前回からの続きです。






前回は、古代の氏族『カモ』氏について





古代氏族研究家、宝賀寿男氏の著書を

引用させて頂きながら、書いてきました。





『古代氏族の研究⑱ 鴨氏・服部氏』

 (少名彦神の後裔諸族) 宝賀寿男 著



古代氏族研究家、宝賀寿男氏の著書

( 発行 青垣出版 / 発売 星雲社 )





(カモ』は、「賀茂」「鴨」「加茂」「加毛」などと

表記されます。全国に残された「カモ」の地名が

カモ氏の足跡を物語ります。)



・京都を流れる「鴨川」(「wikipedia」より)
(古代、鴨川上流域は山城・賀茂氏の本拠地でした。)


宝賀氏は

『少名彦神(スクナヒコナノカミ)の代表的な

後裔氏族として、この「カモ」氏を挙げ



また、この『スクナヒコナ』は、古い時代に

(ヤマト)に来着した、天孫族の出自であり

(小さき神、「一寸法師」のルーツともいわれます)



スクナヒコナの子孫は

ヤマト王権を支える重要な役割を

果たしながら、中小氏族がほとんどであり

政治的に優位な大氏族もおらず






『少名彦神』常世(とこよ)の国より
波に乗って大国主の前に現れるスクナヒコナ


少彦名命、宿奈毘古那命、須久那美迦微、須久奈比古、少日子根命、小比古尼命、小彦命、小日子命、小名牟遅神、久斯神、少名彦命、天少彦根命 など

(極めて多くの別名を持ちます)






長い歳月のなかで

それぞれの遠祖神についても

異なる名の形で(同一神を複数の名前で)

伝えたことが多く



全体としての

同族氏族としてのまとまりが

殆ど見られない。



つまり長い歳月の中で

先祖が「スクナヒコナ」系統であることが

忘れられたり、神名が誤伝され



結果として、多くの別名が発生してしまい

スクナヒコナの子孫であるという認識が

希薄になってしまうケースが

多くあったということですね。



今回、この『異名同神』というのが

大きなテーマです。






例えば、「五十猛神(イソタケルノカミ)

別名「射楯神(イタテノカミ)とも呼ばれますが



「伊達神」とも書き

これは「伊達(ダテ)」にも通じるのでしょう。



和歌山県には、五十猛神を祀る名神大社

「伊達神社(いたて・いだてじんじゃ)があります。

 (和歌山市園部1580)




一見すると


『イソタケル』『イタテ』では

まったく別の神のように思えますよね。



また


埼玉県、『秩父神社』には
 (埼玉県秩父市番場町1-1)



「知々夫国造」の阻とされる、思慮の神
『思金神(おもいかねのかみ)』が祀られていますが

 別名常世思金神』であり




常世の国から来訪した
 知恵の神『スクナヒコナ』と神格が共通する

・系譜上の親が『スクナヒコナ』と同じ
 『高皇産霊尊(タカミムスビ)』である




宝賀氏は、この常世
『スクナヒコナ』に由来すると
説かれます。

 
宝賀氏の著書を読んで

非常に勉強になったのは


この『異名同神』という点で

とても驚きました。



宝賀氏は大化の改新の前には


同人(同神)異名

異人(異神)同名



という古代特有の問題があるとし



つまりは

「同じ名前であっても、別の神さまである」

「違う名前であっても、同じ神さまである」

となる可能性があり





インターネットも辞書もない上代

それぞれの部族が、各々の祖神を

口伝で語り継ぐうちに、神さまの名前に

『ぶれ』が出るということでしょう。



そんなことあるの~?と思われるかもしれませんが

数百年かけて、起こるようなこと

なのでしょう。



古くから存在した神には


『神名のぶれ』という


特殊な事情があると、いうことですね。

(現代の私たちの感覚からすると

本当にわかりにくいですね)





古代氏族の研究⑥ 

『息長氏 大王を輩出した鍛冶氏族』より

 (宝賀寿男氏 著)


「大化前代の人・神については、同人(同神)異名や異人(異神)同名という古代特有ともいうべきWHO(誰か)の問題があり、また古代の命名方法や通称には特徴がある。これらの諸事情の的確な理解なしには系譜検討ができない~」






さらに、同著で宝賀寿男氏は



『スクナヒコナ』の後裔諸族は

古代日本に、想像以上に多く分布



・『酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)』

 (茨城県ひたちなか市磯崎町4607-2)

  (祭神「スクナヒコナ」)



この諸族の実態が解明されれば

古代の日本の歴史を書き換えるほどの

可能性があるとまで、記します。





「少名彦神の後裔諸氏は古代日本で重要な職掌を担い、列島内に広く分布して、きわめて多い。ここで見てきた息長氏と同族に限っても、その拡がりは、古代最大の氏族とされる物部氏に匹敵するかそれ以上に大きい。



