世界的感情解放大会 | 原初の星の物語

原初の星の物語

オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

昨日の記事は心理の観点でしたが今日はガチで悟りの見地から。

 

いや五輪のネットニュースとコメント見てると

ほんっと色んな人の色んな感情、観念が吐露されているなと興味深いんですが

五輪はスポーツの戦い、「勝負」ですんで「ドラマ」も多々生まれ

それによって色んな感情が動きまくる。

流石は「芸術の都」、もう開会式からブチかましてきた爆  笑

「アート」とは喜怒哀楽、光と影、正気と狂気、全てを表現するものですから。

 

…昨日の記事の事項、あれは「感情を出すか出さないか」という議論ですけど

あのネットニュースのコメント見てると

「あれだけ感情を出せるのは素晴らしい」とか

「自分にはそんな号泣できるほど打ち込めるものが無かった」とかいうのがありますが

 

つまりそれだけ感情抑圧しているんですよ。

逆に言うと

自分が(自我が)その感情を受け止められないから、抑圧しているとも言えます。

 

だからこそ「精神的成熟が必要」なんです。

 

「現象(色)」つまり「生命」とは

発生し、成長し、成熟し、消滅する、のが流れです。

どんな生命も、どんな物質も、例外なくそのルートを辿ります。

自然の摂理です。

 

「自我」も例外ではなく、発生し、成長し、成熟して消滅します。

 

赤ん坊の時は自我は殆どありません。感情そのままです。

徐々に自我が芽生え始め、成長するにしたがって感情を制御するようになります。

その後の「成熟」では「自我の器」を広げていき

「喜怒哀楽・苦楽、光と影」という様々な自分(感情)を受け入れていき、

最後に「空」と一つになる、つまり「ただ在る」状態になります。

 

この「自我の成熟」無くして「ただ在る」はありません。

自我が未成熟なままの「在る」は、感情抑圧している可能性があります。

(だから悟りの「一瞥」しても、暫くして感情に巻き込まれて元に戻ってしまう)

 

とは言っても全ては「自然の流れのまま」だからそれでいいんですけどウインク

どんなルートであっても「あるがまま」です。

 

 

とりあえず五輪ってのは全世界的な「感情解放大会」ですよね。

だって悲喜交々、色んな感情が喚起されるからです。

私のように五輪を殆ど見ていない人ですら

ネットニュースを見せられて反応するという爆  笑

 

少し前の記事に「状況とは感情解放の為にある」ってのを書きましたけど、まさにそれ。

 

これが「戦争」とか「自然災害」とかではなく

「スポーツ」というもので、平和に感情解放されるんですから

素晴らしい祭典ですニコニコ

 

という事で、何かしらの感情を感じた時に「外側に見る」のではなく

(つまり「あいつが悪いんだ」とか他者のせいにするんではなく)

 

自分の中に、どんな感情があるのか、内側を向くのがポイントですウインク

 

※ひとつ注意点として、「世界は自分」というのは、

外側に見える意見、他者の言う事そのままを「自分の中にあるものだ」とするのではなく

「それを見て自分がどう感じたか(解釈したか)が」自分の中にあるのだという事です。

全ては一つではありますが「境界線」は必要です。

人間とは「空」に現れた「色」であり、「色」を生きるには個性、つまり「自他の境界線」が必須なので。