま)」の地名由来と

なったともいわれますが

『玉』がとても重要な意味を

持つようです。

(刀の原料となる、砂鉄から生産される最上質の鋼を

「玉鋼(たまはがね)」いいます。

そこにヒントの一つがあるようにも思えます。)




そして『スクナヒコナ』諸族とも

関係するのではないでしょうか。



群馬県吉井町・埼玉県秩父一帯には


『羊太夫(ひつじだゆう・ようだゆう)』

伝承が残り、羊太夫の事績を記したとされる


ユネスコ、世界の記憶に指定された

『多胡碑(たごひ)』のある字「池」に



『大宮神社』があり

(群馬県高崎市吉井町大字池1226)




『上野国神名帳の研究』では
この「大宮神社」について


『上野国神名帳』多胡郡に見える

「正五位上郡御玉明神は、御門鎮座の大宮神社に

比定できよう。





『御玉明神』に比定できる、と記します。




私は、この神社名にある「大宮」


「多胡郡衙」~かつて

多胡郡の「宮」があったこと



由来するのではと思っていましたが



宝賀寿男氏は、この「大宮」




女性の御食津神「豊受大神(とようけおおかみ)」

の別名『大宮売(おおみやめ)』に通じる

(酒・食物や織物・養蚕の神でもあります)



と唱えられます。


また他に

・『新撰姓氏録』に、酒の神は

 「宮能売(みやのめ)神」として見えます。



群馬郡桃井郷の総鎮守としても

大宮神社(北群馬郡榛東村長岡)があります。


『越と出雲の夜明け』より

(-日本海沿岸地域の創世史-) 宝賀寿男 著





吉井町の「大宮神社」の現在の祭神は

(『吉井町誌』より)


「天宇受売命(アメノウズメ)」

・「建御名方命(タケミナカタ)」

・「猿田昆古命(サルタヒコノミコト)」

・「伊邪那美命(イザナミ)」

・「須佐之男命(スサノオ)」



絹笠神社、熊野神社、諏訪神社、八坂神社、石神社

この五社を合併祀しているので、本来の祭神は

不明ですが、「多胡碑」とともに地元の人びとに

「羊さま」と呼ばれ、厚い崇敬を受けてきました。

筆頭に「アメノウズメ」女性神が記されることは

興味深いです。



本来の祭神は

鎮座地の字(あざ)・「大宮」にある通り


「大宮売」ではないでしょうか。


宝賀氏は、「豊受大神(大宮売)」


「瀬織津姫(せおりつひめ)」に通じると

しています。(「織」は、織物の神格を示唆します)




私は、群馬県吉井町には


・天孫族『スクナヒコナ』諸族

・土着の縄文の民『山祇族』



この二つの『族』の混淆がみられ

その融合の中でも、比較的

縄文の色彩が強かったと考えています。



この「大宮神社」にかつて祀られていた

『女神』とは、当ブログで『月』

テーマに書いてきた

『大地母神』的な存在で



世界の生成、生と死、すべてを統括する

永遠に循環する『円環の女神』であった。



そんな想像をしています。



続きます。