「その同族諸氏では、必ずしも系譜が明確でなかったり、後世に他氏族に系譜を附合・架上させた氏がかなりあって、それが日本の上古史の解明をきわめて難解にしている。



忌部首や鴨県主と初源段階は重複する部分がありそうだが、これらを含む少名彦神後裔諸氏の系譜が、具体的に解明されたら、わが国上古史を書き換えるのではないかとさえ思われる。




 


古代の神々にまつわる神話を

調べていて、なぜこれほど

たくさんの神名があるのか。






古代の神々にまつわる歴史が

なぜこれほどわかりにくく、複雑なのか

その理由の一端を、垣間見たように

感じます。



そう思うと、以前に当ブログで書いた

悪神として討伐された、星神『カガセオ』





その伝承の拡がりをながめてみると

異なる神名で、史書や系譜に

記録されている可能性がありますね。



長い時間の中で

代々、伝えられてきた神名が

長い時間をかけて変化したり

誤って伝承される、ことがあるのですね。



じっさいに私たちも

幕末の先祖の名前について問われれば

(自分もそうですが)ほとんどの方々が





「知らない」と答えるのが、ふつうでしょう。



大政奉還は1867年、現在から200年も

遡りません。歴史的に見れば

つい先ごろ(といって良いと思います)の事でも

わからないのです。



毎日、日々のやるべき事がたくさんあり

それが自然なことですよね。






ただ、古代氏族について40年以上

徹底的に調べられ、数多の著作を記された


宝賀寿男氏は



この少名彦神の系譜に

連なる(と主張される)「カモ氏」について




「こうした長い期間、鴨県主系統に

なぜ系譜が残らないのか不審である。」



 

と書かれ


この『スクナヒコナ』の系統は

なかなか複雑で、厄介であると記します。



この『異名同神』という点は

慎重に検討する必要があると感じます。







また、宝賀氏は

この『スクナヒコナ』系統は

『天孫族』であり、紀元前一世紀頃代に

日本に来着したと記します。




 ところで

群馬県吉井町から秩父一帯にかけて

伝わる民間伝承に




多胡郡司『羊太夫(ひつじだゆう・ようだゆう)

その配下『八束脛(ヤツカハギ)


 


の伝説がありますが





『多胡碑』 




 (『羊太夫』について、前回書きましたので

 詳しくは前回をお読み下さい)


後半残りは、この『ヤツカハギ』について

書こうと思います。(マイペースですいません)



『羊太夫』『八束脛』には

賀茂氏の『八咫烏(ヤタガラス)と同じ

『鳥』にまつわる伝承





『金鵄(ナトビ)伝承があり


『鳥トーテミズム』

『鳥』への信仰は、天孫族の特徴であり



宝賀氏は


「知々夫(秩父)国造」「伊豆国造」

『スクナヒコナ』の系統であり



「知々夫国造」の祖

常世思金神(とこよおもいかねのかみ)



「常世の国」よりやってくる

『スクナヒコナ』の別名であると

説かれます。




『羊太夫』『ヤツカハギ』に関する伝承は

秩父一帯にも伝わっており




私は、『羊太夫』『ヤツカハギ』とは

『スクナヒコナ』に関係する諸族では

なかったかと、考えています。



 

また、群馬県吉井町には


『八束(やつか)の地名が数多くあり




・吉井町神保・大沢に、字(あざ)八束

八束山

(「羊太夫」が居住したという伝説があります)

・吉井町塩に、八束集落八束沢八束口

(特に字「塩」に、「ヤツカ」の地名が多く

塩地区には、鉱泉による塩田が

あったようです『角川日本地名大辞典』)






群馬県吉井町は

『ヤツカハギ』の居住地だったのでしょう。





ちなみに『八束脛(ヤツカハギ)とは

(じつに変わった名称ですが)




・『脛(すね)』の長さ「握り拳8個分」

『足の長い、体格雄偉な人々』という意味であり


・『日本書紀』の他に

「常陸国(現在の茨城県)

「越後国(新潟県)」、『風土記』に



ヤマト王権に恭順しなかった人々

として記録されており

(それぞれ「夜都賀波岐」「八掬脛」と表記)





『ヤマトの先住民』とも、言われています。







つまり「八束脛」とは


群馬県の吉井町だけに特有にみられる

「本名」「固有名詞」ではなく



『国栖(くず)『土蜘蛛(つちぐも)

などと、同義であり



王権に従わない人々への

通称的な呼称と考えられます。



ということは

「ヤツカハギ」とは



本名ではなく

じっさいは別の神名がある



という可能性もあるのでは

ないでしょうか。

 


また、神名にある


『八束』とは



先ほど記したように

長さの単位の表現ですが



その点において

皇室の持つ神宝「三種の神器」の一つ


「八咫之鏡(やたのかがみ)に通じます。

 


