
愛について考えていると、恐怖についても自然に接するようになるようだ。
なぜなら、恐怖は愛のカタチを装ってやってくるからだ、困ったことだ・・・。
例えば、私は健康の研究をしているし、そのことをお伝えさせていただいている。
そうすると、子供が調子が悪いと、自分の子供のケアもできていないのに、人様に何を言っていると思われたらどうしようと恐れていたのだ。
そすると、子どもの調子を治したり、ケアしたりしている自分は、愛情の形をとっているが、実は自分の恐怖におびえての行動になる。
これしないと調子悪くなるよ、だからこれこれしなさい!!
これ食べないと、体調悪くなるよ。お菓子食べ過ぎ、ダメ!! ほら、ミネラル飲みなさい!
もちろん、それで調子が良くなるですが、
ほらね、だから言ったとおりでしょ。
いうことを聞きなさい。
これは、恐怖を避けることができた喜びだったのだ。
だから、子供たちもしんどくなる。
しかし、愛はこんな形では接しない。
子供が調子が悪くなった時に、うん、困ったね。
どうしたらいいかなぁ、こういう方法があるからやってみる。
お父さんは、勉強して、こういうことが分かったんだけど、
だから、やってみない?
子供が判断する。失敗したとしても、だまってそれを見守るゆとりがある。
もちろん、自分の心のゆとりがあるとき、ないとき、
いろんな状況で、どちらのケースもやっていたなぁと思う。
しかし、自分の恐怖におびえて、子供や、まわりの家族に愛のつもりで接することだけは、なくすようにしていきたい。
どうするか、
自分を観察しておくしかないんだね。
自分のハートがどんな感覚になっているかを。
恐怖の感覚、愛の感覚かを。
そう、アンパンマンの作者、やなせさんは、ロールパンナちゃんで、わかりやすく描いてくれているんですよね。
