伊豆へお墓参り①(源頼家編) | 龍が大好きな呪術師「太壱」のブログ

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占い師として姓名判断や龍つなぎを扱う一方、縁結びや縁切り、呪詛や呪詛返しなども扱う悠木太壱といいます。

占い師としてだけではなく龍使い、呪術師として色々と書いていこうと思います。

おはようございます。

今日は伊豆へお墓参りした時のことをお話しします。

 

 

今年の8月の頭のことです。

私は所用のため静岡を訪れていました。

 

▲静岡駅

 

用事は夜に終わったため、静岡に宿泊して翌日そのまま帰宅するつもりでした。

 

しかし、その夜のことです。

一つの単語がふと、本当に突然頭にすっと思い浮かんだのです。

 

「修善寺」

 

そういえば昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を最初から最後まで見通したことで、修善寺に少し興味を持っていました。

行ける機会があれば…とは思っていたので、折角静岡から埼玉に帰るんだから、すこし寄り道してから帰ろうか、ということになりました。

 

 

 

そして修善寺に着いたのが翌日のお昼頃のこと。

 

▲修善寺温泉

 

▲修禅寺

 

修禅寺に挨拶をしてから本日のメインへ向かいました。

 

 

 

ここ修善寺の周辺には

 

・源頼家(鎌倉幕府二代将軍)

・源範頼(源頼朝の異母弟)

・安達盛長(源頼朝の流人時代からの側近)

 

の三人の墓があり、鎌倉殿ファンとしても見逃せないスポットです。

(今回は時間の都合上、安達盛長の墓はお参り出来ませんでした。ごめんね安達さん…)

 

 

 

源頼家(以下「頼家さん」)の墓は源氏公園の奥。

修禅寺からやって来た場合は頼家さんの家臣である十三士の墓が先に見えてくるかと思いますが、それより少し先の方にあります。

 

お会いして最初に感じたのが「寂しそう」でした。

 

そりゃそうです。

頼家さんは、絶対的な権力者であった源頼朝の死後、自分の地位を確立することが出来ず、大きく揺れ動く時流と醜い政争に巻き込まれた結果、在位わずか6年で修善寺へ幽閉。

さらに祖父の北条時政(の手先?)によって入浴中に暗殺されるという散々な人生を送ってきました。

 

また、死後そのまま修善寺に葬られたため、鎌倉には戻れず。

蒲殿も山の向こう。

本当に、ずっと、ひとりぼっちだったのです。

個人的にここまで不遇の将軍はいないんじゃないかと思っています。

 

そのため私がお墓参りに来た時、嬉しそうにしてくれたのが本当に印象的でした(どちらかというと「元気・張り切っておられた」感じですが)。

というのも、うちは源氏から続く家系なので、一応子孫がお参りに来たことになるのです。

 

ガッツリと人払いもされており、30分ほどゆっくりとお話することが出来ました。

 

 

この日は修禅寺には結構人がいたのですが、この源氏公園には全然人が来ませんでした。

(30分くらい滞在していましたが、バックパッカーの方が一人手を合わせに来ただけでした。)

 

そのためがやがやしている修禅寺(修善寺の中心部)とは空気感が全く異なり、不自然なほどしーんとしていました。

人によっては不気味に感じる方もおられるかと思いますが、私は不思議と快適でした。

 

▲指月殿

 

ちなみに頼家さんの死後、冥福を祈り母である北条政子が建立した「指月殿」がすぐ真横にあります。

伊豆の最古の木造建築と言われており、頼家さんの墓を訪れる際はセットで見ておくと良いと思います。

 

ちなみにこの日から頼家さんが時々うちに遊びに来てくれるのですが、鎌倉殿を見ては「巻狩りが下手くそに描かれてるのが腹立つ」とか「こんなに横暴じゃない」とか色々文句を言ってるのがなんだか面白いです。

また『鎌倉殿の13人』では金子大地さんが演じられていましたが、実際のビジュアルはかなり異なっていました。

やっぱり会いに行って初めて分かることってあるんだなぁと思いました。

 

時代の流れに翻弄された青年は、今もひとりでこの地に眠っています。

修善寺を訪れる機会があれば、孤独の将軍に手を合わせに行ってください。

 

 

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蒲殿編は、明日に。

ではでは。