こんにちは。
我が家の学校へ行かない子どものお話です。
一昨年前から、給食を月に2~3回だけ食べに行っています。
参加するのは給食だけ。
食べに行く日を前月に決めて、給食費は前月に日数分を支払います。
給食だけ参加すようになったきっかけは、
スクールカウンセラーさんでした。(以下、SCさんと表記します)
上の子からお世話になっているSCさん。
何年も前から、我が家へ不定期に訪問をしてくれていました。
学校からのプリントを持ってきてくださったとき、
給食の献立表の話題になりました。
学校の話をしても興味がわかなかった子どもが、
給食の話題になったときに
「ちょっと行ってみようかな」と言い出したのを
SCさんがキャッチしてくれました。
「でも、給食だけ行くなんてできるのかな…?」
と思いましたが、
そこはSCさんが学校に働きかけてくれたようで
SCさんが学校にいる日に限定してですが、
給食だけ登校がOKとなりました。
管理体制が厳しいことで有名な小学校らしいのですが、
昨今の不登校児童の増加で、
学校側も対応に変化が出てき始めたそうです。(SCさん談)
学校側のOKをもらい、いざ給食を食べに。
どうなることやらと思っていましたが、
教室へ自分の分を取りに行き、別室で食べ、
食べ終わったお皿は給食室へ返しに行く。
(食べ終わるのに時間がかかるので、直接給食室へ返しています)
まわりの子とは違う流れで動くことになりますが、
無事に給食だけ食べて帰ることができました。
この日以来、味を占めたようで、
月に数日、前月に決めた日に登校して給食を食べるという流れが出来上がりました。
毎回「おししい、おいしい」と言いながら食べているのを見て
給食ってありがたいなーと、私はしみじみ思っています。
家で作らなくていいという家事負担視点もそうですが、
『小学校の給食』という
『子どもたちのための安心感のあるご飯』とでも言ったらいいのでしょうか。
この恩恵を受けられていることに、感謝の念が湧いてきます。
ちなみに、空き教室で児童が一人で食べることは、
学校側はOKしていないません。
大人が付き添うことが必要なので、毎回私が付き添っています。
この流れが出来てから、かれこれ一年以上は経ったでしょうか。
給食だけの参加でも、子どもは何かしらの自信がついたようで、
学校へ行く足取りが回数を重ねるごとに軽やかになっていきました。
いろいろと配慮をしてくださったSCさんや担任の先生には
とても感謝しています。
特に、お皿を返しに行くのが遅くなっても、
笑顔で受け取ってくれる給食室の方々には本当に頭が下がる思いです。
(もう片付けが終わっている頃に返しに行ったこともあります)
みなさん、本当にありがとうございます。
これからも、美味しそうに食べる我が子を横目に見ながら、
卒業まで給食登校を楽しんでいけたらいいなと思っています。
(私の分の給食はありません。私は持参したお茶を飲んでくつろぐ時間にしています)
ここまでお読みくださりありがとうございました。
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こんにちは。
卒業、入学、進学など、ライフイベントが目に入る季節になりました。
「うちの子は卒業式どうするんだろう…」
「中学校もフリースクールも行かないって言ってるけど…」
まわりを見ると順調に進んでいる子どもばかりで、
自分の子のペースのゆっくりさに不安になる。
なんだか心がザワザワと落ち着かない。
「比べなくていい」と頭ではわかっていても、どうしても比べてしまう。
我が家の様子と他の家族を比較して、焦りを感じてしまう。
そんな方もいらっしゃるかもしれません。
私もその一人です。
なぜ心がざわつくのか、自分の心を掘り下げてみました。
よろしければお付き合いください。
①「なんであそこに(卒業式や入学式)うちの子はいないのだろう」という気持ち
順調に登校して進学していれば、卒業式や入学式などのイベントは、ただ節目として存在するイベント。
そこに参加しない、できないという孤独感がある。
多数派、少数派に分けた場合、多数派に属した方が安心感はあるかもしれません。
それを味わいたかった。
でもできなかったというガッカリ感がある。
②次のステップがないという不安
入学、進学というのは、次のステップに進むから起こるイベント。
次のステップも行先も決めていないので、イベントは起こらない。
イベントに参加しないことが、
現状から進んでいないという結果のように見えてしまう。
これからこの子はどうするんだろう、
私はどうすればいいのだろうという不安。
③親として何をしてきたのだろうという気持ち
さらに、私はこの一年何をしてきたのだろう…
なんて自責の念も出てきてしまう。
私がもっと声かけをしていれば変化があったのかもしれない。
私がもっと変化していれば、
この子たちにももっと良い変化があったのかもしれない。
なんともいえない後悔の念。
こんな感じで自分の気持ちが見えてきました。
次に、順番に対応策を考えていきました。
①→少数派だと開き直る
もう開き直ってしまいましょう。
うちの子はどう考えたって世間の枠には収まりきらない。
既存の公学校ではシステムが窮屈すぎて、
ストレスを抱えてしまうのは目に見えている。
(だから不登校を選択しているのだ)
少数派だと開き直って生きていく。
(そういう子と巡り合ったのだと思うことにする)
②→次のステップがないのではなく、「止まる」を選んだ
「止まる」を選んで充電している。
家に居ても成長できないわけではない。
ゆっくりだけど進んでいる。
(と思うことにした)
私は今日一日の気持ちや出来事を可視化するめに、
短い日記をつけています。(忘れっぽいんです…)
半年前くらいにさかのぼって今と比べてみると、
子どもも私もいろんなことにチャレンジしているし、
いろんなことができるようになっている。
あんなに怖がっていた公園の遊具に、
自分からチャレンジできるようになった
(HSC特有の石橋たたいて渡らない精神は公園でも発揮されます)
MODを自分で入れれるようになった
とか。
成長している部分に目を向けることで
安心できました。
③→自分だけではできないことだってあると知る
あれれ?