画像はイメージです。実物は一般公開されていません。





『八咫(やた・やあた)』について

「精選版 日本国語大辞典」

「や‐あた」【八咫】


〘名〙  「あた(咫)」は上代の尺度の一つ

親指と中指(一説に人差指)とを

広げた長さ、あたの八倍の長さ。

転じて、非常に長いこと、大きいこと。

やた。

 




つまり『八咫之鏡』とは


「八咫」のサイズをもつ

とても大きな「神鏡」ということですね。

 


「長さの単位」の表現という

「八咫」と同様の意味をもつ

『ヤツカ』の地名は

全国にいくつかあります。





・島根県松江市八束町

・鳥取県八束

・鳥取県鳥取市気高町八束水(やつかみ)

・埼玉県草加谷塚(やつか)

・愛知県新城市八束穂(やつかほ)

・石川県白山市八束穂(やつかほ)

 




いずれも、個人的にポイント高い?

ところにあるのですが



また、消滅地名ですが



千葉県安房郡(平郡)

かつて、「八束村」があり

(現在の南房総市旧富浦町です)


平安時代は、多田良荘岡本郷の一部でした。

 



『出雲国風土記』に、国引き神話で



『八束水臣津野命(やつかみずおみつののみこと)』



という神が登場し

各地の余っている土地を引き寄せ

出雲の国を拡げます。





風土記では、出雲の国の命名は

この神によると記しています。

(「記紀」では、スサノオの命名としています)

 


出雲では、国土創造神

認識されていたと考えられ



神名に「八束(ヤツカ)があることは

注目すべきことだと思います。

 


また神名にある『水』について



宝賀氏は、スクナヒコナ後裔氏族は

巨石や聖泉信仰・祭祀が顕著に見られる一方


『水取』に関与したとも

書かれています。

 


前述しましたが、吉井町「塩」の地名由来は

鉱泉による塩田があったことに

由来するともされます。

(以前に書いた、栃木県塩谷郡船生、この塩谷郡も

「塩」取りに由来するとの説があります)


スクナヒコナは「温泉」の神でもありますが

 




地表に流出するガスと、硫黄とが結合して

生成されるのが『朱砂(しゅさ)



「水取」・「温泉」、「朱砂」・「塩」は


その辺りに関係性が

あるのかもしれないですね。

 

 

思うに、『八』

多いという表現と同時に

無限に通じる

縁起の良い「聖数」でもあり

(8」を横にした記号が無限大なのは

とても興味深いです)

 




「八束(やつか)とは


「無限に長い」「大きい」

そのように「ありたい」

「なりたい」という


一族長久の繁栄を願った

吉祥名では、ないでしょうか。

 



(そして、個人的な考えとなりますが)


「ヤツカハギ」の『ハギ』とは

『ハバキ』のことで




今まで『荒脛巾(アラハバキ)』として

書いてきましたが、『ハバキ』信仰

すなわち『生殖信仰』をもつ人びと

ではなかったかと、考えています。






群馬県の吉井町における

先祖の信仰、風土周辺をながめてみると



『ヤツカハギ』には、『二重構造』




 神代の時代に来着した『天孫族』

(元々は)小さき神『スクナヒコナ』

祖神とする後裔諸族



  縄文時代から日本列島『原住の人々』

土着の漁労、畑作、焼畑を生業とする

縄文の民『山祇(やまづみ)族』






大きく言って

この二種族の『融合』『混淆』

感じられます。




『ヤツカハギ』『土蜘蛛』『国栖』には


穴を掘って、その中で暮らしている

狼の心を持ち、強暴であるなど


未開の先住民のイメージ

とても強くあります。


 

ですが

はたして本当にそうだったのでしょうか?

 

それらは一方の視点による

極端な思い込みに、過ぎず



彼らは、優れた技術を持った人々

あったのではないでしょうか。



スクナヒコナは


きわめて多くの『別名』とともに

きわめて多くの『神格』を持ちます。



「医薬」「温泉」「禁厭(まじない)」

「(穀物などの)農業」「知識」「酒造」「石」「鳥」




これらの『神格』の多様さは

スクナヒコナを信仰した諸族の

『技術』の高さと『多様性』の表れであり



『別名』についても




『姓氏録』には少名彦神の名さえ見えないが、実は異名のほうで多く登場しており、これが同一神だと認識されがたいから、この神の重要性はあまり認識されない。

古代氏族の研究⑱『鴨氏・服部氏』

少名彦神の後裔諸族  宝賀寿男 著より





重要な問題をはらみます。



宝賀氏は、葛城・鴨族は

『スクナヒコナ』の系譜であり


その祖は

大和の先住民としての色彩が強く~」

と記します。


続きます。