状況とは感情解放の為にある | 原初の星の物語

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オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

まず、ぶっちゃけ自分の事を語りますとね、

私は中野さんの動画ってなかなか観れないんですよ。

昔はたまにライブに参加してたりもしたんですけども

今は、中野さんの動画を見ると

「ここはもっとこのように説明したらいいのに」とか

「それはちょっと誤解を生む言い方だな」とか

言いたくなってしまうんで

 

いや決して中野さんが「間違っている事を言ってる」訳ではありません。

 

言ってる内容はOKなんだけれども、説明がちょっと甘いなとか

そこはもう少しこう説明したらいいのにとか

そういう思考がバンバン湧いて来て、

しかしそれをチャットとかで言ったら

「ウザい奴」になってしまうんで参加しないんですけども

 

ただ、たまに暴発して長文コメントぶちかます時はありますorz

どうしても書きたくなるので。

んでコメントした後に「しなきゃよかったー!」

「ウザイ奴だと思われるー!」とか物凄い凹むんですけど

もうこれがデフォだと思って受け入れてますが爆  笑

 

つまり先日のブログで書いたように「全ては起こるがままだから」。

中野さんも言ってますけど「悟り」というのは「あるがままの受容」なので

別に「悩まない人になる」とかでは無いんです。

「こんなことしちまったぁーい」とか凹むのすら

凹みながら、「これでいいのだ」という理解がある状態なんです。

なので思いっきり凹みつつもあんまり深刻ではないという感じになるんだけども

 

とりあえず「表現する」が私の絶大な課題らしく

とにかく自分の理解とか言いたい事を言おうとすると抵抗が起こるんで

誰が見るんだかワカラン自分のブログにコソコソ書いてる方が楽だという爆  笑爆  笑爆  笑

 

本題に戻って、中野さんの本にこういうのがあるんですけど

Q 腹がたつようなことばかり起こります。私が引き寄せているのでしょうか。

 

A 引き寄せていると言ってもいいのですが、それはあなたが怒りの感情を受け止める準備ができつつあるので、宇宙が怒りを引き出すためのきっかけを与えてくれているのです。

中野真作. 癒しと目覚め Q&A . shibabukkusu. Kindle 版. 

 

……作品作ってるとコレがよーーーーく、分かるんです。

なぜなら例えば「怒り」を表現するにはまず「敵」とか「悪役」を考えねばならんし

どんだけの「怒り」を表現したいかによって「状況」も変わってきます。

激烈な怒りならば激烈な狂気のようなシーンが要るし

ちょこっとした怒りならちょこっとしたシーンでいいし

 

とにかく何かしらの感情を表現するにはその感情が発生する状況を考えねばならんので

作品作ってると、状況というのは感情を解放する為にあるというのが物凄く分かるんです。

 

んでもって最初は感情的になってたシーンも

自分の中の感情が解放されると

同じシーンを見ても全く何も感じなくなったりします。

 

だから例えば、同じゲームやってても、ある人はそのストーリーに物凄い感動するのに

他の人は全く感動もへったくれも無かったりするのはそういう事です。

 

SNSとかでも、ある人はあるニュースに物凄い反応して激怒するのに

ある人は「え、なんでそんなに怒るの?」ってなるのはそういう事です。

 

なのでそれを逆手に取るなら、自分はどんな感情を感じたいか知るには

あえて「ストーリー」を考えてみたりするのもいいかもしれません。

またはSNSとかYouTubeとかで自分がどんな動画に惹かれるかというのも

自分の感情を探る指針にはなります。

 

とは言ってもまぁ、人生そのものが問答無用で感情を喚起させる事象を起こしてくるんですけどね(汗)

だから「全ての人が悟りに向かっている」というのは、そういう事なんですウインク