これって家のことはなんでも自分で解決できると思ってるってこと?
(←コナン風に)
②で自分の過去を振り返ってみて、
何もせずにいたわけではないことに気づけた。
子どもと公園に一緒に行ったし、PC設定を手伝ったりもした。
でも、なんでもかんでも母親ひとりでできるわけではないし、
母親だからと頑張りすぎて倒れてしまってはいけない。
(頑張りたい人は頑張っていいですよ。無理はしないでねという話です)
母親や家庭任せにする世間の目にも物申したい。
(なんなら家父長制にも物申したい)
話がズレました。戻します。
私が頑張らなきゃ、という思い込みは捨ててもいいと思います。
私が頑張っても、物事が動かないときは動かない。
私が家族の問題を解決しなければという思い込みを捨てて、
今は無理なんだとあきらめたら楽になりました。
そして、自分一人では無理だとわかったので、
子どもたちに誰かの手が差し伸べられることを願って
いろいろなところに声をかけてみようと思いました。
(近くのNPO団体のイベントに遊びに行ってみる、発達の相談ができる病院を探す、SNSで呼びかけてみる、など)
ライフイベントのたびに、
心が揺らいでしまう気持ちも痛いほどわかります。
つらいときは、どうか無理せずに。
ギュっと力が入ってしまう方ではなく、
あなたの心がほっとする方を選択してください。
ここに書くことが、どなたかのお役に立ちましたら幸いです。
お読みくださりありがとうございました。
不登校に悩む時代に出会った本の中で、
私が救われた本の一つが棚園正一さんの本でした。
子どもの気持ちがわからず、自分の気持ちも見えず、苦しかった時。
この本のおかげで、ほんの少しだけ、
学校に行けない子どもの気持ちが見えたような気がしました。
(以前書いた記事でも紹介させていただきました)
その棚園さんの今日のアメブロ記事の言葉が素敵すぎて(T_T)
シェアさせてください。
(一部抜粋)
『支えるということは、
必ずしも“正しい言葉”を渡すことではなく、
隣に座ることなのかもしれません。
大人になった今の僕には、それが、なによりも難しいことだとは
分かってはいるのですが。』
(こちらのブログより引用させていただきました)
ぜひ前後の文章含めて、全部読んでみてください。
私は読んだときに、肩の力がすっと抜けた感覚がしました。
ついつい世間の価値観に照らし合わせて、
正しさからの行動をしようと気負ってしまう。(私のことです)
その正しさは、その子に必要?
自分の心からの言葉として伝えてる?
子どもを支えようなんて思ってないけど(←ん?)
