天気も良いので、堺をぶらっとして来ました。
南海電車「堺」駅前の観光案内所でレンタサイクルを借ります。
駅の横のお堀には、鯉のぼりが泳いでいます。
堺は、乱暴な言い方をすると長崎の「出島」と同様の形態で、
四周を堀で囲まれた商業都市でした。
今でも、その名残の堀が残っています。
堺は、当時の日本の中で最も経済的に繁栄した地であり、かつ、
土地が狭いことから都市化が進み、アーバン・ライフを送れた
数少ないころではなかったかと思いますし、
そこから、「市中の山居」という発想が生じたのかもしれないと、
私は考えています。
何分、現代でも、私の故郷は町自体が山の中で、わざわざ山居を
設える必要はありませんし、日本各地に同様の地が沢山あります。
遙か昔には、一般的にそのような発想が生じる素地が無いように
思われるのです。
シーズンには運行される観光クルーズ船の発着所。
「宿院」交差点の直ぐ西側に「利晶の杜」が立って居ます。
その横を曲がって直ぐが「利休屋敷跡」。
道路も綺麗に整備されています。
「利休屋敷跡」
塀や門が設置されて、雰囲気が出ています。
残っているのは井戸の跡だけですが、
ボランティアの方が親切に説明してくださいます。
自転車で2分ほどで、利休さんの「侘び茶」のお師匠さんであった
「武野紹鷗」さんの屋敷跡です。
自転車で1分ほどで、利休さんの先輩茶人であった「今井宗久」さん
の系譜を継ぐ「今井屋敷跡」です。
「今井屋敷跡」から1分ほどで「妙法寺」です。
利休さんのもう一人の師匠(伝統的な茶の師匠)であった
「北向道陳」さんのお墓(手前)です。
更に、自転車で5分ほどで、利休さんが参禅した「南宗寺」です。
山内寺院の「天慶院」の前には利休さんの高弟であった
「山上宗二」さんの供養塔が。
これから先は、撮影禁止です。