虐待という強み | 早紀のブログ

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虐待されててもちがう分類

??

と思われるだろうけど

同じ聴力でもちがう分類ってのもある

こちらは障害の種類で大きく分かれる
そして訓練の度合い、頭の回転、経験、勘の良さも比例する。
発声練習と読み取りだけでは限界なので
イメージトレーニングと予測訓練もある。

どれだけ長く色んなパターンで健常者とコミュニケーションが取れるか

色んな人の性格、方言、流れ、考え、行動パターンを多様化して判断出来るかにもよる。


さておき
虐待の度合いだけど

大きくわかれると

虐待した親に対して反抗したかによる
反抗出来ない人達を世間は認識している。

私は学生の時に爆発して
重いコタツ机を持ち上げて親に投げたり、
親を階段から蹴落とした。
殴ったりもした。

私の頭蓋骨は親に殴られた痕がはっきりわかるぐらいに凹んでいる。
家の壁にも証拠はあった。
現在は建て直してないけど

顔を腫らそうか
保健室の先生でさえ何もしない。
女の子の顔にあらまぁ

大人は誰も助けない。

逆に先生からの暴力もあった

その中で
それでも生きて
反抗したのは
虐待されてる人たちよりも心の傷はまだ浅い方だと思う。

だって殴り続けてきた親に歯向かったわけだから

その違いはかなり大きい。

だから
一概に
このくぐりは
こう!
という決めつけをやめてほしい。
健常者でも一人一人違うように

人の心は虐待の大小に関わらず
受け止め方、考え方、思いは
それぞれ違うのだから

なので、その人たちの
そんな話が出たら
見えたら
目を見て話を聞いてあげてほしい

色んな人がいる
その人
その人によって違うから

答えはひとつじゃない
正解も当事者しか結果に出ないとわからない。

そして
道もひとつじゃない

嫌なら引っ越ししたり
逃げたらいい

自分のペースで

型にはまらず
というか
はまらなくていいよ

いつだって
新しいスタートを踏み出せるから

私は経験があるから
今の自分がある
色んなトラブルがあったから
色んな想定が立てれる

そして
その人たちにこだわる理由もない
嫌な事を言う人と同じ土俵で話す事もしなくていい
自分に余裕があれば説明をすればいい
自分が壊れるのなら
離れて別のスタートを始めればいい
積み重ねは
実績と信頼を築ける。

いつか自分にそれが跳ね返ってきた時に
少しずつ自分を受け入れられる自分がいる事に気がつく。

過去があったから今の私がいる

経験は
体験は
無駄じゃない。

失敗する方が
痛い目見る方が
得るものはある。

私は心はポッカリと
いつまでも埋まらない
埋まるはずがない。

本来なら親の愛情
自分に対する恋人の愛情が入るところだ
一生埋まる事はない。

母は自殺をした。
父は肝硬変で亡くなった。

亡くなったと知った時
やっとか
え?
とか言う感情は全くなかった

私という人物は
実は冷たいのではないか
人としてあかんのちゃうのか?

と悩むぐらいだった。

その答えはまだ出てこないけど
いつか出てくるとも思わないけど

本来あるべき愛情がないのが
実は私の強みでもある。

親子の愛情の写真を撮る
そこには
確かに愛があるから

それがわかるのは
愛がないのもある事を知っているから

闇を知っているものは
光に気付けるから

それが私の強みだ