子ども目線から見て必要かどうかっていう視点は
なるべく持っていたいと思います。
親の価値観押し付けまくった過去がありますので
自戒の意味も含めて、ここに記録しておこうと思いました。
お読みくださりありがとうございました。
前回は医師からのアドバイスを取り入れ、食と生活の見直しをしていった経緯をお伝えしました。
家族が強迫性障害とわかったときに、もう一つしたことがあります。
それはエッセンシャルオイルを使ったケアです。
以前より好きで集めていたアロマのエッセンシャルオイル。
アロマの香りでリラックスするだけでなく、その後の体調にも変化があることを体感していました。
藁にもすがる思いで家族に積極的に実践しました。
8種のオイルを優しく塗布していくだけのケア手法です。
できるときは毎晩塗っていました。背中にゆっくり塗ったり、足裏だけに塗ったり。
でも自分が疲れているときはできないので、日が空くこともありました。
強迫性障害の症状が強く出るようになってからは、些細なことも気になるようで、夜に布団に入ってから眠るまでに時間がかかっていたようです。
でもオイルを塗布した後は、わりと早く眠りにつけていたように思います。
香りそのもののリラックス効果と、私の手が家族の肌へ触れることのリラックス効果があったのだと思います。
(個人的推測です)
ぐっすり眠れるようになると、朝の目覚めが変わります。
寝起きにどんよりしていたことも多かったのですが、普通の感じに目覚めることが増えていきました。
不安に心を奪われていたときは、食べる量も減り、食事の回数も減っていました。
もともと食べることは好きな方なので、食欲が落ちたときはとても心配になりました。
我が家の家族にとっては、食欲は元気指標の一つ。
それが異常事態になっているということは、身体も心も相当にヤバい状態にあったということ。
でも眠りの改善が出始めてからは、食欲も少しずつ出てきました。
眠れていて食べれていることが、回復には必要不可欠だったようです。
そんな生活を数ヶ月続けていました。
ゆっくりと強迫性障害の症状が落ち着いていったように思います。
どの対策が一番良かったのかはわかりませんが、今現在は一緒に家で映画を観たり、ゲームをしたり、わりと普通の日常が送れています。
闇ばかりを見つめて、一線を越えてしまったらどうしようというほど不安定な時期もありました。
(私よりスクールカウンセラーの方が希死念慮を心配していました)
今こうして当たり前の日常が送れることに、ありがたみを感じずにはいられません。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
強迫性障害という名前を聞いたことはありますか?
頭に浮かんだ不安を打ち消そうとして、同じ行動を何度も続けてしまう病気です。
近くで見ている人からは「やめればいいのに」と思うような行動でも、
本人は自分が納得がいくまで自分を止められません。
「わかっているのに、やめられない」
もう必要ない行動だと頭ではわかっていても何度も繰り返してしまう、
自分でやめられないことがつらいといいます。
あるとき、気づいたら家族にこのような症状が出ていました。
「気になって何度も同じ動画のシーンを再生してしまう」
「使ったものを何度も同じ場所に置いたり手に持ったりを繰り返してしまう」
最初はそれほど気に留めていなかったのですが、
本人が
「無駄だとわかっていても自分でも止められないんだ…」
とボソッと言いました。
その言葉を聞いたとき、家族の心が不安定になっていることに気づかされました。
あまり心配しすぎずに見守ろうと様子を見ていた頃、
本人が自分で病気を調べたようで(ググったそうです)
「ぼく『強迫性障害』かな?」
と聞いてきました。
自分で不安になって調べるほどに、心が追い詰められていたのかもしれません。
他の人の意見も聞こうと思い、スクールカウンセラーに相談することにしました。
すると、希死念慮が湧くことも懸念されたのか、すみやかに精神科受診をするように勧められました。
心療内科のある病院に予約の電話をしましたが、初診は半年先になるとのこと。
近くで子どものカウンセリングを受け付けている病院があるのを知り、
現状を電話で伝えました。
そのような症状は専門ではないがカウンセリングは受けてもらっていいですよ、との返事をもらい、予約を取ることに。
受診当日、病院ではカウンセリングと投薬(漢方薬)、栄養面でのアドバイスをもらいました。
生活面では、
なるべく午前中に起きること、日光を浴びることもセロトニンの分泌に必要。
セロトニンの分泌が心の安定につながるとのこと。
強迫性障害の症状が出ている本人が薬を希望している旨を伝え、
2種類の漢方薬を出していただきました。
処方されたのは漢方の粉薬。
苦いと言いながらも、しばらくは頑張って飲んでいました。
苦みが強くて飲みづらいせいか、だんだんと飲まなくなってきしまいました。
(後日もう一度病院を受診し、錠剤の漢方薬に替えてもらうことができました)
次は栄養面のお話。
・肉や魚などの良質なタンパク質を増やす
・ビタミン、ミネラルを摂取するために野菜や果物などを増やす
『体を整えることが心を整えることにつながる』
というお話でした。
成長期でもあるので、身体は多くの栄養素を必要としている。
不足しがちなタンパク質、ビタミン、ミネラルを食事で摂取できるような
料理作りを意識してみてください、必要であればサプリも加えてもいいかもしれない、というお話でした。
少しずつ料理のメニューを変えていくことを心がけました。
私が飲んでいたミネラルサプリがあったので、
子どもにも飲むように伝えました。
次回へ続きます。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
