この二年でかなりの経験と実績を
普通の写真趣味に比べると
まだ沢山撮っている方だと思う。
そんな中で
赤ちゃんを撮る事に
いま、マタニティフォトや
生まれたばかりの赤ちゃんの写真
結婚の前撮りも外での色んなバージョンが増えて来て
一昔前にはなかった写真が
それも周りも笑顔になってしまう写真が増えて来た。
赤ちゃんを撮るカメラマンが福岡にいらっしゃるが、彼は赤ちゃんを時間をかけて動かす
大切に大切に
お母さんにとって極上の写真を生み出す
理由は産後のおかあさんに休んで笑顔になってもらいたいから
あかちゃんを無理やり好みの体勢にしても良い感じは撮れないし、見ているお母さんに不安を与えるからと
かれは撮り方のレクチャーもしている
何故なら真似して無茶をして欲しくないから
そんな中で
ご両親が揃っている時間にお邪魔した
撮りながら考えたのは
あかちゃんや子供が大きくなって
写真を見た時に
確かに望まれて生まれて来たんだと
そう思える写真を撮りたいと思った。
愛が見える
愛が解る。
何故?愛が無い家庭に育ったのに
何故わかるんだろう?
と疑問だった
なかったから見えるんだと気付いた。
なかったから違いが見えるんだと
普通は当たり前だから見過ごしてしまう
当たり前って実は奇跡なんだと気付いていないから
私が欲しかった愛が目の前で展開している
それを記録に残す機会を頂け、気付かせてくれた事に感謝(*´-`)
私にしか出来ないって言い過ぎだけど
それでいいんだ。
癌でもうダメかもしれない
遺された人に何を?と悩んでいる医者が
患者さんがもし、望んだら
家族写真を撮ってあげて欲しいと言われた
多分、プロなら泣かずに撮るだろう。
私は遺してしまう人の気持ちと
遺される人の気持ちを交互して泣くだろう。
被写体の気持にリンクして撮るから
泣いてもいいなら
撮りたい。
亡くなって、何年か後にその写真をみて
撮ってもらって良かったと思える写真を
その時の気持ちに戻る事は出来なくても
思い出させる事は出来ると思うから。
おはようと交わせる当たり前を
ただいまと言える当たり前を
ありがとうと言える素直な気持ちを
どうか手離さないで