和田塚にお参りが済み、後は実朝さんの御首塚(みしるしづか)に行くだけなのですが、その首塚は、鎌倉からだいぶ離れた秦野というところにあります。
鎌倉からどれくらい離れているかというと、電車とバスを乗り継いで2時間かかります。
もうすっかり夕方です。
実朝さんの胴体は、第一回でお参りした鎌倉の寿福寺に葬られましたが、なぜ首から上だけこんな遠い場所に葬られたのか。
ご存じの通り、実朝さんは鶴岡八幡宮で公暁(こうぎょう)に暗殺されました。
その後実朝さんは羽林の首を持ったまま三浦義村を頼ったものの、義村には北条氏より公暁追討が命じられていたため、公暁は義村の家来に殺されてしまいます。
ここで公暁を討ち取ったのが武常晴と言われており、常晴は公暁を討ち取った後何らかの理由により実朝さんの首を主人である三浦氏のところへ持ち帰らず、当時三浦氏と仲の悪かった波多野氏を頼りました。
以上の理由で実朝さんの首は、鎌倉ではなく波多野氏が治めていたこの地に葬られたのです。
第一回でお参りした寿福寺には結構な人がいらっしゃいましたが、この御首塚には全く、本当に全く人が来ることがなかったです。
鎌倉から2時間、しかも東京とは逆方面なのでなかなか来るハードルが高いからでしょうか(小田原とかの方が近いです)。
実朝さんは頼家さんと同じく、寂しがっていました。
寿福寺では政子さんが隣にいましたが、ここではずっと一人だったから。
そんな実朝さんですが、うちに来てからはずっと本を読んでいます。
根っからの文官気質なのかもしれませんね。
そんなに現代の本が面白いのか…
鎌倉編は以上です。
ではでは。