「不幸」というアイデンティティ | 原初の星の物語

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オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

これはエックハルトとかの「世界で名の知れた」悟り人だけでなく

マトモなカウンセラーとか臨床心理やってる人なら絶対的に同意すると思うけど

 

人は、時に「不幸」をアイデンティティ(自己価値)にしたがる

 

なぜならそれこそが、自我の性質だから、なんです。

 

自我というのは何でも、起こった物事に「意味」を見つけたがるもので

「何の意味も無い」事を「価値が無い」と思う傾向があります。

なぜかというと、「価値が無い」事は

「自分に」価値が無い事とイコールになってしまうからです。

 

で、人と言うのはそんなに四六時中「価値のある成果」を出せるもんではないので

「自分は頑張った」とか「こんなに努力した」とかの「過程」を価値にしますが

 

しかし、時に。それが

 

「自分はこんなトラウマを受けた」とか

「自分はこんなに苦しんでいる」とか

 

「自分はこんなに不幸だ」という系統の場合には、要注意です。

 

そこが「自己価値」になってしまうと

 

貴方はその「不幸な状態」から抜けられなくなる

自縄自縛状態になる可能性があります。

 

ただし、人がその「不幸」を自分のアイデンティティにしてしまうのは

その裏に多大な「感情」があるからで

やはりその「傷ついた」「苦しんだ」という感情に対して

理解や共感や何かしらの手法による「解放」が無いと、

なかなか手放せないという事もあるんで

 

そんな時に「悟り系」の本や、ウチのブログの記事のようなモンを見て

「思考は幻想だ」とか、「思考をただ観る瞑想」とかやっても

無理だし抑圧になってしまうんです。

 

例えば個人的に思うに、バイロン・ケイティの「ワーク」の手法も

ケイティのように深い悟りの見地から

(または多くの患者を癒した実績のある熟練カウンセラーの見地から)

観念を激変させていける人ならばともかく

そこまでの理解が無い人がやっても無理でして

(実際、過去の自分はケイティの手法は無理でした)

 

だから確かに、以前紹介した中野さんの本のように

「癒し」と「悟り」はセットで

特に「感情の癒し」をしないと、悟りの方向は、なかなか難しいかもなと。

 

とはいってもそのケイティ自身は、ネガ感情の真っ只中で

苦しみのどん底の中で自我が溶解して「悟り」に至った訳なんで

 

だから「不幸をアイデンティティ(自己価値)にして執着しまくって」

もう絶対に幸せになれる訳が無い、と苦しみまくるのもまた

「神」というか「真我」「存在」「無意識(意識)」と言われるものの

「全体の大きな流れ」だから、それでいいんですが。

 

 

……例えば大震災や戦争等で衝撃的なショックを受け

果てしない絶望の中で悟りに至る人も居れば

その絶望と苦しみの感情を何十年にも渡って抱えて

「それが自分自身である」として生きる人も居れば

死の間際になってやっとそれと向き合う事が出来た人が居たり

今生はそのまま死んで次に生まれ変わった時にそれを解放する人もいる

 

全てには流れ、時機というものがあるので。

 

 

とりあえず「悟り系」の本とかブログを読んで(ウチのブログもですが)

「苦しくなる」ならば、

そういう本とかブログとかから、少し離れて

「心理系の癒し」をする事をお勧めします。

まぁ心理でなくてもスピでも何でも

貴方の感情が解放されるなら何でもいいんだけど。

 

「不幸な自分」でもなく「幸せな自分」でもなく

「時に苦しみ、時に幸せで、その時々で色々な、全てを受け入れるあるがままの自分」をアイデンティティにしたいもんですニコニコ