老爺の「世迷い言」 胡坐(こざ、あぐら)2020.11.26 | 京都 de 茶の湯 / 西方庵

京都 de 茶の湯 / 西方庵

京都・嵐山近くで、四季の移ろいを愛でながら茶の湯を楽しんでいる侘び茶人・ 笹峯宗桓のブログです。400年以上の歴史を持つ鹿児島示現流兵法の門友として、鍛練に励んでもおります。

今日もボケ老人の世迷い言です。

どうぞ、お聞き流しください。

 

日本人は、多くの外国の人とは異なり、玄関で靴を脱ぎ、

畳や板の間に直に坐る生活をしてきました。

それが、外国の人から、今回のコロナ感染対策にとって

有効であると言われているのは、興味深いことです。

私は、坐禅、茶道、弓道、剣道、剣術、居合術などで、

々な坐り方をしてきましたが、

現在は正座とされる坐り方から、膝を崩して坐る「胡坐

(こざ、あぐら)」について、少々、ウィキペディアさん

から引用させていただきます。

------------------------------------------------------ 

両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで座る座り方。

胡坐をして座ることを『胡坐をかく』と言い、足組(あぐむ)

とも言う。字を見ての通り胡から伝わった座り方とされる。

足の裏を見せることが失礼になるアラビアでの一般的な座り方

である。日本においても、かつては男性の一般的、正式な座り

方であった。

 

平安・鎌倉時代には宮廷につかえていた女官たちも胡坐を

かいていた。 その後室町時代ごろから服装の変化から胡坐を

かくと秘部があらわになる危険が生じたため、女性の間では

正座(あるいは正座を崩した、女座り、あひる座り)が

広まった。男性においても、江戸時代以降は正座が正式な

での座り方となった。

 

*アンダーライン、太字は私がつけました。

-------------------------------------------------------

私も、日本服飾史や日本肖像画史の文献・資料で女性の装束

を幾つか見てみました。

藤原京時代の古墳の壁画(国宝)や奈良時代の図絵では大陸

風の長いスカート状の装束ですし、平安時代(794~1192年)に

入り、遣唐使が廃止され(894年)て国風文化が定着した後も、

上流婦女子の図絵では十二単やそれを略した装束で、ズボン

のような袴を着けていたようですから、胡坐をかいても

秘部があらわになる心配は無かったでしょう

(「平将門の乱(939~940年)」は平安時代中期です。)

 

1192年に鎌倉時代に入り、装束が略式化されて行くことが

あっても、秘部をあらわにしないという点には大きな

変化はなかったと考えます。

 

室町時代、安土桃山時代頃になって、ごくごく一握りの上流

階級の婦女子が「胡跪(こき;片立膝座り)」している図絵

出てきますが、これについては、渡来も含めて、

改めて「世迷い言」申したいと思います。

 

いずれにしろ、日本女性は、昔も「端(はし)たなく」は

なかったと考えています。

--------------------------------------------------------  

参考;胡(こ)については、幾つかの辞書に次のように掲載

   されています。

 

*古代中国で異民族の呼称。秦漢以前は匈奴、以後は塞外民族

 およびその国を指す。

 

古代中国の北方・西方民族に対する蔑称。「胡瓜」、

 「胡弓」、「 胡姫」のように、これらの異民族由来のもの

 である事を示す用法がある。

 

*中国人が,初め北方の,のちに西方の異民族を呼んだ語。

 中国の戦国時代には長城地帯の異民族を,漢代には主として

 匈奴をさしたが,

 南北朝時代以後はおもに西トルキスタンのイラン系民族,

 特にソグド人を意味した。

 

*中国人が北方、西方の異民族をよんだ語。戦国時代には

 内モンゴルに居住した異民族をさした。秦・漢時代には、

 主として匈奴を示すようになったが、

 パミール以西のイラン系の民族、とくにソグド人も胡と

 よばれ、魏晋(ぎしん)南北朝時代以後はもっぱらソグド人

 の意味に用いられた。また、胡桃(くるみ)、胡麻(ごま)

  などのことばは、これらがトルキスタンから中国へもたら

  されたことを示している。

 

*中国,秦・漢ではもっぱら匈奴をさし,シルクロードの往来

 が盛んになると西域の諸民族を西胡または単に胡と呼び,

 唐では広く塞外民族をあらわす一方で,特に多くイラン人を

 さした。深目高鼻・青眼多鬚(たしゆ)の胡賈(こか)・胡商

 は西方の文物や慣習をもたらして中国文化の世界化に多大の

 役割をはたし,それは日本にも及んだ。      (了)