老爺の世迷い言 平将門の首塚 | 京都 de 茶の湯 / 西方庵

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京都・嵐山近くで、四季の移ろいを愛でながら茶の湯を楽しんでいる侘び茶人・ 笹峯宗桓のブログです。400年以上の歴史を持つ鹿児島示現流兵法の門友として、鍛練に励んでもおります。

今日もボケ老人の世迷い言です。

どうぞ、お聞き流しください。

 

2020月11月16日(月)19:25~19:55 NHK教育テレビで、

「幻解!超常ファイルE+ 検証!王の呪い平将門の首塚」

が放送されました。

 

天皇家の血を引く平将門は、平安時代(794~1192年)に、

朝廷の不正と腐敗、庶民への厳しい搾取などの横暴に怒って

挙兵し、一時は怒涛のように広く関東地方を席巻して「新皇」

と称した武将です。<平将門の乱939~940(天慶2~3)年>

(朝廷軍に敗れて、無念の死を遂げた将門は、崇徳天皇、

 菅原道真と並んで「日本三大怨霊」と呼ばれています。)

 

いつの世でも、権力者の腐敗・不正・強欲さは変わらないよう

ですね。

 

乱の後、将門は、人々によって神田明神の主祭神として祀られ

ましたが、明治時代になって逆賊が祀られているのはあるまじ

きこととして、摂社へ移されました。

その後、昭和になって祭神に復帰させる嘆願が起き、将門を

主人公とする河ドラマ「風と雲と虹と」(1976年)のブーム

もあり、1984(昭和59)年に本社復帰が叶ったそうです。

 

ところで、将門の首は平安京の七条河原に運ばれ、我が国で

初めての「さらし首の刑」にされましたが、関東目がけて

高く飛んで行き落ちたところに「将門の首塚」が築かれた

と言われています。

 

「首塚」は、大名屋敷等の一角に維持されてきましたが、

明治時代に大蔵省の庁舎が建てられ、1923(大正12)年

関東大震災で庁舎が焼失し、翌年、跡地に仮庁舎を建てる

壊されました。

 

しかし、大蔵大臣など関係者十数名が相次いで亡くなるなど

不幸が続き、仮庁舎建設に際する祟りが噂されるようになり、1927(昭和2)年に鎮魂碑が立てられたといわれます。

 

更に、1940(昭和15)年6月には、落雷による大手町官庁街の

火災が起こり、また、太平洋戦争後には、占領軍(米軍)が

塚を整地しようとした時にブルドーザー横転事故が起きて

運転者が亡くなり、工事は取り止めになったそうです。

 

その後、神田明神の代々の氏子総代さん達の御尽力で保存会

結成されて、整備・維持されています。

(「首塚」は、東京国税局近くのビルの谷間、

  東京都千代田区大手町1丁目2番1号外にあります。)

 

将門塚保存会ホームページ

 

国税庁ホームページ;大手町の首塚

 

日本三大怨霊!「将門の首塚」