「名前の無いもの」 | 原初の星の物語

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オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

…最近なんか色々見てて思ったんだけど

「悟り」って、実はシンプルそのものなんだけども

シンプルがゆえに、難解になってしまうという部分もあり

なぜなら「それ」に名前が無いからなんだな。

 

「真我」とか「無意識」とか「潜在意識」とか「存在」とか「プレゼンス」とか「空」とか「大いなるもの」とか「スピリット」とか「生命」とか「宇宙」とか「本当の自分」とか個々人により、場合により、色んな表現しますんで。

だって「名前が無い」から!

 

しかし「悟り」というのは実にシンプルです。

前からずっと書いてるけど単純に言えば「全てを完全受容する」です。

 

だから「凄い自分になる」とか「成功する」とか全く関係ないです。

「努力して悟った凄い自分になろう」とか

「何事にも動じない人になろう」とか

「どんなことがあってもニコニコしてる人に」とか

「愛と感謝の人に」とか全く全然関係無いです。

「トラウマの無い人に」とか「苦しみの無い幸せだけの人に」とか関係無いです。

 

その真逆で

 

「いま現在の自分を受け入れよう」ってのが「悟り」です。

 

だからどんなに貴方が悩んでいても苦しんでいても

「こんな自分ダメだ」と思っても、そのあるがままでOKだというのが悟りです。

中野さんの本にも書いてたと思うけど

「悟ってないのに悟ったふりをするのではなく

悟ってないなら悟っていないと認めるのがあるがままで、悟っている」

 

(なんか最近ブログで中野さんばっか出してるが当面このまま中野さん勝手に応援フェアを続けます)

 

つまり悟っている自分に「なる」のではなく

今、悟って無いし一瞥体験も無いし悟りとか理解できんしという

あるがままそのままを認めているのが実は悟っているという事で

それが「自己受容」=「自己愛」です。

 

……しかしですよ。

 

前の明晰夢の記事で

「これは夢だ」と気づかないと、夢だとは気づかないが

「これは夢だ」という 思考が来なければ 夢だとは気づかない と書きました。

 

思考というかまぁ「直感的理解」というか何というかですけども

それが 来ないと 夢だとは気づけない

 

逆に言うと それが来たから夢だと気づく訳ですよ。

 

 

 

……貴方は何でこんな謎ブログを見ているんでしょうね?

どうやってここに辿り着きましたか?

なぜ、ここまで読んでるんでしょうか。

 

……そういう思考が起こったから、そうなってる訳ですよね?

 

真実を言えば、「貴方」をこのブログに誘導したのも

このブログを読ませているのも上記に書いた「名前の無いもの」です。

 

「真我」とか「無意識」とか「潜在意識」とか「存在」とか「プレゼンス」とか「空」とか「大いなるもの」とか「スピリット」とか「生命」とか「宇宙」とか「本当の自分」とか言われる「名前の無いもの」が、貴方をここまで導きました。

 

それと同様に「エゴ」を作っているのも「名前の無いもの」ですんで

「努力して悟った凄い自分になろう」とか

「何事にも動じない人になろう」とか

「どんなことがあってもニコニコしてる人に」とか

「愛と感謝の人に」とか

「トラウマの無い人に」とか「苦しみの無い幸せだけの人に」とかも

 

全部、「名前の無いもの」がそうさせています。

 

「悟ろう」としているのは「名前の無いもの」そのものなんです。

エックハルトとかが「宇宙が目覚めようとしている」と言うのはそういう事です。

 

だからドンブラコと流れましょうという事なんですが、実は「流れしかない」ので

誰もが問答無用でドンブラコと流れているっていう!ウインク