先日、富山県での読売ジャイアンツ主催試合を見ていたら富山出身の故・正力松太郎氏の事を思い出し、最近伝記映画を観たオッペンハイマーとの共通点に気付いた。今や正力と言ってもピンと来ないかも知れないが日本プロ野球界に“正力松太郎賞”があることくらいは野球ファンは知っているはずだ。


正力松太郎は社主として読売新聞の発行部数を世界一にし、日本にプロ野球界が無かった頃に米大リーグを招聘し巨人軍を創設して“プロ野球の父“となり、日本初の民間放送局(NTV)を作って”テレビ放送の父“、国会議員になるや科技庁長官として日本に原発を導入し”原子力の父“とも呼ばれた。

え?あのオッペンハイマーは“原爆の父”だから原子力が共通点なのかって?いや、そうではなくて「自身が苦手な(或いは必ずしも専門ではない)領域でヒトを上手く使った」という点が共通すると気付いたのだ。「人は(苦手な分野ではなく)得意分野で大失敗する」話は以前に書いた。(*1)

オッペンハイマーは名門ハーバード大学を飛び級かつ首席で卒業した天才物理学者であり哲学や宗教や語学にも長けていたが“実験は苦手”だった。ところが彼の最大の功績は、3年間で20億ドルと4千人を投じたマンハッタン計画のプロジェクトリーダーとして人類初の原爆実験を成し得た事である。

日本にもたらした災禍を思うと彼が果たした原爆開発を“成功“とは呼びたくないが、多方面のスペシャリストによる試行錯誤が行われたであろう同プロジェクトを率いた彼の働きは評価されるべきだろうしその要因の一つは彼自身が実験が苦手なので直接口や手を出さなかったからではないだろうか。

今でいうIT技術者だった私は30歳を前に初めて小さな開発プロジェクトを任された結果、自分がプロジェクトリーダーとしての適性が無い事を思い知らされた。その拙い経験から考えても、あれだけ巨大なプロジェクトを統率して所定の成果を上げるというのは本当に凄い事だと思う。


正力松太郎も東京帝国大学を卒業しているが、彼自身が新聞社の経営や野球や放送や原子力の専門家だった訳ではない。野球や放送や原子力では米国に太いパイプを持つ柴田秀俊、新聞販売では“販売の神様“務臺光雄などの凄いスペシャリスト達が正力の下で活躍したのである。(*2)

それだけ優秀な人材が師事するリーダーはさぞかし品行方正な人格者かといえば必ずしもそうではない。オッペンハイマーは学生時代に指導者に毒を盛ろうとしたり複数の女性と長期間にわたって不倫関係を続けていたし、正力はその押し出しの強さで恫喝まがいの雷を落とすことで怖がられていた。

ではよほど運やタイミングが良かったのだろうか?オッペンハイマーは科学界の頂点に君臨し、あらゆる雑誌の表紙を飾る“時の人”としてもてはやされたが、水爆開発に反対した事で聴聞会にかけられ過去の左翼勢力との関係から赤狩りに遭って公職を追放されるという光と影を味わった。(*3)

正力松太郎も警察官僚としては詰腹を切らされ(*4)、右翼団体の暗殺テロで瀕死の重傷を負いGHQからA級戦犯として逮捕され(不起訴)、共産党に占拠された読売新聞からは締め出される(後に復権)という、凄まじい逆境の連続だった。やはり両者とも並大抵の人間ではない
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*1:本件については下記ブログご参照。
人は苦手な領域では失敗しない | Saigottimoのブログ
*2:正力松太郎については下記書籍で情報を得た。
 佐野眞一「巨怪伝」(上下2巻)文芸春秋、1994年
柴田秀利氏のホームページ
務臺光雄(むたい・みつお) wikipedia
*3:聴聞会については解説動画や下記の映画評をご参照。
映画評「オッペンハイマー」Tomy Jr.
*4:1923年(大正12年)皇太子(後の昭和天皇)暗殺未遂事件「虎ノ門事件」が起き当時の警務部長として引責辞任した。

Saigottimo