今年は80回目の終戦記念日なので8月は戦争に関する映画の封切(*1)やTVの記念番組などが多く見受けられる。その中で気になるのは「零戦」を「ゼロ戦(ゼロセン)」と表記(呼称)しているがこれは正しいのか?私は兵器オタクではないが、言葉を紡ぐブロガーとして表記や読み方は気になる。

「ゼロ戦」とは「零式艦上戦闘機(略称:零戦)」のことだ。果たして戦前や戦中に「零戦」はどう呼ばれていたのかと調べてみると、活発に広報活動をしていた陸軍の「隼」等と違って海軍は秘密主義で、そもそも戦時中は「零戦」の存在自体が一般国民には余り知られていなかったともいわれる(*2)。

   【零式艦上戦闘機 from iModeler.com

米国では「Zero-Fighter (Fighter=戦闘機)」と呼ばれていたが「Zero-Sen」とは呼ばれていないし、当時の国内で「零」を「ゼロ」と、敵性語である英語読みしただろうか?映画「ゴジラ-1.0」では、戦時中のシーンで「あの零戦の機銃が~」という台詞では「れいせん」と呼ばせている。

そして何故「零式」なのかといえば、誕生した1940年(昭和15年)は皇紀2600年で下二桁が零だからだ。零戦誕生の前年(1939年 昭和14年)に完成した歩兵用小銃は皇紀2599年製なので「九九式短小銃」、逆に翌年(1941年 昭和16年)に完成した陸上攻撃機は皇紀2601年製だから「一式陸攻」となる。

   【写真上:九九式短小銃 from Kashbuk

   【写真下:一式陸攻 from レシプロマニア

名機とされている零戦も1940年製だから開戦当初こそ航続距離と空戦性能の凄さから米国に恐れられたが、次第に研究され対策される。そして大戦終盤には旧式となり、圧倒的な工業生産力を有する米国の最新鋭機に太刀打ちできなくなり、日本は対抗し得る後継機を本格投入できぬまま敗れた。

その零戦が米国に恐れられた空戦性能の凄さは、様々な犠牲の上に築かれていた。徹底した軽量化は機体の強度を犠牲にした上に重たい防弾装備や通信機器等は搭載されなかった。撃たれる前に急旋回して敵機の背後を衝くという戦法は「攻撃は最大の防御なり」という思想を体現していた。

この思想は実は日本刀に通じる。剣は世界中にあるが両手で握るのは日本刀だけで、海外ではもう片方の手で盾を持つ。日本の武士は防御用の盾など持たず両手で刀を握って相手に斬り込み「肉を斬らせて骨を絶つ」戦法に命を懸けた。これは零戦の設計思想とまったく同じではないか(*3)。

米国は機体に様々な防弾装備を設え、撃墜されても搭乗員だけは救助できるよう努めた。一方、日本は「貴様らは一人1銭5厘の赤紙(召集令状)で幾らでも調達出来るが、陛下からお預かりした武器や車両は貴重だから大事に扱え!」(*4)が軍隊での常套句だったそうだ。この違いは一体何なのだろう?

【米国の艦上戦闘機F6F Hellcat from esa.animalia-life

米国はヒューマニズムに根差していたのか?いや、違うだろう。資源と生産能力が潤沢にあれば飛行機は工場でいくらでも量産できるが、資質が必要な搭乗員は選抜と訓練に莫大な時間とコストがかかるし撃墜されたノウハウも次に生かせると考えたのだろう。つまり米国は徹底した合理主義なのだ

では我が日本はどうなのか?零戦の多くは大戦末期に特攻機となった。若い特攻隊員の事を思うと涙が出るし胸が痛くなる。しかし自爆覚悟の特攻作戦を「愛する国のために命を散らすことは尊く美しい」と美化してしまえば、我々日本人は将来また同じことを繰り返してしまう恐れもある。

「武士道は死ぬ事と見つけたり」(*5)等ともいうが、これは死を美化しているのではなく、常に死を意識することでより良く生きることができるという死生観を説いているのだろう。だから九死一生どころか十死零生の特攻作戦などは日本の伝統精神に照らしても正しくないのだと私は考えたい。
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*1:本件については下記ブログご参照。
映画「雪風YUKIKAZE」鑑賞報告 | Saigottimoのブログ
*2:初めて零戦の存在が公開されたのは終戦の前年1944年11月23日付の朝日新聞で、その記事には「零戦(ゼロセン)」とルビ付きで紹介されたという。from wikipedia
*3:本件は下記書籍に詳しく記載されている。
・百田尚樹&渡部 昇一「ゼロ戦と日本刀」PHP文庫、2015
*4:1銭5厘は赤紙と呼ばれた召集令状の原価で、それが自分の命の価値だと言われれば誰でもショックであろう。
*5:江戸時代中期の佐賀藩の武士、山本常朝が語った武士道の教えを弟子が口述筆記した「葉隠」という書物の一節。

Saigottimo