カウンセラーとして、そして霊的な探究もしてきた中で、良好な友人や知人も様々な事情を私と同じく抱えていながらも
人間的な深い部分で安心する優しい愛が見える。
ただ残念ながら、親との関係に大失敗した人に限っては、社会に出ても、
無意識に問題行動を起こしたりしてしまい、あの人は面倒だからと避けられしまう事も増えるようだ。
私はたまたま運よく、優しい母や、知人の良い影響を沢山受けたから普通の感覚を保てているのも
彼らのおかげなのだと再認識しています。
やっぱり愛は本当に偉大な教師よりも優秀な神の属性だと感じます。
そして、失敗した側の父の昔の姿を思い出すと
いつも、劣等感が内側にあるから
自慢話が多く、今なら即アウトな犯罪的な性質を持っていた。
母親に見捨てられた父の荒くれ者的な性質は
当時の気の荒い土木作業員の中では役に立つ存在ではあったのだが。
少しキチンとしなければいけない接客業など、当時、私がバイトしてると。
お前よくやるなと父は言ってたが
父は愛されないで育ち、お客様として扱われる事に喜びを過剰に見出す分かりやすい愛着障害を患っていた。
そんなヤバい人間でも結婚出来る時代もあったものだと、ある意味不思議にさえ思う。
もしかしたら早すぎるほど文化が変わる時代とゆーのは人間の一生として苦しい問題が増えるのかもしれない。
それでも、愛を与え与えられる事も尊さは
やはりかけがえのない物なのだろう。
どんな時代だとしても。