鹿児島へ 2023.7.15 | 京都 de 茶の湯 / 西方庵

京都 de 茶の湯 / 西方庵

京都・嵐山近くで、四季の移ろいを愛でながら茶の湯を楽しんでいる侘び茶人・ 笹峯宗桓のブログです。400年以上の歴史を持つ鹿児島示現流兵法の門友として、鍛練に励んでもおります。

(桜島)

鹿児島へ帰郷してきました。

 

今回の帰郷で、私の琴線に触れたのは、「鹿児島示現流兵法」

のA先輩とお会いした時、本当に、心が震えるような心持ちで、言葉を交わさずとも、何も語らずとも響き合えることに、

お互いに感激して涙ぐみながらお話しました。

「郷党」とは心を許し合える、何と素晴らしいものでしょう。

戦国時代に10倍以上の人数の敵を撃破してきた実績が多々

ある薩摩の軍勢。強かった要因は、いちいち指示されなくと

も、大将(司令官)の意図を悟れる(気心の知れた)現場の

指揮官に指揮判断を任されていたから、刻々と流動する戦場

の状況に即応できた点が大であったと思います。

(これは、現在の米軍の最新の指揮方法とされています。)

 

勿論、兵も精強で死を恐れない者の集団でした。郷党は、例え

説明がなくとも、共に死ぬる覚悟を共有するものです。

先輩は、他流派であれば当然「先生」とお呼びするべき方。

流派を代々支えられる御家柄。

でも、当流では、宗家以外は、「先生」と呼んではならない

との掟がありますので、畏れ多いことですが「さん」付けで

呼ばせて頂いています。

先輩が入門されたのは、11代目の宗家の時。今の宗家は13

代目ですから、長い年月が経ちました。

先輩に問われて、「私の先祖は、鹿児島県下の笹峯市が所

領だったそうですが、嫡流が絶えていますので、本当かどうか

詳しいことは分かりません。子供が小学生の頃、夏休みの自由

研究のために、山城跡に連れて行ったことがあります。」

 

「そうですか。私の家系は・・・・」などの世間話から、

会話から始まって、喜寿の先輩と古希の後輩の白髪頭の爺が

二人で、心を響き合わせて率直に忌憚なく様々なことを

3時間ほどお話しました。愉快でした。

その後、久し振りに「立木打ち」をさせていただきました。

江戸時代から続く土間に建てた2mほどの自然木を、南方系の

ユスの木の丸太棒で、左右から袈裟懸けに連打します。(樫の

木刀では直ぐに折れてしまいます。)

まるで猿が叫ぶかのような「猿叫」をあげながら、思う存分に

身体の捻りを加えた強い遠心力を使って打ちます。

 

これが示現流独特の基礎練習の方法です。この打撃による肩

などへの衝撃が、刀で人を斬った時の衝撃と同じであると

耳にします。日課として、定めのとおりに、朝に3000回.

夕に8000回を打つと、全身の筋肉が鍛練されます。

 

残念ながら、病み上がりの私は、全身の筋肉が落ちてしまい、

多くは打てませんでした。でも、汗まみれになりました。

(長い棒は、稽古で槍や長刀の役割を務めます。また、一番

 手前の黒い短い棒は脇差の役割です。)

 

私は、老い先短い身を考えて、「これが今生のお別れ」と

思って御目文字しましたが、お話させていただいて、

この生命が果てるまで、流派の維持、将来への展開等を含めて、精一杯、協力させていただく腹(覚悟)を決めました。

所詮、人間として器の小さい私は、将器(大将となる人物)

ではありませんので、軍師(参謀=作戦を考える人)の補助役

程度を務めさせていただけたらと考えています(が、どうなり

ますことやら)。情報収集や交渉も務めの一つですので、

鹿児島に居なくてもお手伝いができそうです。

(右側が先輩。初めての自撮りで、右手にスマホを持って

シャッターを押しましたので、上手く撮れませんでした。

私の頭部は相当大きいようですね。(笑))

(了)