健聴者並みに・・ | 早紀のブログ

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子供の頃から「聴覚障害者を認めて貰えず、健聴者並みにと」育てられていました。

それは私だけではない筈です。
障害を持った子供の将来が不安だからと親というか、健常者(学校の先生だったり)のペースで育てられています。

実は1960年代~1990年代まで、手話禁止の口話教育によるこの考え方が主流でした。
(しかも手話禁止時代を命令したのは鳩山元首相のおじいちゃん(怒))

今でも、口話教育か?手話教育か?と論議されております・・・。

小さい時に口話教育なら、将来困らないかも知れませんが、感情が出せなく押し殺されたままになります。
手話教育なら感情や自由に育ちますが、言葉や文章に遅れが出てきます。
手話は単語での会話なので「て・に・を・は」等が付かない為、聴覚障害者は文章能力が無いと言われているのはそこからでしょう。

んー・・健聴者の”理想の聴覚障害者”といえば・・下記の通りかなぁ・・

1.健聴者と声だけで会話が成り立つ事
2.手話無し
3.電話が出来る事
4.知識がある事(大学まで行ける事)
5.社会に通用する事(仕事がスムーズに出来る事、出世する事)
6.対人関係がうまく行っている事
7.聞き取りが健聴者並みに出来ている事
とか・・他にも色々ありますが・・要は健聴者を困らせない事ですよね・・凹

極端な話・・・目の見えない人に杖無しで全力で走れというような

それは障害を認めず、存在を無視あるいは否定してきた社会によって起きた悲劇なのかもしれません・・。

それに耐えられない人?落第の烙印を押された人はうつ病になったり、ひきこもりになったり、突然何かを起こしたり・・
学校を卒業して社会に入った聴覚障害者が問題が多いと言われているのは抑圧された環境で育ったせいかも知れません。
聴覚障害者の特有を理解している環境ならば、上手に社会に溶け込めたのかもしれません。
それは聴覚障害に限らないと私は思います。

健常者で中学生の女の子が手首を切って、知り合いである私が突如呼び出された事があります。
中学生と話をしてみて愕然としました。
親の敷かれたレールに沿って歩いていた為、自分の夢やしたい事が無く、土台が無い事に・・・
その中学生に我慢せずに感情を出すという事を覚えさせました。
我侭が沢山出て親はギャーと悲鳴を上げていましたが、
「本来なら幼稚園や小学校で出ているはずなのでww
今出てくれて良かったじゃない。会社入ってからだともっと収拾つかなくなる」
とお伝えして
狭い社会に生きてきたその子に海外の留学を進めました。
その子は、今大学生。自分の受けたい大学も尊敬できる講師も見つかり、今は色んな視野を広げて活躍しているようです。

さてさて仮に皆さんがケガしたり、病気になって重い障害を抱えたり、

年老いて身体が不自由になれば、社会から冷遇されると気付くでしょう。

弱い人が戦う社会であってはならないはずです。戦わなくてもいい社会を私は切に望みます・・

希望としては小学校に障害学もしくは命の授業を取り入れて欲しい・・・なぁ・・・

中学のトライヤルウィークや学生が病院に来た時に脈の測り方を知らない人が居たそうです。
自分の心臓の音というのを知らなかったそうです。

10年以上前に神戸市で起きた、小学生の首を切った中学生の男の子の母親は息子の好きな食べ物を知らないそうです。

最近になって道徳の授業が復帰したそうですが・・この何十年も道徳の授業は無かったそうです。

昔はイジメには色んな理由がありました。障害だったり、家庭に問題ある子だったり、臭い子だったり・・
現在は、あの子イジメたら、どうなるんだろうというゲーム感覚になっている場合もあり、対処のしようが無い時代になっています。

この話を聞いた時にゾッとしました。これからどんな社会になっていくのだろう・・

そういえば・・知り合いの先生は、親が聴覚障害という事でいじめられた件が発生した時に
授業の時間を使って「ちくちく言葉、ワクワク言葉、嬉しい言葉」という感情の言葉の授業をしたそうです。
その後、いじめた子供がその子に謝ったそうです。
その知り合いの先生は実は以前に教師を辞めていたのですが、校長先生に、これからの時代は貴方のようなお母さんの存在の先生が必要だと呼び戻されたそうです。

さておき・・まー今の私は健常者並に?いや・・多分それ以上に口喧嘩は達者ですけど・・(ぼそ・・・)