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前回の続き、葛藤期を過ぎた頃のお話を書きたいと思います。
安定期(回復期)
本人曰く、「自分でも何をしていたのかあまり覚えていない」のが葛藤期でした。
自分の心の中のもやもやを見ないためにゲームやネットに逃げ込む時間も多くありました。
無我夢中で工作を作り込んでは私や祖父母に見せていたこともありました。
その時期を過ぎてからは穏やかな表情が戻り、笑うことが少しずつ増えていきました。
家庭内が落ち着きを取り戻し、「ママ、ひまだよ~。なにしよ~。」とのんきなボヤキが聞けるようになりました。
安定期(回復期)と呼ばれる段階に少しずつ移行していたのだと思います。
「じゃあ学校へ行く?」とは言うつもりはありませんでした。
心の休息が必要な時期だと理解していたし、祖父母にもそのように伝えていました。
あまりに暇だったのでしょう。
私の職場についてきたり、二人だけでお昼ご飯を食べに行ったりと行動の幅が広がりつつありました。
学校や学童の友達とは会う機会がなくなっていたため、家族のみで過ごすこと多くなっていました。
友達と遊びたい気持ちはあるものの、「学校へ行っていない自分は他の子から責められる」という思いがあるようで、自分から誰かを誘いに行くということはできませんでした。
安定してきたのは2年生の後半頃だったでしょうか。
3年生の後半頃、いろいろあって祖父母と別居することになり、私と子どもたち2人で暮らしていくことになります。
その後は、私の自由はほぼなくなってしまいますが(家事育児仕事のため)、長男にとっては祖父母の目がないことで、よりのびのび過ごせるようになったようです。
祖父母と一緒だった頃は、目に見えない祖父母の心配や思いが長男に重りのようにのしかかっていたのかもしれません。
兄弟でもよく遊ぶようになり、家の中ではとてもリラックスして過ごせていました。
外部との接触はあるのかというと、長男自身から誰かに会いに行くことはありませんでした。
思春期にさしかかる頃、「人が怖い」と口に出すようになりました。
人目が気になり、見知らぬ人でも会いたくない、そばにいたくない。
そして、だんだんと外出を避ける傾向になっていきました。
昼夜逆転していたこともありました。
それでも5年生になった頃には、外に行きたい気持ちも芽生えていったようです。
公園や神社など、人のいない時間に散歩する程度ですが、たまには外出するようになっていきました。
始動期
穏やかな時期を長く過ごした後、「プロゲーマーになりたい」「スポーツやりたい」「○○に行きたい」という発言が多く聞かれるようになってきました。
始動期と呼ばれる段階に入っているのかもしれません。
家の中でもよく笑い、よく動く(部屋を行ったり来たりする)ようになってきています。
とはいえ「人が怖い」状態は継続しているので、安定期(回復期)と始動期とを行き来しているような感覚もあります。
自分の中の葛藤が小さくなり、本来の自分と表に出ている自分とのバランスが取れるようになってきたのかもしれません。
自分の「~したい」気持ちに気づき、それを言葉に表すことができるようになったことは大きな一歩だと思います。
学校やフリースクールへ行くことをゴールにしようとは全く思いません。
ホームスクールでもいい。
どこかへ通うことになってもいい。
子ども自身が自分で選ぶことが重要であり必要です。(自戒を込めて)
長男の「~したい」気持ちを否定せず、後押ししてあげられるようサポートしていくことが今の私の役目でもあると思っています。
各段階の子どもへの接し方は外部サイトに解説されていますので、気になる方はそちらを参考にされると良いと思います。
→先輩ママたちが運営する不登校の道案内サイト未来地図「不登校になる原因とは?克服までの4段階について徹底解説」
とはいえ不登校だからとひとまとめにできるわけではなく、家庭によって事情も対応も異なる場合がほとんどです。
我が家の長男の場合、初期から始動期に入るまで三年という月日が経過しています。
もっと長い時間が必要な場合もあるでしょうし、その逆ももちろんあるでしょう。
自分の感覚を大事にした上で、第三者の意見を上手に取り入れていくことをおすすめします。
ここまでお読み頂きありがとうございました。





